執行部はもっと本質的に考えて~鳩山元首相
やはり鳩山はルーピーだった・・・・。
民主党が分解寸前なのはルーピー鳩山にも原因がある。
しかし、やっぱりと言うか鳩山本人はそれがわかっていない。
民主党鳩山で始まり鳩山で終わる・・・・?
海江田さんに渡した「ご本」って?
きっと歴史を歪曲したご本なんでしょう。
寺島実郎氏や孫崎亨氏の著作でしたら超偏りのあるご本だと思いますね。
執行部はもっと本質的に考えて~鳩山元首相
やはり鳩山はルーピーだった・・・・。
民主党が分解寸前なのはルーピー鳩山にも原因がある。
しかし、やっぱりと言うか鳩山本人はそれがわかっていない。
民主党鳩山で始まり鳩山で終わる・・・・?
海江田さんに渡した「ご本」って?
きっと歴史を歪曲したご本なんでしょう。
寺島実郎氏や孫崎亨氏の著作でしたら超偏りのあるご本だと思いますね。
安倍首相「特異な行動注視」=中国軍機の沖縄近海通過(時事通信) - goo ニュース
安倍晋三首相は25日午前、中国軍の早期警戒機が24日に初めて沖縄本島と宮古島の間を通過したことに関し、「今までにない特異な行動であり、今後注視していきたい」と述べ、警戒を強める考えを示した。首相は同日からの東南アジア諸国歴訪に先立ち、羽田空港で記者団の質問に答えた。
首相は、南シナ海へ進出を強める中国と対立するフィリピンやマレーシアなどを訪問する予定。「力による支配でなく、法による支配について、多くの国々と認識を共有したい」と強調し、中国側をけん制した。
そうでした。
参院選での疲れが癒されるいとまもなく
安倍さんは東南アジア歴訪に出かけられました。
日本と同じくヤクザ国家中国に苦しめられているフィリピンに
巡視船を供与するとかってニュースがありましたね。
中国軍警戒機が宮古島近くを通過させたのは
東南アジアの国々に余計な事をするな。っていうことなんでしょうか。
最近中国や韓国が「日本が右傾化するのを危惧する」とか寝ぼけた事を言っていますが
超右傾化している国が何を言うか!ですよね。
安倍首相「特異な行動注視」=中国軍機の沖縄近海通過(時事通信) - goo ニュース
安倍晋三首相は25日午前、中国軍の早期警戒機が24日に初めて沖縄本島と宮古島の間を通過したことに関し、「今までにない特異な行動であり、注視していきたい」と述べ、警戒を強める考えを示した。羽田空港で記者団の質問に答えた。
「rekishi001tdyno.294-(7:26).mp3」をダウンロード
今から150年ほど前から100年ぐらい前の世界は今と全く違っていた。
まず、世界は「ヨーロッパとアメリカの独立国」と「ヨーロッパとアメリカが占領していた国」と「日本と中国」の3つだけだった。もちろん、例外はある。アフリカならエチオピア、アジアならシャムのような国で、エチオピアは疫病、シャムはヨーロッパ勢の勢力争いの谷間で僅かに独立していたが、それもほんの少しの国だった。
当時の世界は今では信じられないことが行われていた。
「ヨーロッパやアメリカは、他の国を自分のものにしたければ自由にしてよい」というのが常識だった。たとえば130年ほど前、ヨーロッパ諸国が集まって「アフリカ分割会議」をして、アフリカ諸国を分割した。信じられないけれど、1884年にドイツのベルリンで、実際にアフリカ人が住んでいて国もあるアフリカをヨーロッパの国が勝手に「分割する」と決めて、分割の地図まで作った。
この絵はアフリカ分割を決めたベルリン会議の様子だが、いかにも国際会議の格好をつけて人の国を分割している.もちろんこの場にアフリカの国の代表は参加していない.ヨーロッパ人は「地球上のすべての土地は暴力(武力)で自分のものにしてかまわない」と考えていた。
ヨーロッパはこのベルリン会議からさかのぼること400年ほど前に「トルデシリャス条約」というのをスペインとポルトガルで結んでいて、なんと!地球でヨーロッパではないところは、西経46度37分の東がポルトガル、西をスペインと分割したのだ.ヨーロッパ人には「他人が住んでいる他人の国」という考え方が全くなく、自分勝手だから「ヨーロッパ人が取った土地は、誰が住んでいてもヨーロッパのもの」と固く信じていた.もちろん、背後にはキリスト教という精神的なバックボーンがあったけれど、キリスト教を利用したという感じである.
