木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

近藤勇の写真

2008年12月15日 | 江戸の写真
幕末から明治にかけては、目覚しい技術革新が遂げられた時期であるが、写真黎明期においても例外ではなかった。以前に書いた鵜飼玉川を筆頭に東では下岡蓮杖、西では上野彦馬の二人がプロカメラマンとして営業を開始しているが、その後、続々とプロのカメラマンが誕生している。
写真が伝わった当初は「魂が抜かれる」と言われて日本人に忌避され、日本に来た外国人が主な客であった写真であるが、次第に日本人の中にも浸透していく。
この頃に立志伝中の人物も数多く写真を撮影しているが、新撰組局長近藤勇もその中の一人であった。
当時の写真は誰が撮影したか、よく分からないものが多い。例えば、坂本龍馬のように、上野彦馬の下で修行中の井上俊三が撮影した、などとはっきりと言明できるものもあるが、逆に、よく分からない写真のほうが多い。
近藤勇の写真も同様である。
インターネットを検索しても、百家争鳴に近い状態で、どの説が正しいのか、混沌としている。中には、根拠なく断定しきっている記事もある。
そんな折、四ツ谷見附の「春廼舎(はるのや)」さんで、古写真研究家、森重和雄さんの講演があることを知り、喜び勇んで拝聴させて頂いた。
勉強不足の私にはかなり分からない点が多かったのだが、実証主義の氏の研究態度には深く感心させられた。
森重氏は、専門の研究家ではないが、とにかく「自分の目で見る」ということを大事にしている。
幕末の勇士の写真は、後にブロマイド的に流通したこともあり、構図的な切り取り、いわゆるトリミングが行われたケースも多かった。古写真研究家は、背景に使われる小道具、敷物、椅子などに着目するという。椅子の形、ときには、椅子についた傷などという「点」を手繰って、この写真とこの写真は同じ場所で撮影されたという「線」に結び付けていく。
その時、このトリミングは邪魔でしかないと森重氏は語る。
だが、トリミングが行われている写真はオリジナルではないことが分かる。
近藤勇の写真も、親族である佐藤氏の家に伝わる写真はオリジナルではないと言う。この辺りは、実際に現物を確認した氏の話であるから、説得力がある。
結論から先に述べると、近藤勇の写真は、「京都の堀與平衛の写真館で慶応二年に撮影されたもの」が森重氏の結論である。
この根拠については、敷物の柄が堀の写場のものと同じであるとしている。
氏は、この根拠だけではなく、撮影時期の特定もされている。新撰組の隊員川村三郎の子孫の方と面談して、「近藤勇は大与という写場で撮影した」と伝えられていることもつきとめている。
「大与」とは、堀の写真館であるということで、裏付けも確認できたとしている。
今の世の中は便利になって、インターネットで全てが分かる、と思っている人も多いと思うが、現地に行かないと分からない匂いがある。
実証主義ということを再考させられた一日であった。

春廼舎HP

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (木村謙之介)
2009-08-19 23:52:05
貴重な連絡をありがとうございます。近日中にまたブログの中でも取り上げさせていただきたいと思っています。今後もよろしくお願い致します。
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Unknown (森重和雄)
2009-08-18 13:14:20
木村さん

こんにちは!
「近藤勇の写真について」の論文は京都の霊山歴史館の紀要に発表し、京都の堀与兵衛撮影であることを証明いたしました。
その詳細は下記の紀要をご覧くださいませ。

http://www.ryozen-museum.or.jp/NEWS-202.html
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