木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

武士の言葉

2015年04月19日 | 言葉について
江戸時代は、身分社会であったから、当然、武士の言葉遣いに関しても、厳格な規定があった。
規定というよりも、常識、あるいは暗黙の了解といったもので、破る者はなかった。
この辺りに事情は鈴木丹士郎氏の「江戸の声」に詳しい。
本書は、矢田挿雲の「江戸から東京へ」を引用して、江戸留守居役の言葉遣いを説明している。
古参の留守居役は、新参者を「貴様」、同輩を「お手前様」、他藩主を「お家様」、自分の藩主を主人、旦那様と呼ぶとしている。
新参者が古参者を「お手前様」などと呼ぼうものなら、大目玉を食らったそうだ。
また、別のところでは、家中の武士の二人称は「貴殿」、一人称は「身ども」が代表的だと書いている。
「わたくし」「それがし」なども使われるが、固い言葉であり、「拙者」も同様に改まった言葉である。
文尾も呼応しており、人称が「おれ」となると文末には「だ」や「じゃ」が、「拙者」の場合は「候」「ござる」、「私」「身ども」「それがし」らでは、「だ」「じゃ」「候」「ござる」が混在しているとしている。
勝海舟はべらんめい口調で有名だったが、私的な場では、武士も町人もあまり言葉遣いは変わらなかったようである。
特に、遊郭などへ行って武士言葉を遣うのは、田舎者とされたようだ。
殿様を「旦那様」と呼び、自分を「おれ」と言うのでは、武士のイメージとは違うが、実態はそんなものだった。

参考資料
「武士の言葉」鈴木丹士郎(教育出版社)
「東海道膝栗毛」十返舎一九(学研)

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山本周五郎氏の言葉

2011年06月20日 | 言葉について
自宅の近所にまぼろしのラーメン屋がある。
いつ行っても閉まっているのだが、ごくまれに開いている時があると思うと、そんな日は行列が出来ている。
いろいろ調べてみると、メニューが塩ラーメンしかない店で、雑誌に紹介されたこともあるらしい。
一回、行ってみたいと思うものの、いつ行っても開いていない。
客に権利があるように、店主の側にも当然権利はある訳で、もっと長く営業しろなどとは言えない。
料理に関してはアマチュアの私が言うのもおこがましいのかも知れないが、飲食店の店主がもっともうれしい瞬間は、自分の作った料理をお客さんが心から喜んでくれることではないだろうか。
種々の理由はあるのだろうけれど、冒頭のまぼろしのラーメン屋さんは、その至福の機会を自ら少なくしている。
もちろん、実はまずかった、などというなら、話は全く別なのだが。

先日、「人は負けながら勝つのがいい」という山本周五郎氏のエッセイを読んだ。

私がたとえば『将門』を書くといたします。私が『将門』の伝記の中で、私がこの分はかきたいと思うからこそ、―――現在、生活している最大多数の人たちに訴えて、ともに共感をよびたい、というテーマが見つかったからこそ、―――小説を書くわけでございます。
話がワキ道にそれるかも知れませんが、私は、自分がどうしても書きたいと思うテーマ、これだけは書かずにおられない、というテーマがない限りは、ぜったいに筆をとったことがありません。それが小説だと思うんです。


人が仕事をするのは、生きる糧を得るためではなく、自己を証明するためである。
料理人は料理で、画家は絵で、物書きは文で自己を主張する。
高尚な仕事も、低級な仕事もない。
与えられた仕事で困難が起きるときもあれば、絶頂のときもある。そんなとき、人間性が現れる。
小説を書く者は、小説の中で自己を証明すべきである。

山本周五郎氏は、「文学は最大多数の庶民に仕える」とも言っている。
小説を書く者は、「分かってくれる人だけが分かってくれればいい」という態度ではいけないと自戒した。
自分が胸に抱いた感動をどれだけ多くの人とシェアできるか。
成功したいとか、賞を取りたい、などということではなく、多くの人と感動を共にできれば、自ずと道はついてくるものなのだろう。

人生は負けながら勝つのがいい(山本周五郎)大和出版

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天井の花嫁

2010年02月12日 | 言葉について
天井の花嫁とは、何だろうか。
ホラー映画ではない。
ネズミの異称だそうである。

忌み言葉というものがある。
今でも、たとえば、スルメをアタリメと言い換えたりする。
あるいは、受験生のいる家庭では「滑った」などという言葉を使わないといった類である。
口にすると縁起が悪いとされるのが忌み言葉である。
時には、使わない訳にもいかない時があるので、その場合は言葉を置き換える。

ネズミは古来から、農作物に多大な被害を与える動物であった。
今でも駆除するには、苦労する。
ましてや、昔はもっと大変だった。
そこで、昔の人々はネズミを祀ってしまった。
ネズミを霊的なものとすることによって、祈祷や信仰で害を防げると考えたのである。
ここから発展して、「ネズミ」という言葉を発すると、ネズミの霊を刺激してしまい、ネズミの害が増えると考えた。
そこで、「ネズミ」の言い換えが生まれた。
冒頭の「天井の花嫁」もそういった発想から生まれた語である。
その他の置き換え語には、「嫁が君」「嫁様」「嫁殿」「姐っこ」「姫様」「福太郎」などがある。
ネズミがなぜ嫁関連の言葉に置き換えられたのは、寡聞にして知らない。

この忌み言葉には面白い例が多い。
猟のとき「犬」と口にすると、獲物に聞きつかれて逃げられてしまうと考えられたところから、漁師は犬を「へだ」「せた」「宍子(ししのこ)」などと置き換えたという。

また、江戸の吉原は、葦(あし)が生える土地柄であったため「葦原」となるところを、「あし(悪し)」を「よし」と置き換えた。

「蛇」も忌み言葉である。
噂をすれば影、のことわざのように、「蛇」と口にすると、蛇を呼び寄せてしまう、と考えたのである。
青大将なども、置き換えた言葉がそのまま通用するようになったのであろう。

樋口清之 「日本人の歴史・11(禁忌と日本人)」 講談社

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