木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

「ももんじ」って何だ?

2008年07月20日 | 大江戸○×クイズ
問い:江戸時代まで日本人は、肉を食べていなかった。ウソ? 本当? 答えは、文末に。

幕末になるまで、日本人には肉食の習慣がなかったという。しかし、これは一般論である。日常的かつ広域的には肉は食べられてはいなかったが、一部の地方では肉が食されていた。たとえば、彦根。彦根では、牛皮を武具や道具に利用するため死んだ牛を解体する職人がいて、そこでは牛肉が食されていた。保存のための方法としては、干肉、味噌漬け、粕漬け、丸薬などが見られる。彦根牛肉は、将軍や大名にも贈答として用いられた。その常連としては、松平定信や寛政の改革を定信から引き継いだ松平信明などの名前が見える。また、面白いところでは、桜田門外の変で、井伊直弼を討った水戸藩の藩主徳川斉昭も2回ほど、依頼している。事件の十年ほど前のことである。近江では庶民も口にしていたが、滋養強壮が目的であったという。
では、豚肉はどうであろうか。これには橘南谿の「西遊記」に記述がある。

「安芸国広嶋の城下、其繁花美麗なる事、大坂より西にてはならぶ地なし。其町にぶた多し。形、牛の小さきがごとく、肥ふくれて色黒く、毛はげてふつつかなるものなり。京などに犬のあるがごとく、家々町々の軒の下に多し。他国にては珍しきものなり。長崎にもあれども少なし。是は彼の地食物の用にするゆへに、多からずと覚ゆ。唐土などには多く飼いそだてて食用にする事なり。琉球にも多しといふ」

一方、雑食の地、江戸などでは、肉食は、「ももんじ屋」という店で食べることができた。ももんじ(ももんじい)とは、尻尾のある妖怪のことである。まだ肉食忌避が一般的であったから、看板などには「山鯨」などと書かれていたという。今でも猪肉を牡丹、馬肉を桜などと呼ぶのは、その頃の名残である。
さて、ももんじ屋の内容を見てみると、

「麹町之獣は猪・鹿・狐・狼・熊・狸・かわうそ・鼬(いたち)・猫・山犬・鳶・烏・ウズラ、その他小鳥、搗鳥不逞計」 (名産諸色往来)宝暦二年(1749年)
と、何でもありのような状態になっている。鰻の蒲焼は、昔もそれほど手軽なものではなかったが、薬食いと呼ばれたももんじ屋は、手ごろな価格で魅力があった。
幕末になると、この手の店も増え、さらに、明治になると政府の奨励により、肉食が普通になった。
答え:△

「江戸東京辞典」三省堂
「西遊記」橘南谿
「彦根の食文化」彦根博物館