高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

囲碁

2007年05月07日 07時47分20秒 | 家族

20070505181645 今年のゴールデンウィークほどゆっくりしたのは久しぶりである。子供と過ごした時間もたっぷり取れた。昨日は長男クルムの時のPTA仲間がそろって、当の本人達は居ないのに3夫婦で夜遅くまで我家で宴会。

下の子供と「五目並べ」、一応私が白で良い勝負である。ついこないだまでは最初に2目置いて、ハンデキャップを与えて良い勝負だったのだが、最近は気を抜くと白黒が変わる時もある。本当は囲碁をさせたかったが、私の教え方が悪くなかなか入り込んで来てくれない。

私が囲碁を覚えたのは、妻と知り合った頃、妻のお母さんが囲碁をすると聞き、「将を射ようとすれば、馬を射よ」のようにお母様と仲良くなれれば楽しいな‥とそんな動機で始めたのである。丁度その頃、広島県竹原市の職業訓練校で竹を教えていた時期である。生徒さんは高齢者が対象で囲碁を教えていただくには丁度良い、対戦相手も事欠かない。当時の校長先生も囲碁が好きで毎日、学校が終わると1局打って頂く。元来がはまり込むタイプなので囲碁の本を古本屋で見つけては買い込み、(この当時はお金がなかったし、囲碁の本は新しいものも古いものも内容はほとんど変わらない)毎週日曜日はNHKの囲碁対極を見て、1年くらいで自称、初段くらいまで 上達した。 今は対戦相手がいないので、まったく打つことはない。当初の目的のお母様とは妻が「喧嘩になるといけないから」といわれて1,2回打っただけである。ナンノコッチャ。

将来、海外移住でもした時に囲碁の本を持ち込んで楽しむ時が来るのかも知れない?

あー、本当にゆっくりしたゴールデンウィークでした。感謝、感謝。

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忙中、閑あり

2007年05月06日 07時06分30秒 | 映画

Pim0001_2 今年のゴールデンウィークは久しぶりにゆっくりさせて頂いた。寮に入った中学1年の次男坊が帰ってきて、やはり彼のために仕事はなるべくせず、家族の時間を大切にしたかった。

昨日もラグビー部に入った子供のため、慣れないラグビーボールのチャッチボール。しかし、ラグビーボールって思っているより硬い。突き指をしてしまった。一緒にランニングをしても逆にもう付いていけなくなっている。子供の成長は本当に早い。

子供と遊んだ後、そろそろ元気を出してきた草を駆らなくては、と草刈り機を引っ張り出し一汗かいた。昼からビールを飲み、昼風呂に入る。風呂の窓から見えるのは新緑に飾られた木々たちと鳥の声。幸せな一日であった。

今日はあいにくの雨、職人さんのだれも来ないので久しぶりにビデオ三昧。ちょっと前の映画であるが、マット・ディモン主演のボーン・アイデンティティとボーン・スプレマシーを続けてみた。これも、SFXのない生のアクションで小気味が良い。この映画は是非ともお奨めである。

昼からビールを飲んで、ビデオを見てうたた寝をしてほんと、久しぶりにゆっくりしました。一年中、仕事に追われているよりはこんな時間も必要ですよね。

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父を尋ねて3000里  6

2007年05月05日 06時33分13秒 | ルーツ探し

Cimg0060 ルーツ探しの沖縄旅行も無事終えることが出来ました。沖縄滞在中何かと面倒を見ていただいた従兄弟の康彰さんありがとう御座いました。

沖縄から帰った後、妹の結華に手紙を書きました。同じように、ここまで来た経過と現在の私の紹介、判り易いようにテレビで放映された私の番組などを送りました。

Cimg00845月のゴールデンウィークに3人の子供を連れて私の家に遣って来てくれました。私の家族と妹の家族が揃って。彼女が生まれて一週間位の時、親父が亡くなっている。昔のポックリ病、今で言うところの心筋梗塞ではないか?と思う。彼女も父親の感触が無く、ただ、40年間財布に親父の写真を入れているそうだ。

