にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

ネコの毛からはじめよう

2012年03月07日 20時42分47秒 | にをいがけ・おたすけ

 

 

急に去年の2月12日に撮った携帯画像を載せたくなった。教祖殿の回廊ふき。

夕神か朝神でしょう。この写真が好きで。。。。

 

このごろ路上ばかりになっていたので、戸別がしたいなって思っていて

今日は戸別に力を入れた(?)。。昨日と同じ川越を目指した。

2時間ほど、移動しながら。大きなマンモス住宅街を発見。今日は数軒だけして

また近日中に時間を考えて、回らせていただこうと思った。すごい数だったので。

フットワークには自信がある私も、いま正座の右足が急に、、つった~~~~~~!!!

 

 

で、今日の出会いは。。ある一戸建てのおばさま。72歳って言ってた。

「天理教です。耳を傾けていただけませんか」

というところから話をさせてもらっていながらも始終、足元に毛がふさふさのネコが絡んできて

いて、そのときは気にならなかった。回覧板を回さなくちゃいけないから、ということで

分かれてから、自分はもっと一人の人に対して全力で向き合わなくちゃダメだなって

反省をしながら、目の前の公園のベンチに腰掛けた。ふと足を見た。

毛皮のようにふくらはぎにびっしりとネコの毛が張り付いているではないか。

ネコの毛がキライな私はたじろいだーーー。「なんじゃこれー」ってな感じでさ。

今日は黒いスラックスをはいてて、毛も張り付きやすい少々ネルっぽい素材。

好きなパンツです。そこにびっしり。お宅のネコちゃんの毛ですよ、、と。

なんとかしてほしい、という気持ち。言葉にはしません。

「ガムテープかコロコロありますか(^0^)』と聞きに行きましたよ。おばさまは、気の毒がって

一生懸命ガムテープなどで取ってくれ、このネコ捨て猫なのってことを言ってきました。

目の前が公園なので、心ない飼い主がネコを捨てていくのだそうだ。
餌をあげてしまうので、家に寄ってきてしまうとのこと。一匹自宅にネコも飼っているので
かわいそうに思うようだった。

ネコの毛をきっかけにおばさまは、私という人間に興味を持ってくれたようだ。

『聞いてくれないでしょう』とのこと。なんのことかと思ったら、
『布教されているんでしょう?』「はい。こちらも相手の方に伝えたいことが伝わらなかったり、
そこに相手の方が感じてくださらないことが多いです。」『そうね。あまりぺらぺら話をする方よりもあなたのほうが良いと思うけど。』「そうですか?!^ー^」『私くらいの年代になるとみなさん自分の信仰をお持ちじゃないかしら。』「そうですね。それはそれぞれでいいと思うんです。でもその信仰をしてきてなにも変ってこなかったり良くなってこなかったら、天理教のお話にも耳を傾けてみたらなって思うんです。」『そういうこと?聞いてくれなくても、こうやって歩いて人様に声をかけて話をしているってことは、自分自身の力になるわよね。』

びっくりした。よく分かってらっしゃる!!そのとおり。

にをいがけ先で、あまり『頑張って』とか『ご苦労さま』とか言われるのって好きじゃない。
言われたとたんに、自分の頑張ってきたことが台無しになってしまうようで、、、

でもね、このご婦人の言葉は、なんだかそれとは違っていて、

むしろありがたかったな。そういうように思ってくれる人がいたことが嬉しかった。

そのあとは、花粉症の漢方薬をのんで、車のところへ戸別しながら移動。

 

明日の歩きに弾みがつくといいな。

 

 

 

 


太陽に背中を押してもらえた

2012年03月07日 19時43分55秒 | にをいがけ・おたすけ

昨日は本当に暖かい一日で、なにより太陽が出ていた(表現がおかしい)ことが

とても嬉しくて、太陽の下を歩かせていただけることが嬉しくて!!!

なので、にをいがけの時間を与えて頂けたことが嬉しかったな。

花粉が飛び回っていると思って、少しでも山寄りから都会寄りに行きたくて

川越市、、、限りなく鶴ヶ島に近い川越に行かせてもらおうかと。


某店舗に車を置かせてもらって駅方向へ歩き出す。

こちらの心が反映してくるのでしょうか。。次から次へ探さなくても

ちょうどいい感じにベビーカーを押しているママさんが現れてくれた。

声をかけることが出来た!!真っ向から無視をする人はいなかった。

行きに5人、帰りながら2人のすべて子育て真っ最中のママさん。

こういうことはあまりない。

もう一押しの方もいてくれて、自分の押しの弱さを感じつつも
まだ諦めなくても大丈夫の可能性のあるママさんに出会えた。

人はイザとなると、とっさのときに自分が出てしまう。できれば、とっさのときにも

相手のためのおたすけ心が出せちゃったらいいのになって思う。私は、根が正直なので

ありのまま、そのまんまを出してしまうけど、おたすけには、

そういう部分は邪魔なんだと思うよ。相手が助かる方向付になるなら

嘘八百も浮かばせて頂けるようになりたいものだ。きっかけなんて

そんなに立派なものじゃなくていいんだ。たとえ嘘八百でも結局は

神様が仕分けてくださるのだから大丈夫なんですよね。自分がどこまで今、

会ったばかりの方のために一生懸命にならせて頂くことが出来るのか、、、にちにちですね。