木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

トイレと落書き

2008年07月01日 | 江戸の風俗
問い:トイレの落書きには呪術的要素があった。ウソ? 本当?  答えは、文末に。

最近、トイレの落書きを見なくなったような気がする。トイレが綺麗になったせいなのか、啓蒙思想が功を奏したのか、ただ単に絵を描くのをめんどくさがる輩が増えたためか、理由は知らない。ひところまえは、見るに耐えないような下品な絵(中には思わず見入ってしまうような絵があったが)が描かれていたものであった。このトイレに春画を描くという習慣は、近代になってのものなのだろうか。江戸の長屋では、トイレは後架と呼ばれていたが、この後架にも落書きは頻繁に見られた。一人になって思考が発達するのであろうか。以前に、「トイレとは思考と蘊蓄の場である」という落書きがあり、感心したことを思い出した。最近、このトイレの落書きに言明している書物を見いだした。明治41年生まれの樋口清之という大御所の著書である。

 怪我をしやすい危険な場所に、その防止を願って、性の象徴を描くという習慣が日本にはあった。
 たとえば、日本人は、便所で風邪をひくものと思っていた。そこで、風邪をひかないように、便所に性画を描いた。今ではいたずらや落書きだが、昔は、病気の悪霊を防ぐために、真面目な気持ちで描いたのである。
 まだ私が青年だった頃、奈良市の友人が家を新築したので、新築祝いに、その家を訪れた。そこで、わたしはびっくりした。便所の小用側の新しい壁に、大きな女性の象徴が描かれていたからである。それを描いておかないと、家に魔物が入って困る、これを描いておけば、わが家は安全だ、というのである。(以下略)


この風習のため、トイレに卑猥な落書きが描かれるという伝統が続いているのだ、としている。最近、トイレの落書きが少なくなったような気がするのは、IT社会の世知辛い世の中では、悪霊もトイレにもおちおち出られなくなったからかも知れない。

答え:○


確かにこんなお洒落なトイレでは落書きもしずらい
TOTOのHPより

樋口清之「日本人の歴史(4)」 講談社

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コメント
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