信仰16年の間、子供が神様のご用に合わせてくれないと
つい腹立たしく思ってしまう日が多かったように思う。
今日も次男が、上級教会で子供おぢばがえりの前に参加すべきご用があったのに
『めんどくさい。行くなんて一言も言っていない。これっぽっちも行きたいと思わない。
その行事に行って、どんなメリットがあるの?なにもない。もっとアピールしてよ。
色々言ってくれば、行ってくれると思ってるの?』
まとめてみると、おおよそこんなことを言っていた。
で、、、
最後の一言で私は堪忍袋の尾がキレた・・
“行ってくれると思っているのか”だと~~?!!
「あぁ もういいやーーーーーーー」
吹っ切れた、、冷めた・・・もういい・・・と。
あの子に腹を立てちゃいけないんだよな、私なんだよな・・・、と
今日は思うことが出来たようだ。
結局、私の自分かわいいホコリの心が次男に対して感情的になってしまっている。
でも、今日は大丈夫だった・・・20分くらいかかったけど。。
うちはまだ私が初代だし、代を重ねてきている家ではないからね。
なんとか子供にもおみちを、、と小さなことからさせようとしてきている。
そういう小さな働きは、積み重ねてきています。
次男は、長男や長女のようにはいかないので
気長に短気にならず、あきらめずやさしく言っていかないと・・だな・・
あらためて、そう思いましたわ。
まったく口から先に生まれたんじゃなかろうかと憎たらしいと思うこと多し。
私、、、とか夫婦仲ですよね。
・・・・私は、腹いせに(誰に対してだか不明)←自分自身にか。
青梅の吹上しょうぶ園へ8時半すぎ、ぷいっと行ってしまいまして・・
ずーーーーーーーーーーーーとガマンしていて行けなかったので
勢いついているときに行っちゃった。
そのあと
教会に参拝に行った際、青年さんに次男のことをチラッと話してみたら
『〇〇君、らしいじゃない?!(^。^)』
平然と言われました。
!!!
「〇〇らしいですかー?!そうですか?!たしかにそうかもしれない・・」
自分の子供だと、感情になってしまいがちなんですよね。
すっとしました。
ありがたいです。
【〇〇らしい】っていいなぁって思いました。
この後、まだ続きがあります。また今度。