にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

自分の真実を出したい (・・あったら)

2021年05月07日 17時09分43秒 | にをいがけ・おたすけ
自分が痛みを伴う身上になって
おさづけについて思うことがありました。
身上者になってみておさづけを取り次いでいただくことは
本当にありがたくうれしいもので、存在そのものに感謝しました。

助かっていただきたいという気持ちの現われでもある
おさづけという行為。私のような理のないようぼくが生意気だと

思うけど、ちょっとこ思ったことを書こう。
自分のブログだからいっか。


自分もお道を知らない方に取次ぎをさせていただくことが
あるけど、気をつけているのは少しでも相手の身になれるように
集中して真剣にさせていただくことだ。なんとか神様に
働いていただきたい。そのためのにちにちなのかなって思う。

身上をいただき3日ほど拝殿でおさづけを取り次いでいただいた。
今日は長男に家に来てもらって取り次いでもらおうと急遽思った。

私がいかにここ数日大変な中を通ってきているのか知らないからかな、、
彼の真剣さがイマイチ伝わってこなかった。いつもあんな感じで落ち着いていて

慌てない性格のせいかもしれないけど、
目の前の母に助かってもらいたくておさづけをしようってどこまで
本気で思っているのかいないのか、言われてやっているわけだから
急にそこまでは行かないかもしれないけど。

昨日の午後から医者に行って、痛み止めの薬も飲むようになって
ようやく痛みから解放されてきた私を見たら、元気そうに見える。

軽く思われているのかなーーーーと。
それを受ける側に感じさせてはダメでしょう!!絶対に。
そうはいってもマジメな息子なので真剣に心をこめて下さったと思うけど、
こういう時はその冷静さがつめたく感じてしまう私でした。ゴメン。


元気な人におさづけってそんなに考えないです。
今日元気だから、明日も元気で通れますようにおさづけを
させてくださいってにをいがけで会った方にお願いしたことがある。
今日が明日も同じようになると思っているのか、
もともと神様を(私を)信じていないから受けてくださる方は

ほとんどいないかな。


どんな状況であっても、精一杯取り組ませていただこうって

改めて思いました。自分は取り次げる側であることに
にちにち感謝の気持ちをいだいて通らせていただきたい。
また痛みのない日常はそれだけで十分幸せなことだと、
もっと喜んでいいのだと思わせていただいた。