江戸時代は、身分社会であったから、当然、武士の言葉遣いに関しても、厳格な規定があった。
規定というよりも、常識、あるいは暗黙の了解といったもので、破る者はなかった。
この辺りに事情は鈴木丹士郎氏の「江戸の声」に詳しい。
本書は、矢田挿雲の「江戸から東京へ」を引用して、江戸留守居役の言葉遣いを説明している。
古参の留守居役は、新参者を「貴様」、同輩を「お手前様」、他藩主を「お家様」、自分の藩主を主人、旦那様と呼ぶとしている。
新参者が古参者を「お手前様」などと呼ぼうものなら、大目玉を食らったそうだ。
また、別のところでは、家中の武士の二人称は「貴殿」、一人称は「身ども」が代表的だと書いている。
「わたくし」「それがし」なども使われるが、固い言葉であり、「拙者」も同様に改まった言葉である。
文尾も呼応しており、人称が「おれ」となると文末には「だ」や「じゃ」が、「拙者」の場合は「候」「ござる」、「私」「身ども」「それがし」らでは、「だ」「じゃ」「候」「ござる」が混在しているとしている。
勝海舟はべらんめい口調で有名だったが、私的な場では、武士も町人もあまり言葉遣いは変わらなかったようである。
特に、遊郭などへ行って武士言葉を遣うのは、田舎者とされたようだ。
殿様を「旦那様」と呼び、自分を「おれ」と言うのでは、武士のイメージとは違うが、実態はそんなものだった。
参考資料
「武士の言葉」鈴木丹士郎(教育出版社)
「東海道膝栗毛」十返舎一九(学研)
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規定というよりも、常識、あるいは暗黙の了解といったもので、破る者はなかった。
この辺りに事情は鈴木丹士郎氏の「江戸の声」に詳しい。
本書は、矢田挿雲の「江戸から東京へ」を引用して、江戸留守居役の言葉遣いを説明している。
古参の留守居役は、新参者を「貴様」、同輩を「お手前様」、他藩主を「お家様」、自分の藩主を主人、旦那様と呼ぶとしている。
新参者が古参者を「お手前様」などと呼ぼうものなら、大目玉を食らったそうだ。
また、別のところでは、家中の武士の二人称は「貴殿」、一人称は「身ども」が代表的だと書いている。
「わたくし」「それがし」なども使われるが、固い言葉であり、「拙者」も同様に改まった言葉である。
文尾も呼応しており、人称が「おれ」となると文末には「だ」や「じゃ」が、「拙者」の場合は「候」「ござる」、「私」「身ども」「それがし」らでは、「だ」「じゃ」「候」「ござる」が混在しているとしている。
勝海舟はべらんめい口調で有名だったが、私的な場では、武士も町人もあまり言葉遣いは変わらなかったようである。
特に、遊郭などへ行って武士言葉を遣うのは、田舎者とされたようだ。
殿様を「旦那様」と呼び、自分を「おれ」と言うのでは、武士のイメージとは違うが、実態はそんなものだった。
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「武士の言葉」鈴木丹士郎(教育出版社)
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