従兄弟の康彰さんから聞いた時は「何のことやら、何を言っているのやら判らずパニック状態になった」そうだ。しかし、会って見たいという気持ちもあり、恐る恐る今回の対面になったのだ。彼女が40年間大事に持っていた父親の写真と今回私が送ったビデオの私の顔がそっくりで涙が出て止まらなかったそうだ。

Photo_59募る話もあり、その日は遅くまで二人で親父のこと空白になっているお互いの思いを埋めることに話しはつきなかった。なぜ、親父は家を出たのだろう?その一番の疑問も判ったような気がする。

Photo_60 これは彼女が持ってきた親父の子供の時の写真だが、これは私の長男クルムの顔にそっくり、血は連綿と繋がっているのだとつくづく思う。

これで「父を尋ねて3000里」は一応一区切り。また、続きは数年後に。

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父を尋ねて3000里  5

2007年05月04日 00時19分13秒 | ルーツ探し

Cimg0054 ここが親父たちが戦前に住んでいた番地に当たるところである。今は開発されてしまって昔の面影はまったく無いらしい。

今回の「男の旅」では思いもかけない出来事が持ち上がった。自分の腹違いの兄弟が見つかったのだ。私が1歳の時家を出てしまった親父は、それから数年後、他の女性と一緒に暮らし二人の子供を儲けたらしい。叔父様の家とその家族は親交があり、連絡を取っているという。そこへ振って湧いたような40年間連絡の無かった私が訪ねて来たのだ。その「結華」という妹に連絡しようか?と言う。  「ちょっと待って下さい。」「その人にも今の家庭があり、突然こんな話が舞い込んでくると どんな思いになるかわからないので、まず、康彰さんから連絡を取って頂き、「もし、彼女が会いたい。」と言ってくれたら、私の方からお手紙を書きます。」という事になった。Cimg0059

那覇市内で三日過ごし、私は始めての自分の親戚に会えて興奮気味。しかし、連れまわされる小学校5年生のシンラはつまらなくて仕方が無い。まー、これも無理もないか、メインは「親父と二人で旅をする」ということなので、那覇を出てからはシンラがナビゲーターになり水族館に行ったり、観光地を回りリゾートホテルで2泊して沖縄旅行を終えた。今回は私の気持ちばかりが先走ってしまい、当の本人シンラの気持ちを考えることが出来ず、少し反省。

Cimg0068 つづく

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父を尋ねて3000里  4

2007年05月03日 05時12分26秒 | ルーツ探し

  Cimg0046 叔父様から電話連絡を受けてから2ヵ月後、ようやく次男シンラと二人で「男の旅」を決行した。まだあどけなさが残る5年生。

2月だというのに沖縄に着いたら半袖でも良い位暖かかった。空港についてレンタカーを借り、那覇市内へ。沖縄には鉄道が無いため移動はもっぱら車になる。ホテルに荷物を置いて早速、市内を散策。色鮮やかな看板が同じ日本とは思えない雰囲気だ。夕方になってホテルに来て下さったのは康政叔父さんの息子、私からみると従兄弟になる「高江洲康彰」さん。ついに辿りついた私の肉親だ。Cimg0049

病気で入院されている叔父さんの所に案内された。年はもう90歳だが全然ボケたところも無く父親の若かった頃の話や私のお爺さんの事など、どんな所で育って、子供の頃の親父はどんなだったのか?他の親戚の方の事、などなど話は尽きない。ありがたいことだ。今まで空白であった自分の片方のルーツが繋がった。

あまり、長時間の面会も出来ないので病院を出た後、叔Cimg0050 母様に御挨拶するため家に向かった。今回、休みを取って沖縄を案内してくれた従兄弟の康彰さんと叔母様。

翌日、もう一度病院の叔父様にお話を聞かせてもらい、那覇市内の観光をした。その時、康彰さんが「結華ちゃんに連絡取った?」と言う。「エッ、誰ですか?」「妹の結華ちゃんだよ」「???」   実はこの時判ったのだが、私に腹違いの兄弟がいることが判った。

