にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

母のおたすけを通して

2009年10月06日 20時56分07秒 | にをいがけ・おたすけ

昨日の母のことの続きです。

母は寂しいんです。寂しくてストレスになってしまってて
口が痛かったり、精神が不安定になるんだと思っています。
パーキンソンはパーキンソンだと思うけど、心のケアも大事な治療のはず。
が、、弟や弟の奥さんには分ってもらえないんです。

弟の職場に前の家のおばさんが電話をしたものだから
弟の奥さんの携帯に連絡が行って、仕事を早引けして帰ってきました。
母の様子を見て、私に言うのね。

『ここぞと言う時がいつだか分らないんですよー。病院でちゃんとみてもらったほうがいいんですかねー?』

要するに、いつがいよいよ危ないって言う時だと判断していいのか分らない・・・
というんでしょう。私にも分んないですよ。でも

「きっと母にしたら、いつだって今が苦しくて仕方がないんだよ。」
『ダメだ、コリャ』と言いながら笑ってました。
「弟に言っておいてくれる?もっと優しい言葉をかけてやってくれる?って。声をかけてやってほしいって。いつも待っているんだよって。」
『私が言っても言うこと聞きゃしないよー。お姉さんが言ってよー。』
私はあなたにも(弟の奥さんにも)言っているのだけどね。

母が落ち着いてきたので、おばさんは帰って行きました。
弟の奥さんも自分の家にもどりました。(離れなんです)
おさづけのお取次ぎをさせていただき、話をしながらお茶を飲んで帰ってきました。

 

 

よく思うんですよ。


あのとき、母が修養科に行っていたらなぁぁ。(10年以上前のこと)

母の今の姿はなかったでしょう。もっと人間らしくいきいきと生きていられたでしょう。

 

私の真実が足りないばっかりに・・・・母を見ていると実感できる。

私はおみちで良かった。。。おみちを聞き分けられる魂でありがたかった、てね。
もしかして、難聴の身上のおかげでもあるのかなぁ
わかんないけど・・・・