沖縄が米軍統治下から本土に復帰して43年となった15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設阻止を訴える平和行進が、移設先となる同県名護市辺野古の対岸から出発した。県内外から約1200人が参加し、「新基地建設を止めるぞ」と声を上げた。
平和行進は復帰後も変わらぬ基地問題などを考えるため、毎年5月15日前後に行われており、今年で38回目。
この日は、政府の移設作業が見渡せる名護市瀬嵩の浜で出発式を行った。同市選出の玉城義和県議(66)はあいさつで、前日安全保障関連法案が閣議決定されたことに触れ、「県民が求めた復帰は『平和憲法の下に』だったが、いまそれがずたずたになりつつある」と批判した。
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5月15日は沖縄が本土に復帰したです。
正確には1972年5月15日ですから復帰から43年です。
大阪万博の1970年はまだアメリカ施政権下だったんですね。
そう考えると少し複雑です。
そんなお祝いの日でも、沖縄は辺野古移設反対運動のようです。
辺野古移設を反対すれば平和になるんでしょうか?
その考えは よくわかりませんが出発式で挨拶したのは玉城県議。
やはりというか、名護市選出でも辺野古とは山を隔てた市街地にお住まいです。
辺野古地区は人口も少ないので票にはならないでしょう。
ですから辺野古の発展にはあまり関心がないような気がします。
因みに辺野古区のHPに よれば
農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、
有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32年に基地建設が着手されました。
との事です。
経済発展の為に辺野古区は軍用地契約を決断し、
そしてまた、多くの住民の方は普天間からの移設を容認していると聞きます。
翁長知事が「民意だ」とよく言っていますが、地元の意見はどうなんでしょう。
地元中の地元と言えば辺野古です。
特に名護市は市街地と辺野古区は大きな山で隔たれています。
ですからマスコミは市民プロが殆どの反対運動を取り上げず
もっと辺野古区の意見を報道してもらいたいです。
尖閣周辺での威圧的な中国公船の徘徊、沖縄本島と宮古島の間を中国軍機や
中国潜水艦が航行しているのにも拘らず、翁長知事の強固な反対は無責任です。
戦後27年間もの長い間、アメリカの施政権に置かれたからなのか
玉城県議が「平和憲法がズタズタになりつつある」と政府を批判していますが
すぐそこまで中国の脅威が迫っているのにこの感覚は理解できません。