つづく

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可愛いお客様

2007年05月02日 18時40分13秒 | 友人

_008_7 大分市から鉄の造形作家の藤永さんがやって来た。もうこの人とも20年以上のお付き合いである。一番始めて、会った時はお酒の席でからまれて(飲むとちょっと癖が悪かった)「お前はなんか出来すぎている、こらっ。」とか言われたりして。少年の感性をそのまま今でも持続している人だ。彼の作り出す作品は思わず人を唸らせるものがある。力強くてなんでこんな捕らえ方ができるの?本当に感心する。九州でもナンバーワンの造形作家だと思う。横浜の赤レンガ倉庫で個展をしたり、知る人ぞ知る、存在だ。

_014_6_020_2 足を広げると4メートルくらいある蚊を作ったり、写真のようなアンコウ、シーラカンス。凄い発想である。

嬉しいことに彼の娘さんが私の「工房を見てみたい」とリクエストがあり、やって来たのだ。一番下の娘のひとみちゃんはしっかりした子で大学の学校見学のツアーを利用して、東京までの旅費を浮かし、学校見学の合間に就職活動をして、現在東京_003_8 で内装関係の仕事をしている。たいしたもんである。

こんな娘さんが世の中にどんどん羽ばたいて活躍してくれるといいな。今日は上のお姉ちゃんと私のバッグを持って記念撮影。「いつか、こんなバッグがもてるようになりたいね。」と、頑張ってね。私の工房にもこんな爽やかな笑顔は大歓迎。

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_005_6

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父を尋ねて3000里 3

2007年05月02日 05時50分45秒 | ルーツ探し

Photo_58 「あなたの叔父さんを知っている人が見つかりました」早速、教えて頂いた連絡先に電話をしてみた。「もしもし、新田さんですか?」「わしゃー、耳が聞こえんで息子に代わるわー」「いえー、おじいちゃんに聞きたいことがあるんですが?」 暫くすると息子さんが出られた。息子さんにここまでのいきさつを話し、通訳していただき、後ほど返事を貰うことになった。もどかしいが御高齢のため仕方が無い。

10分後電話があり「高江洲康有さんはもう亡くなってます。」 「あー、やっぱりそうか」残念であるが仕方が無い、ここまで判っただけでも儲け物。「しかし、康有さんの弟になら連絡が取れますよ」「えっ!本当ですか?」私にとっては「康有さん」でも下の叔父さんになる「康政さん」でもどちらでも良かったのだ。たまたま手がかりがあったのが「上の叔父さんが高校野球の監督をしていた」という事だったのだから。

ついに、自分のルーツにたどり着いて来た。下の叔父さんの連絡先を教えていただき丁重にお礼を言って電話を切った。

12月になって初めて高江洲康政さんにお電話をした。「突然の電話でびっくりするかも知れませんが、私は40年前に亡くなったあなたの弟、「康吉」の息子です。」エッ!」暫く絶句‥‥。突然のことで会話がつながらない。最近は人を騙す「オレオレ詐欺」みたいなことがはやっているため、改めてお手紙を書くことにした。

File0003 これまでの経緯と安心していただくため現在の私のプロフィール、そして1枚だけ残っていた私が生まれた時の家族写真を同封した。この写真が証拠となるため。自分の弟の写真だから。

数日後、康政さんからお電話を頂いた。

「是非、沖縄に遊びに来なさい」   つづく

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父を尋ねて3000里 2

2007年05月01日 05時52分13秒 | ルーツ探し

Photo_57 那覇高校の校長さんに手紙を書いた。こういうことは早急に電話で問い合わせるより、文面にして相手の方にもゆっくり判断していただいた方が良いと思ったからだ。我家のルーツ探しを兼ねて子供と「男の旅」をする趣旨などを書いた。

その結果、高江洲康有さんは沖縄水産高校出身という事が判り、また同じように今度は沖縄水産高校の校長さんに手紙を出した。数日後、校長先生よりお電話を頂き、「たまたま今年沖縄水産高校100周年の大合同同窓会をするそうだ。今の所,高江洲康有さんのお名前は名簿に無いのだが、同窓会に当時の方もお見えになると思うので聞いてみましょう」と言って頂いた。

もう亡くなっているかも知れない?年からいくともう90歳以上になるのでそれはそれで仕方がないかな?と思っていた。

11月になり、また、校長さんからお電話があり「あなたの叔父さんを知っている人が見つかりました。」     つづく 

竹工房オンセ

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