武田邦彦
嗚呼、沖縄!スパイ防止法によって沖縄を守ろう
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本日の産経朝刊にある田久保忠衛さんの「正論」は、この度の参議選挙の結果を、的確に、かつ、見事に、
「国際政治の流れに沿った新生日本の歴史的うねりが始まった」と大観され、安倍総理に歴史的使命を果たせと促されている。 さらに、「危険な政治家はどちらか。参院選で国民は真贋を見分けたと私は考えている」と田久保さんは述べられている。 その通りだと思う。 但し、沖縄は違う。 沖縄は、まことに残念だ。 「危険な政治家」が選ばれた。 参院選挙は、「内政問題」だと思い込んでいたら危険だ。 我が国、特に沖縄は、「内政干渉」に曝されているからだ。 そして、沖縄を奪おうと目論む敵が喜ぶ選挙結果が出たのだ。 田久保さんは、今日の「正論」で、直ちに、集団的自衛権行使の憲法解釈変更を行うことと、日本版NSC(国家安全保障会議)を設置すべしと書かれている。全く同感だ。 しかし私は、沖縄の選挙結果を見て、NSCと同時に 「スパイ防止法」の制定も急務中の急務だと思う。 何故なら、例えばNSC一つをとってみても、これが機能するか否かは、NSCの決定過程に外国の干渉がないということと、決定過程の内部情報が敵に筒抜けになっていないということが確保されていることにかかっている。 しかし、現在、日本は「スパイ天国」で、その保障はどこにもない。 安倍内閣と与党内さらに野党を含む全政界が外国のスパイ活動のターゲットにされ、その内部にスパイが「うようよいる」ならば、やっと始まった「新生日本の歴史的うねり」が如何に歪(いびつ)に変容させられるか分からないではないか。 この度の参院選挙においても、パチンコ店の駐車場フェンスに政党のポスターが貼られていた。 しかし、目に見えるのはこれくらいで、外国勢力が如何に我が国の選挙に関与しているか、スパイ防止法がないので全く分からない。 我が国を弱体化させる急所は沖縄と原発である。 そして、反基地と反原発の街頭パフォーマンスを観ていて感じたのは、日本人的ではないということだ。 スパイ防止法の制定は、 我が国の再興のために死活的に重要である。 最後に、沖縄についての思い出と今月初旬に沖縄を訪問した時のことを書いておきたい。 昭和四十三年八月の末、 二十歳の私は、一人で北海道西北端の稚内から船に乗って樺太に最も近い島である礼文島に行った。 その礼文島の宿で沖縄から来た同年代の男と泊まりあわせた。日本最北の島で日本最南の島から来た男に会ったのだ。 「沖縄って、どんなとこや」と私は尋ねた。 「日本であって、日本でないとこだ」と男は答えた。 まだ、沖縄は本土復帰前だった。 北海道から大阪に戻ってしばらくすると、新聞に、沖縄のアメリカ軍基地の前で演説をしていた社会大衆党のちょび髭を生やした安里積千代という小柄な初老の政治家が、銃剣を構えたアメリカ兵に押されてのけぞっている写真が掲載された。 沖縄では、未だにアメリカ兵が銃剣を構えて島民を蹴散らすのかと怒りがこみ上げると共に、敗戦以来未だに続く沖縄県民同胞の苦労を思った。 その年の末、大阪で沖縄復帰を求める集会があり、弁士にその安里積千代さんが沖縄から来た。 登壇した積千代さんが、小柄な体からは予想できない大声を出した。そして、迫力ある演説をした。我々は、断じて沖縄を取り戻そうと思い決した。 以上は、昭和四十三年のことである。 本年(平成二十五年)七月一日、 私は沖縄に行った。集会の講師を頼まれたからである。目的はもう一つあった。参院選挙で比例区の中山恭子さんへの投票依頼だ。 沖縄に着いてから、沖縄の友人から、選挙区選挙の立候補者が、あの安里積千代さんの孫だということを知った。 沖縄返還に燃えた二十歳のころの記憶が甦った。 そして、集会では、比例区は中山恭子さんを頼み、選挙区では安里さんを頼んだ。 この集会のおおよその模様は既に本時事通信で書いたが、集まった人々が、安里さんの名前を私から聞いた時の反応のなかに安里さんの敗因があるように思う。 この集会に集まった人々は、安里さんの名を聞いてしらけていた。何故なら、この人々は、普天間基地を速やかに日米合意通り辺野古に移すべきだという考えを持っていたからだ。 ところが、自民党沖縄県連は、辺野古移転を明言せず、安里さんも明言しない。従って、ここの人々は沖縄の自民党は、「自由共産党」だと苦笑しながら言っていた。 つまり、沖縄では自民党の候補者である安里さんも、「反基地」を言っていたのだ。 これでは、「反基地」運動の本家本元に勝てるはずがない。 安里さんは、敵(支那)の狙いは何か、沖縄を守り日本を守るためには、何が必要か、これを明確に訴えるべきであった。 私の接した沖縄の皆さんは、それを待っていた。自民党と安里さんが、それを語らなかったので、しらけていたのだ。 とはいえ、 沖縄県民の日本人としての本音を封殺し、あたかも「特殊な島」であるかのような情報のみを発信する沖縄のマスコミは、何にコントロールされているのか。 天皇皇后両陛下の沖縄行幸に際し、七千名以上の県民が日の丸と提灯を持って両陛下をお迎えしたことを一切報道しない沖縄のマスコミは、事実を伝えるマスコミではなく、一種の「政治運動の機関誌」である。 では、その「政治運動」の本体は何処にあるのか。 これらを、スパイ防止法によって突き止めねば、我が国の危機は止めどなく進行する。もはや、一刻の猶予もならない。 |