観海流は、武州浪人の宮発太郎信徳が紀州の能島流を基に編み出した水術である。
津には嘉永五年(一八五三年)に伝わっていた。
泳法は平泅(ひらおよぎ)を主としている。
現代のブレストと呼ばれる平泳ぎと似た泳法だ。
平泅(ひらおよぎ)は速度こそ出ないが、長い距離を少ない疲労度で泳げるのが、最大の特長。
なるべく水の抵抗を少なくするために水面と身体を平行に保つ現代競泳とは違い、身体の角度は水面に対して四十度程度に保ち、常に顔を水上に出して泳ぐ。
推進力は、もっぱら足によって得る。上下動しないように蹴る蛙足。
手は平たい円を描くような気持ちで運ぶ。水を搔くというよりも、掌で水を撫でる感じである。
海海流の命名者は津藩家老であった藤堂帰雲。
海を陸の如く観る(観海如陸)と帰雲が詠んだ句から名付けられた。
嘉永六年からは有造館でも教授されるようになり、正式に津藩の水術の流派となったのである。
全体にゆっくりと泳ぐイメージの古式泳法であるが、速く泳ぐ方法もある。抜き手という泳ぎ方だ。
抜き手は現在のクロールのように片手ずつ交互に抜き出す泳ぎである。
観海流には、一つ拍子抜手、三つ拍子抜手、諸抜手の三種類があるが、一つ拍子抜手は最も速度の出る泳ぎで、早抜手とも呼ばれた。
顔を上げたまま行う点、足はバタ足ではなく蛙足である点が現代のクロールの泳ぎ方とは最も違う。
観海流は、始祖・宮発太郎の後、弟子の山田省助によって発展していく。
明治期になっても、盛んだったが、スピード種目としての水泳競技が確立されるにあたって、古式泳法は西欧の泳法に速さの点でかなわず、急速に衰退していった。
しかし、プールで泳ぐ水泳とは違い、変化の激しい海や川で泳ぐ際に、古式泳法は有効である。
100mを何秒で泳ぐか、ということよりも、長距離を安全にしまも少ない疲労度で泳ぎ切ることのできる古式水泳は、再度見直されてもいい泳ぎだ。
阿漕にある宮発太郎の像
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泳法は平泅(ひらおよぎ)を主としている。
現代のブレストと呼ばれる平泳ぎと似た泳法だ。
平泅(ひらおよぎ)は速度こそ出ないが、長い距離を少ない疲労度で泳げるのが、最大の特長。
なるべく水の抵抗を少なくするために水面と身体を平行に保つ現代競泳とは違い、身体の角度は水面に対して四十度程度に保ち、常に顔を水上に出して泳ぐ。
推進力は、もっぱら足によって得る。上下動しないように蹴る蛙足。
手は平たい円を描くような気持ちで運ぶ。水を搔くというよりも、掌で水を撫でる感じである。
海海流の命名者は津藩家老であった藤堂帰雲。
海を陸の如く観る(観海如陸)と帰雲が詠んだ句から名付けられた。
嘉永六年からは有造館でも教授されるようになり、正式に津藩の水術の流派となったのである。
全体にゆっくりと泳ぐイメージの古式泳法であるが、速く泳ぐ方法もある。抜き手という泳ぎ方だ。
抜き手は現在のクロールのように片手ずつ交互に抜き出す泳ぎである。
観海流には、一つ拍子抜手、三つ拍子抜手、諸抜手の三種類があるが、一つ拍子抜手は最も速度の出る泳ぎで、早抜手とも呼ばれた。
顔を上げたまま行う点、足はバタ足ではなく蛙足である点が現代のクロールの泳ぎ方とは最も違う。
観海流は、始祖・宮発太郎の後、弟子の山田省助によって発展していく。
明治期になっても、盛んだったが、スピード種目としての水泳競技が確立されるにあたって、古式泳法は西欧の泳法に速さの点でかなわず、急速に衰退していった。
しかし、プールで泳ぐ水泳とは違い、変化の激しい海や川で泳ぐ際に、古式泳法は有効である。
100mを何秒で泳ぐか、ということよりも、長距離を安全にしまも少ない疲労度で泳ぎ切ることのできる古式水泳は、再度見直されてもいい泳ぎだ。
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