以下は11/26に発売された月刊誌Hanadaに、左折禁止、と題して掲載されている山際澄夫の連載コラムからである。
2014年8月に朝日新聞の購読を解約した。
なるほど朝日は今もこんな事ばかりを書いているのか、と思って読んだ次第である。
見出し以外の文中強調は私。
日中友好と朝日新聞
自らに権限を集中、周囲をイエスマンで固めた新たな独裁体制が中国でスタートした。
中国共産党総書記(国家主席)の習近平が、慣例を破って集団指導体制と任期制限を撤廃し、三期目に突入したのである。
もともと、法の支配も人権も中国共産党のためにある国だ。
今後は、かっての毛沢東時代のように暴走することにもなりかねない。
とりわけ危惧されるのが、軍事力に物を言わせた台湾の併呑である。
習は共産党大会でも台湾の統一を強調し、「決して武力行使の放棄を約束しない」と公言した。
建国以来、中国は一度も台湾を統治したことはない。
それを、統一にあたっては武力行使を辞さないと言うのである。
党大会で習は過去二期十年を振り返って「強国路線」の成果を誇ったが、強国の実態は「強軍路線」である。
飛躍的な軍拡を果たした中国は、尖閣諸島の領海侵犯を常態化させ、日本の主権をも踏みにじっている。
チベットやウイグル弾圧、また香港の自由を封じたことも忘れてはならない。
しかもこうした覇権主義、専制主義的な行為に対する国際的な批判に対して、聞く耳をまるで持たないのが習独裁である。
であれば、日中友好などあり得ない。
友好どころか、軍事、経済、文化交流まで含めた対中関係の全面的見直しを行うというのがあるべき日本の姿勢だろう。
ところが、日本の多くの既成メディアはそうは言わずに、敵基地攻撃能力の保持など抑止力をもつことにすら反対する。
代表的なのが朝日新聞である。
ペロシ米下院議長が台湾を訪問したとき、日本のEEZ内にまでミサイルを撃ち込んだ中国に〈米中の「橋渡し役」の役割を十分に発揮すべきときだ〉と寝ぼけた論評を行った朝日新聞は、今回もまた寝言同然の記事のオンパレードだった。
まず、武力行使をしてでも台湾を統一するとの習の宣言については、こう述べた。
〈強い指導者を印象付ける狙いもあったとはいえ、力にたのむ姿勢を見せたことは軽率というしかない〉(十月十七日)
安保理常任理事国首脳による武力行使発言を、「軽率」などという言葉で片づけていいはずはあるまい。
それこそ軽率の極みだろう。
習総書記が三期目を決めたことを受けた社説は、こう締め括っていた。
〈日本を含む関係国は中国との対話を絶やさず、責任ある大国の常道から外れないよう説得する努力が必要だ〉(十月二十四日)
朝日新聞は、敵基地攻撃能力の保持は「専守防衛を空洞化」させるなどと言っているが、抑止力も持たずにいったいどんな「説得」が可能だと言うのか。正気とは思えない。
呆れたのが、共産党大会をQ&Aで解説した記事(十月十七日)だ。
記事は、大会を〈大事な政治イベントなんだ〉と紹介。続けて、〈Q総書記はどうやって選ばれるの。立候補して、たくさん得票した人が選ばれるわけじゃないんだ?〉という質問に、〈A 違うようだね。総書記や常務委員らの権限はとても大きく、中国や党の行方を左右する。能力や人気だけじゃなく、党をどれだけ大切に思ってるかや、ほかのリーダーたちとの人間関係など、いろんなことを考えて決めるようだ〉。
中国を普通の国であるかのように書くにもほどがある。
これを読めば、習総書記の選出も意味があるかのように錯覚する読者が出てくるだろう。
朝日新聞は、毛沢東が発動した文化大革命を絶賛した。
文革が始まると特派員は中国から次々に追放されたが、朝日新聞だけは追放されなかった。
朝日の報道姿勢に批判が集まると、当時の広岡知男社長は二記者を送ることに意味がある」と反論した。
日中友好に反することはあえて書く必要はないというのである。
そこに朝日新聞の中国報道の歪みの淵源がある。
三つ子の魂百まで。
やまぎわすみお
ジャーナリスト。元産経新聞の首相官邸キャップ、NY支局長