問い:江戸時代、江戸の人口は2千万人であった。 ウソ? 本当? 答えは、文末に。
江戸時代、江戸は、当時のロンドンやパリをしのぐ世界一の人口であったと言われ、その数は100万人とも120万人とも言われている。100万人都市江戸というのが通説であるが、その根拠と言うのは、いかにも曖昧などんぶり勘定なのである。
天保三年の調査によると、町民は545,614人(男性297,356人、女性284,078人)であった。どんぶり勘定どころか、1人の単位まで把握されている。しかし、しっかり把握されているのは人口の半分の50万人である。残りは、僧侶と武家ということになる。町人は宗門判別帳というのがあり、はっきりと把握されていたが、僧侶と武士はその中に入っていなかった。江戸というのは、ごく初期と幕末を除くと天下泰平の世であったが、中身は一応、戦時中であったのである。であるから、諸藩の江戸屋敷に居住する武士の数は公開されるものではなかった。半分以上の中に流動的な転勤族たる武士がいたので、正確なところは推定の域を出ない。このことについて、大石慎三郎氏が、面白い資料を示している(青文は引用)。
江戸時代の人口についての学説は、おもしろいことに時代が下るほど数が少なくなっている。江藤新平といえば、東征大総督府監軍、江戸鎮台府判事として、江戸開城後の江戸市制に力を尽くした人であるが、彼は江戸の人口について、「江戸は人口三百万人と言われるが、この説は信用できない。実際は二百万人というのがよいところであろう。内訳は市民六十万、無籍者八万、士族百三十二万人で、合計二百万人となる」といっている。
この江藤説は明治初年のものであるが、大正の初年ころ吉田東伍という学者は、武家人口が132万人というのは多すぎるとし、幕末江戸に入ってきた米が140万石であることから「実際の総人口は140万人とするのがよい」としている。(一部抜粋)
昭和7年になって、都市学者今井登志喜は、「江戸の社会史的一考察」という論文の中で、江戸の人口に触れ、「もっとも多いときに、江戸の人口は100万を越したこともある、とするのがよいだろう」としている。
江戸時代の書物では、どうか。大石氏は、松浦静山の「甲子夜話」を引いている。
それによると、文化十二年(1815年)の江戸の人口は、
町方 532,710人
出家 26,090人
山伏 3,081人
新吉原 8,480人
武家方 23,658,390人
となっている。町人の数はいいとして、武士が2千3百万余人というのは、どうであろうか。
当時の日本の総人口が2500万人とされていた時代である。
これは、中国の白髪三千丈のような言い方ではないが、ある程度分かっていても、武士の数を正確に書くことをはばかった結果、このように大げさな数字で表したのではないだろうか。
このように、江戸100万人都市というのは、甚だ怪しい根拠の上に立っているのであるが、はっきりしているほうの町人は、面積にして約2割の土地にひしめきあって住んでいたのであるから、その過密度は、かなりのものがある。
過密度については、享保期の下記数字が参考になる。
武家地 16,816人/km2 (推定人口65万人)
寺社地 5,862人/km2(推定人口5万人)
町人地 67,317人/km2(人口60万人)
(内藤昌「江戸と江戸城」)
上記は、鬼頭宏氏の著書からの孫引きになってしまったが、氏は1995年度に日本でもっとも人口密度が高かった埼玉県蕨市の密度14,100人、二位の東京23区12,800人の数字を示して比較している。建物の高層化ができなかった江戸時代においての密度は、現代より更に高いものであろう。それにしても現代の5倍というのは、いかにも過密である。長屋にプライベートなどなかったというのも数字上からも実感できる。
ただし、細田隆善氏は、1987年の東京の過密度を16,479人/km2とし、江戸の町人区は、43,000人/km2としている。
数字については、書によりかなりブレがあり、そのブレ幅は、1両が現在通貨に換算していくらくらいか、というのと同じくらい大きい。詳細な数字は、あまり信用しないほうがいいのかもしれない。
代わって武士のほうであるが、江戸においては、上屋敷と下屋敷、それに加え、大きい藩では中屋敷を持っていた。延享三年(1750年)の萩藩でいうと、7000坪前後の屋敷3箇所に約2000人が住んでいたという。これを現代に直すと5階建て住居20棟分に相当ということになる。下級の武士は屋敷内の敷地に建てられた9尺2間の間口という町人並みの長屋に住んでいた。上級の武士を除けば、武士といえども、決して広々とした家に住んでいたわけではないのだった。
答え:×
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(参考文献)
大石慎三郎「大岡越前守忠相」 岩波新書
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」 講談社学術文庫
山本博文「江戸お留守居役の日記」読売新聞社
石川英輔「大江戸庶民事情」講談社文庫
平井聖「町屋と町人の暮らし」学研
