木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

江戸のツチノコ

2008年07月21日 | 大江戸○×クイズ
問い:江戸時代にもツチノコはいた。ウソ? 本当?   答えは、文末に。

橘南谿の「西遊記」を読んでいたら面白い項があった。
榎木の大蛇という項である。少し長いが、書き抜いてみる。

「肥後国求麻(くま)郡相良壱岐守殿御城下、五日町といへるところに、知足軒という小庵あり。其庵の裏はすなはち求麻川なり。其川端に大きなる榎木あり。地より上三四間ほどの所二またに成りたるに、其またの間うつろに成りいて、其中に年久しき大蛇住めり。時々この榎木のまたに出るを。城下の人々は多く見及べり。顔を見合すれば病むことありて、この木を通るものは頭をたれて通る、ことの常なり。ふとさ弐三尺まはりにて、惣身色白く、長さはわずかに三尺余なり。たとへば犬の足なきがごとく、又、芋虫によく似たりといふ。所の者、是を壱寸坊蛇といふ。昔より人を害する事はなしと也。予も毎度其榎木の下にいたりうかがひ見しかど、折悪しくてやついに見ざりき」

何だ、結局は見ていないのか、と思うが、これは江戸時代に野槌蛇と呼ばれたツチノコについての記述である。野槌蛇については「和漢三才図絵」にも記載がある。それによると、深山の木の洞に住み、大きいものは直径15cm、長さ90cmに及ぶという。頭と尾が均等で、口が大きく時々人を噛む、とある。坂より下る速度は非常に速いが、登る速度はゆっくりなので、この蛇に遭遇したら、高いところに登るのがよい、とアドバイスも書いてある。
これほど、伝統(?)のある蛇でありながら、正体不明というのは、不思議である。まあ、未知のロマンというのが世知辛い世の中にも必要なのかも知れない。

(ヨーちゃんの樹間暮通信社より借用)答え:○