木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ボニーMの摩訶不思議

2010年01月09日 | ポップマニア
アーリー80年代のポップ界においてボニーMの人気は凄まじかった。
イギリスではジャケットの際どさから、逆に敬遠されたというほど、キワモノ的なイメージがつきまとうボニーMであるが、このグループも今調べると、知らなかったことが多いのに驚かされる。
まず、オリジナルメンバーを見ると、

リズ・ミッチェル(リードボーカル)
マーシャ・バレット(ボーカル)
メイジー・ウイリアムス(コーラス)
ボビー・ファレル(DJ)

後に、レギー・ツィボー(DJ)

となっている。
なんとなく黒一点のボビーが司令塔であるような印象を持っていたが、これも前回のアラベスクやボーイズ・タウン・ギャングと同様に仕掛け人が存在した。フランク・ファリアンという人物である。

ボニーMの驚きの点はいくつもあるが、以下に箇条書きにしてみたい。

①メイジーとボビーは全くの口パクであった。
 ボビーのパートはフランクが歌っており、メイジーは単にルックス面で色を添えただけである。今はメイジーのパートを「ダン サー」とし、ボビーのパートも「DJ」と表現することが多い。

②ファリアンは、ミリ・ヴァニリもプロデュースしていた。 
口パク騒動で業界を追い出された格好になったミリ・ヴァニリをプロデュースしたのはファリアンであった。
ファリアンには、ボニーMという「前科」があったわけである。

③後にエニグマを結成するマイケル・クレトゥはボニーMのバックミュージシャンだった。 
アラベスクの元リードボーカルで妻であった(後に離婚)サンドラとエニグマを結成したマイケルはボニーMのバックミュージシャンであった。

④ボニーM解散後、ボニーMを名乗るバンドが同時期に3つ存在したことがある。  ボニーMは公式には、1986年に解散するのだが、1990年には
  A.マーシャ、メイジー、ボビー、マデリン・デイビス(新参加) プロデューサー:バリー・ブルー → 非公式
  B.リズ、レギーに新参加の二人 プロデューサー:フランク・ファレル → 公式
  に分かれた。
  1997年になると、
  リズ (イギリス中心) → 公式
  メイジー(ヨーロッパ中心)
  ボビー(オランダ、アメリカ中心)
 の三つに分かれたとされる。(マーシャはボニーMを離れソロ活動)

いろいろ驚くことの多いボニーMであるが、一番の驚きは、結成が1975年であるが、そのサウンドが今でも新鮮であることである。

メンバーの多くも今でも現役で活躍している。
例によって、Youtubeの映像とメンバーのHPを記載しておきます。
なお、今回の記事の多くの部分はBenさんのHPの中のボニーmの項を参考にさせて頂きました。感謝!

Ben’s Unofficial ARABESQUE Fan Club

ダディ・クール

リズ・ミッチェル
マーシャ・バレット①
マーシャ・バレット②
メイジー・ウイリアムス
ボビー・ファレル
→ 先日まで閲覧できたが、最近なぜか無効なリンクになっていた。
→ 2008年ドバイのディスコで健在振りを発揮した映像を発見 ◎ここ◎ (YOUTUBE)をクリック

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ボーイズ・タウン・ギャング

2010年01月08日 | ポップマニア
またもや、驚きの80年代。

ボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(Can't take my eyes off you)は、当時のディスコではどこでもかかっていて、一番盛り上がる曲であった。
原曲はフランキー・ヴァリがヒットさせた、などというのは調べた結果の孫引きでしかないが、ヴァリのオリジナルは映画「ディア・ハンター」でも使われていた。

ボーイズ・タウン・ギャングというバンド名は変だな、と思ったことはあったが、ボーカルが女性でもあり、深く考えることもなかった。

しかし、このバンドはゲイの人々をターゲットに見据えたバンドだったようだ。
知らなかった!
確かにプロモーションビデオで、ひげをたくわえてバックダンサーのように歌う男性二人を見ると、いかにもそれっぽい印象を受ける。
当時のシングルジャケットではマッチョな二人の上半身裸の写真がフューチャーされ、リードシンガーであるジャクソンの写真はない。

一人の女性シンガーであるジャクソン・ムーアに、男性のバックダンサー(トム・モーレイ、ブルース・カールトン)が踊っているというグループ構成で、厳密には「バンド」とは言えないのかも知れない。
80年代にディスコで流行ったグループというのは、仕掛け人がいて、その仕掛けのもとに出来上がったグループが多かった。
ボーイズ・タウン・ギャングも大のダイアナ・ロスファンであるDJ、ビル・モトリーのアイデアの下、サンフランシスコで作られた。
当初は地方のキャバレーシンガーだったシンシア・マンレーがボーカルを務め、2代目ボーカリストにジャクソンが参加した。バックが男性4人の5人構成を経て、3人構成に落ち着いた。

ロックというのは、反社会的な意識から生まれ、発展してきた音楽であるが、MTVを中心にロック自体が「体制」に組み込まれてしまった感のある80年代にあって、そのころはまだまだ反社会的であったゲイパワーは、その逆境ゆえに、きらめくような輝きを示していた。

ジャクソン、トム、ブルースは、その後の活動についてはよく分からないが、シンシアは今も元気にナイトクラブを中心に活躍している様子である。
仕掛け人のビル・モトリーはこの大成功により、モビー・ディック・レコードなる会社を設立し、会社のヘッドとなっている。

下記にyoutube版「君の瞳に恋してる」とシンシアのHPをアップしておきました。

君の瞳に恋してる

Cynthia Manley HP

モビー・ディック・レコードHP

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アラベスクとエニグマ

2010年01月08日 | ポップマニア
2010年初春にはびっくりさせられることが多い。

まず、アラベスクとエニグマ。
アラベスクというのは80年代に活躍した女性3人組で、ディスコブームに乗り、本国西ドイツよりも日本での人気が高かったというバンドである。
代表曲「ハロー!ミスター・モンキー」などは盆踊りのようにステップが決まっていて、みんなが振り向くところで、自分だけぼっとしていると、振り向いた前の人と目が合い、ばつの悪い思いをしたものだ(体験談)。
リードボーカルのサンドラ・アン・ラウアーはバンド名の通り、エキゾチックな顔付きで笑窪がチャームポイントだったような記憶だが、曲といい、振り付けといい、いかにも日本受けしそうな感じはする。

一方、エニグマというのは民族音楽とでもいうのか、一連のヒーリング・ミュージックで日本でも脚光を浴びた男女二人のグループである。
「リターン・トゥ・イノセンス」はベストセラーCD「Feel」にも収められ、多くの人が一度は耳にしたことはある曲であろう。耳に残るのはアーシーな男性ボーカルの声なのだが、囁くような歌を歌っているのがサンドラである。
エニグマの映像はイメージっぽいのが多くて、シンガーの映像もないので、なかなか、エニグマとアラベスクが結びつかない。
歌声を聴いても、まだ結びつかない。
きっと、ずっと結びつかないのだろう。

でも、アラベスクとエニグマの関係には驚いた。

下記にYoutubeのリンク先を書いておきました。
興味がある方はどうぞ。




フライデー・ナイト

リターン・トゥ・イノセンス


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