細川隆善「江戸物語」ノンブル社
江戸時代、江戸は、当時のロンドンやパリをしのぐ世界一の人口であったと言われ、その数は100万人とも120万人とも言われている。100万人都市江戸というのが通説であるが、その根拠と言うのは、いかにも曖昧などんぶり勘定なのである。
天保三年の調査によると、町民は545,614人(男性297,356人、女性284,078人)であった。どんぶり勘定どころか、1人の単位まで把握されている。しかし、しっかり把握されているのは人口の半分の50万人である。残りは、僧侶と武家ということになる。町人は宗門判別帳というのがあり、はっきりと把握されていたが、僧侶と武士はその中に入っていなかった。江戸というのは、ごく初期と幕末を除くと天下泰平の世であったが、中身は一応、戦時中であったのである。であるから、諸藩の江戸屋敷に居住する武士の数は公開されるものではなかった。半分以上の中に流動的な転勤族たる武士がいたので、正確なところは推定の域を出ない。このことについて、大石慎三郎氏が、面白い資料を示している(青文は引用)。
江戸時代の人口についての学説は、おもしろいことに時代が下るほど数が少なくなっている。江藤新平といえば、東征大総督府監軍、江戸鎮台府判事として、江戸開城後の江戸市制に力を尽くした人であるが、彼は江戸の人口について、「江戸は人口三百万人と言われるが、この説は信用できない。実際は二百万人というのがよいところであろう。内訳は市民六十万、無籍者八万、士族百三十二万人で、合計二百万人となる」といっている。
この江藤説は明治初年のものであるが、大正の初年ころ吉田東伍という学者は、武家人口が132万人というのは多すぎるとし、幕末江戸に入ってきた米が140万石であることから「実際の総人口は140万人とするのがよい」としている。(一部抜粋)
昭和7年になって、都市学者今井登志喜は、「江戸の社会史的一考察」という論文の中で、江戸の人口に触れ、「もっとも多いときに、江戸の人口は100万を越したこともある、とするのがよいだろう」としている。
江戸時代の書物では、どうか。大石氏は、松浦静山の「甲子夜話」を引いている。
それによると、文化十二年(1815年)の江戸の人口は、
町方 532,710人
出家 26,090人
山伏 3,081人
新吉原 8,480人
武家方 23,658,390人
となっている。町人の数はいいとして、武士が2千3百万余人というのは、どうであろうか。
当時の日本の総人口が2500万人とされていた時代である。
これは、中国の白髪三千丈のような言い方ではないが、ある程度分かっていても、武士の数を正確に書くことをはばかった結果、このように大げさな数字で表したのではないだろうか。
このように、江戸100万人都市というのは、甚だ怪しい根拠の上に立っているのであるが、はっきりしているほうの町人は、面積にして約2割の土地にひしめきあって住んでいたのであるから、その過密度は、かなりのものがある。
過密度については、享保期の下記数字が参考になる。
武家地 16,816人/km2 (推定人口65万人)
寺社地 5,862人/km2(推定人口5万人)
町人地 67,317人/km2(人口60万人)
(内藤昌「江戸と江戸城」)
上記は、鬼頭宏氏の著書からの孫引きになってしまったが、氏は1995年度に日本でもっとも人口密度が高かった埼玉県蕨市の密度14,100人、二位の東京23区12,800人の数字を示して比較している。建物の高層化ができなかった江戸時代においての密度は、現代より更に高いものであろう。それにしても現代の5倍というのは、いかにも過密である。長屋にプライベートなどなかったというのも数字上からも実感できる。
ただし、細田隆善氏は、1987年の東京の過密度を16,479人/km2とし、江戸の町人区は、43,000人/km2としている。
数字については、書によりかなりブレがあり、そのブレ幅は、1両が現在通貨に換算していくらくらいか、というのと同じくらい大きい。詳細な数字は、あまり信用しないほうがいいのかもしれない。
代わって武士のほうであるが、江戸においては、上屋敷と下屋敷、それに加え、大きい藩では中屋敷を持っていた。延享三年(1750年)の萩藩でいうと、7000坪前後の屋敷3箇所に約2000人が住んでいたという。これを現代に直すと5階建て住居20棟分に相当ということになる。下級の武士は屋敷内の敷地に建てられた9尺2間の間口という町人並みの長屋に住んでいた。上級の武士を除けば、武士といえども、決して広々とした家に住んでいたわけではないのだった。
答え:×
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(参考文献)
大石慎三郎「大岡越前守忠相」 岩波新書
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」 講談社学術文庫
山本博文「江戸お留守居役の日記」読売新聞社
石川英輔「大江戸庶民事情」講談社文庫
平井聖「町屋と町人の暮らし」学研
細川隆善「江戸物語」ノンブル社