4月の或る日。耐震調査と補修が終わったとのことで鎌倉大仏を久しぶりに訪ねました。奈良東大寺の廬舎那仏と比較されますが、総高13メートル、総重量122トンの仏像としては鎌倉に一つしかない国宝です。ずいぶん昔(1495年・明応四年と言われています)から露坐のまま。幾たびの地震や津波、台風などの災害にも耐え、じっと人々を見守っています。奈良の大仏の荘厳さとは違ったその姿は多くの人々に愛されてきました。
「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」
与謝野晶子が詠んだ歌ですが、釈迦牟尼(実際は阿弥陀仏)という個所を捉え、歌の出来を疑う論争があったと聞いています。ただこのことについては、『吾妻鏡』を見ますと阿弥陀仏、釈迦如来の両方が出てきますので、必ずしも与謝野晶子が間違っていたとは言い切れません。『吾妻鏡』(全訳吾妻鏡 永原慶二監修 貴志正造訳注 新人物往来社)によると、鎌倉大仏(当時は深沢大仏と言われていました)の記述は次のようになっています。
≪仁治四年(1234年)六月大十六日≫ 深沢村に一宇の精舎を建立し、八丈余の阿弥陀の像を安んじ、今日供養を展ぶ。導師は卿僧正良信。讃衆十人。勧進聖人浄光房。この六年の間都鄙を勧進す。尊卑奉加せずといふことなし。
≪建長四年(1252年)八月小十七日≫ 深沢の里に金銅八丈の釈迦如来の像を鋳はじめたてまつる。
結論から言えば、阿弥陀像でも釈迦如来でも大仏様の有難みに変わりはありませんし、それを拝む人にとってはどちらでも良かったのではないかと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます