木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

甲子園球場と鳴尾球場

2009年03月25日 | 日常雑感
高校野球が初めて開催された地は、甲子園球場ではない。
今は完全な住宅地になっている豊中である。
西宮が阪神線であるのに対し、豊中は阪急線であるが、大阪からの距離は西宮とさほど変わらない。
豊中球場で第一回の全国高等学校野球選手権大会(当時は全国中等学校優勝野球大会)が開かれたのは、1915年。
実に大正4年のことである。
豊中球場(豊中グランド)で大会が開かれたのは、1915年、1916年の2回でしかなかった。

その後は、今の甲子園から海側に行った場所に位置した鳴尾球場で開催されるようになる。
だが、鳴尾球場で大会が開かれたのは、第三回大会から、第九回大会まででしかない。
観客動員数の増加によって、鳴尾球場は手狭になり、1924年に新しい球場が造られた。これが甲子園球場で、この年から大会は甲子園へと場所が変更となった。
このときから、高校野球と甲子園球場の深い繋がりが生まれていく。
鳴尾球場があった場所は、現在の浜公園の近くであるが、ぽつりとレリーフを残すのみ。ひっそりとしていて、今では鳴尾球場に思いを馳せ人も少ないようだ。
タイガース二軍のグランドである「タイガース・デン」もこの近くにあるが、かつてあった鳴尾球場とは関係ない。

その甲子園も今年は装いも新たに新シーズンを迎える。
WBCで湧いた日本であるが、プロ野球の盛り上がりはどうなのであろうか。

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