にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

立教・・・・親の思いに合わせる

2009年10月11日 20時47分05秒 | 祭典日

この上ない晴天のお恵みを頂戴した上級教会の秋季大祭。

おつとめは最前列で唱和。
とは言っても私の声は通らないので、まったく分りません。ですが
口だけでもと思って、大きな口をあけて唱和していました。

お地方とすりがね、小鼓、太鼓、笛、そしておてふり。
全部ひとりでやってました。笑
後ろから私を見たとき、ノリノリでおつとめしてるなって思われそうだ。
恥ずかしさもあるけど、勇んでました。

一番前で見たほうが障害物がなくて
おつとめ奉仕者と一つになってるように感じれます。

 

 

 

帰りに所属教会に寄って御てっせん、、、、今日も身体を充分にクタクタに御用に使わせていただけました。
ありがとうございました。


どうせさせてもらうなら

2009年10月10日 21時07分28秒 | 他のおみち話

秋季大祭の前の清掃ひのきしんをみなさんで
させていただきました。とは言っても、来れる人のみになってしまいます。
こういうひのきしんって
真実が表れると思います。

どうせするんだったら、喜んでさせていただいた方がいいに決まってますよね。

明日は上級教会の秋季大祭です。

 

そういえば、東本大教会の秋季大祭に参拝したいのだけど
行きにくいんですよねー。部内でもないですからね。当然だけど、、、
一昨年だったかな、、一人で参拝させていただいたのは。。。。
誰か一緒に行かないかなー、行かないよね~、おそらく。
行ってもいいのなら一人でも行けるけど。

では、おやすみなさ~~~~い。
今日もいい日でした。


にをいがけに時間を使えるありがたさ

2009年10月09日 19時46分54秒 | にをいがけ・おたすけ


                                   ~ 修養科818期生 ~

会の集まりがあって、親から理を頂戴してから、個々ににをいがけ。

列車に乗って、また上福岡に行かせて頂いた。
今日は、ひとり。
でも、頑張れた。大勢の方に出会えた。
11時から2時間歩いて、小休止の時間もとって、なんだかんだで3時間もいてしまった。
教会には3時ころ戻ったみたいだ。移動時間もいれて、しめて4時間。


帰る前に拝殿で理を頂かないと、、そういうお約束なので帳場にいた部内の
会長さんにお願いして、お話を聞いていただき、理も頂戴した。
話を聞かせていただきながら、急に自分自身で悟らせてもらったことがあって
そのことに感動してしまった。改めて胸に納まった。
頑張ろうって思えた。

何度も聞いてきたことだけど、自分自身が「そうだったんだ!!」って
芯から感じることができないと分らないんだよな。
当たり前のことを書いてしまいました・・・恥ずかしいかも。。


こんな自分だからこそ、もっと声をかけさせてもらっていいんだった・・・


寝ぼけ気味です

2009年10月08日 23時54分15秒 | にをいがけ・おたすけ


                                    ~ 12母屋 ~

にをいがけのブログなので
にをいがけのことを書けばいいんだけど、書いてないですね。
昨日なんか頑張ったんですよ。
ありえないような動きをしました。自分でもタフだなって思った。

ひとりじゃ難しいことでも誰かがいてくれると、勢いも勇気もカンタンに出せてしまうんだ。
昨日は東武東上線沿いの駅まで行って、歩かせていただいた。
先に相方さんが来てました。わたしは自分の用事を中断させ、教会参拝。
そのあとからにをいがけをしに。。。。。電車で。約束をしていたわけじゃないんだけど、よっしゃーって感じでした。
雨がかなり降り、一日中雨は降ってましたね。

11階建ての団地を半分にわけて、させていただきましたが
相方がなかなか終らなくて、待っていたんだけど、(どなたかお話を聞いてくださっているのかなと思い)
待たれているのもイヤかなと思って、夕方も4時になるし雨も強いし『先に帰るからね』とメール。
にをいがけ中って電話は出来ないじゃないですかぁ

電車で乗り換えの川越市まで戻ったんだけど、
ひょっとして雨で足でも滑らせて倒れているんじゃないかなって心配になっちゃって、Uターンしたのだ・・・・電車の中で相方から電話が入っていたことに気がついた。
「良かった~。生きてた!!」

嬉しかったです。
目的地のホームで待ち合わせをして一緒に坂戸に帰ってこれました。
やはり話を聞いてくれる方がいたんだそうで、話好きの方だったそうだ。
大祭には間に合わないそうですが。

相方の騒ぎ(私が勝手に)で、自分のにをいがけってどんなだったのか
忘れてしまいました・・・。。元気に出来たことは覚えてます。

 


母のおたすけを通して

2009年10月06日 20時56分07秒 | にをいがけ・おたすけ

昨日の母のことの続きです。

母は寂しいんです。寂しくてストレスになってしまってて
口が痛かったり、精神が不安定になるんだと思っています。
パーキンソンはパーキンソンだと思うけど、心のケアも大事な治療のはず。
が、、弟や弟の奥さんには分ってもらえないんです。

弟の職場に前の家のおばさんが電話をしたものだから
弟の奥さんの携帯に連絡が行って、仕事を早引けして帰ってきました。
母の様子を見て、私に言うのね。

『ここぞと言う時がいつだか分らないんですよー。病院でちゃんとみてもらったほうがいいんですかねー?』

要するに、いつがいよいよ危ないって言う時だと判断していいのか分らない・・・
というんでしょう。私にも分んないですよ。でも

「きっと母にしたら、いつだって今が苦しくて仕方がないんだよ。」
『ダメだ、コリャ』と言いながら笑ってました。
「弟に言っておいてくれる?もっと優しい言葉をかけてやってくれる?って。声をかけてやってほしいって。いつも待っているんだよって。」
『私が言っても言うこと聞きゃしないよー。お姉さんが言ってよー。』
私はあなたにも(弟の奥さんにも)言っているのだけどね。

母が落ち着いてきたので、おばさんは帰って行きました。
弟の奥さんも自分の家にもどりました。(離れなんです)
おさづけのお取次ぎをさせていただき、話をしながらお茶を飲んで帰ってきました。

 

 

よく思うんですよ。


あのとき、母が修養科に行っていたらなぁぁ。(10年以上前のこと)

母の今の姿はなかったでしょう。もっと人間らしくいきいきと生きていられたでしょう。

 

私の真実が足りないばっかりに・・・・母を見ていると実感できる。

私はおみちで良かった。。。おみちを聞き分けられる魂でありがたかった、てね。
もしかして、難聴の身上のおかげでもあるのかなぁ
わかんないけど・・・・