にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

日参の深さ

2008年11月08日 18時38分23秒 | にをいがけ・おたすけ

日参に対して以前から、曖昧な疑問があった。
日参とは言葉どおりの毎日かかさず教会へ運んで参拝をする
だけの意味ではない。

近い遠いもあるから、毎日運ぶからいい、
運ばないからダメということではなく
運んでなくても運んでいるに等しいということで、日参となるらしい。

どんな日も教会へ運ぶということは簡単に思う人もいるし
苦痛で大変な人もいるんだ。
家の近い遠いではないんだよね。
また、毎日参拝に行っても、ただ参拝してくるだけでは違うんだよ。
内容も関連してくるんだよなーーー。

ずいぶん昔、ある方の言っていた言葉が心に残っている。

『日参とは教会へきてただ参拝すれば良いというものではなく
拝殿で話が出来ない日もトイレの前、玄関先、台所など
誰かがなにげなく自分に言ってくれた言葉を神様の言葉として実行してみること。
それが日参なんですよ』と。

だから、日参って難しいんだなって思ったものだ。

誰がどうこういうことではなく、神様と自分がつながっているのなら
毎日教会へ運ぶということに捕らわれなくてもいいのだと思う。

反面、毎日運ぶことはすごいことだと思うウンですよねーー。
参拝だけでもいくと、人との絡みもあるから、、、
参拝だけってことにはならないのですかね。

曖昧な部分が神様なのだと思わせていただきますw

 

そうそう、今日教会へ行けないと思っていたら長男が昨日かりたマフラーを返してほしいと言うのね、住み込み青年さんに。

「えーー自分で返しなよー今日」
『お母さん、教会へ行くんでしょう?』
「わかんないよーー」
『お母さん、日参してんじゃないの?!!!』
「んん・・毎日行くことが日参じゃないんだって」
『なにそれー』

「あーー、分ったよ。返しておくよ」
コレは神様かと思って、、参拝して来なさいと!!仰っているのかもしれない。
勝手に解釈して、行くことになりました。
長男には、「やめたよ」とは言いたくないので、やはり日参しかないね。
大きな身上にならないんだよねー、また。
日参始めてから。てか一、一昨日は体調悪くてお休みしたけどさ。

こんなにこだわる自分っておかしいーーー???