昨年8月8日、突然NHKでの天皇陛下のおことばの発表でした。
と言いたいところですが、その前に毎日新聞がリークしていました。
天皇陛下「生前退位」意向 数年内に譲位 毎日新聞2016年7月13日 19時24分
そしてすぐに宮内庁が否定です。
天皇陛下「退位」意向 宮内庁否定 毎日新聞2016年7月13日 23時39分
その後、あの8月8日のNHKを使っての天皇陛下のおことばです。
もう一度、天皇陛下がどうされたいのか、どのような思いだったのかと読み返してみました。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯もがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように,憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。
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象徴としての務めを天皇陛下はどう解釈しているのだろうか、と思うと共に
昭和天皇のお姿を見て、象徴とはどういうことなのかお考えになられたのだろうと思います。
昭和天皇は戦後の混乱の中、日本を立て直す為、そして国民を励ます為にご尽力され、時間もそれに費やしたのだと思います。
そして全国各地で天皇陛下のお姿を拝見し、感動し、復興の大きな力にもなったと思います。
今上陛下はその影響が大きいのでしょう。
では今上陛下は古来から続いてきた祭祀についてどう思われていたのでしょう。
蔑ろにしたのではないにしろ、やはり実際に国民に触れ合う事を重視したのではないでしょうか。
それが先日の「ショック」発言なのでしょう。
あれも毎日新聞の報道でした。
どうも毎日新聞は正式発表前に記事にするみたいですね。
宮内庁か野田元首相に何か繋がりでもあるのでしょうか。
そう言えば昔皇室アルバムという番組がありましたが(現在も放送している?)
あれも毎日新聞社系列だったようですから、何らかのルートがあるのでしょうね。
このおことばの中で「殯」(もがり)に注目が集まりました。
尾野真千子が出ていた「殯の森」という映画でこの言葉を知りましたが、あまり馴染みのない言葉です。
言葉以上にその実態を知り、驚きました。
ただ、現代もこのような風習をしているのかは不明です。保健所の許可が下りないような気もしますが。
それでこのような大変な儀式を徳仁殿下と雅子妃殿下は出来るのだろうか。
恐らく雅子妃は拒否するのではないだろうか。
そんな心配もあるので、この際葬儀についても簡略化したいとの希望も言っておこう
とのお気持ちだったような気がします。
退位問題から逸れましたが、おことばを再度読んでみて、そんな事を思いました。
この問題に大きく影響を及ぼしているのは、「雅子妃」の性格、「体調の波」だと感じます。
もしも、もしもですよ、皇太子が文仁親王殿下だったら、皇太子妃殿下が紀子妃殿下だったら
譲位について何の心配もないでしょう。
殯という儀式や諸々の儀式を安心して文仁親王殿下に任せられるでしょう。
ま、これは一般市民のただの想像、失礼かもわかりませんが想像です。
実際は全く違うかもわかりませんが、ふと色々想像してしまいました。
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