高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

4月29日(木・祝)の様子

2021年04月29日 14時23分50秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆雨のち曇り

◆9℃

 

しばらくぶりの更新です。

3,4ヶ月間ブログを更新しないうちにページビュー率が1/3まで減少してしまい、楽しみに見てくださっている方には申し訳ありません。

今年は気候不順なのか、桜の開花が一週間くらい早く、豊前坊のヤマザクラも4月2週目くらい開花したものの、急に気温が下がり冬日となったことも。

初夏の装いになって、ようやく気候と季節感の釣り合いとれるようになったかなという感じでしょうか。

いまだ治まらぬ不穏な情勢に不順な天候が重なり、なんとなく書く気持ちが起こらなかったのですが、季節がはっきりしてきたのでぽつりぽつりと書いていきたいと思います。

 

何か豊前坊らしい景色はないかと被写体を探していると、雨降り後の天狗杉が存在感を放っていたので撮ってみました。

階段からあおるように撮影することはありますが、ここから横構図で撮ると胴の太さが際立ちますね・・・

濡れて色濃くなった樹皮と苔に、紙垂の白さが際立っていたのが面白く撮ってみました。

 

同じ場所から縦構図で、樹冠が写るように下からあおって撮影。

鬼杉や後家杉からすればまだ若い杉の部類。

まだこれからも成長を続け、この場所を見守ってほしいものですね。

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3月27日(土)の様子

2021年03月27日 12時50分03秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆8℃

 

平成29年7月の九州北部豪雨の被災によって廃駅となったJR彦山駅。

沿線自治体とJR九州が数年かけて話し合った結果、BRT(高速バス輸送システム)の導入に合意決定したことは記憶に新しいと思います。

それに伴い、先日、JR彦山駅舎を撤去するニュースが発表され、解体される前に記録に残そうと撮影に向かいました。

駅舎に向かうと、すでに線路が撤去された状態。思った以上に作業は着々と進んでいるようです。

日田彦山線はディーゼルエンジン式のいわゆる気動車という車輌。小倉-夜明間という長距離を、トンネルを越えて移動するのに最も適した鉄道形式だったのでしょう。

汽車が走ってないとはいえ、路線内に足を踏み入れていいものか躊躇してしまいます。

 

廃止されて久しいものの、現在も誰かに利用されているような雰囲気が漂っています。

鉄道の代わりにJRバスが運通されているので、町バスとの待ち合わせに使われているからかも知れません。

ここにいると、不思議と汽笛の音が聞こえてきそうな気がします。

 

鉄道利用の登山者を迎え入れる英彦山案内板。

昭和中期の面影が漂うイラスト。当時はスキーやスケートなど、冬のレジャー地としても知られていたのが伺えます。

 

下の画像は季刊誌『のぼろ』2013秋号に掲載されている、西日本新聞社所蔵の英彦山写真。

昭和36年(1961年)の第一次登山ブームで賑わう彦山駅の様子。

1950年代のヒマラヤ最高峰群の初登頂ラッシュが続いたことにより、登山ブームが巻き起こったそうです。

たった2台の彦山行きバスに乗るため、蒸気機関車から降りた登山客たちが急ぎ足で停留所に向かっているところ。

 

こちらの画像は、昭和27年(1952年)の英彦山キャンプ村の一コマ。

当時の交通事情やアクセス方法を考えると、けっこう大変な移動だと思われますが、おしゃれな服でほがらかにキャンプを楽しんでいる様子が写されています。

戦後にこうして登山といった娯楽に興じる人々が増えてきたというのは、少しずつ生活に余裕が出てきた証なのかも知れません。

 

 

こうして多くの旅客を運び親しまれてきた日田彦山線も、近年の利用者減少に歯止めはかけられず、少数の利用住民のために大きな費用をかけてまでの鉄道復旧は叶えられなかった訳です。

モータリーゼーションという産業革命以降、人間の足が鉄道から自動車にとって変わられた日から、いつか訪れることが決まっていたのかも知れません。

  

撤去された枕木。

またどこかで再利用されるのか、きれいに積み重ねられています。

廃駅の一部がどこかで何かに利用されるのかと思うと、寂しさも少しは和らぐことでしょう。

開業以来、多くの人々を迎えては旅立ち、数多の人生模様を見守り続けたその駅舎も、いよいよ終わりを迎えようとしています。

惜別とばかりに舞い散る桜も、この駅舎とともに眺めるのは最後です。

 

BRTの駅舎が新しく誕生するのか現段階では分かりませんが、蒸気機関車から鉄道に変化したときのように、鉄道から別の移送機関に変わっても、車窓から見る景色が誰かの思い出となることを願っています。

 

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1月18日(月)の様子

2021年01月18日 14時24分43秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆曇りときどき雪

◆-4℃

◆路面状況・・・豊前坊駐車場、高住神社境内は激しく凍結した残雪(冬タイヤ規制)

 

福岡県下に緊急事態宣言が発出されました。

期間は1月14日~2月7日までとされますが、感染状況次第では延長される可能性もあり得るかも知れません。

第三波と呼ばれる感染拡大に、感染力の強い変異株(種ではなく株だそうです)の発覚など穏やかではない状況ですが、ワクチン接種に期待しつつ、一人ひとりが堪えるほかありませんね。

 

さて、気温がぐっと上がりきらずに残雪が根強く凍結している高住神社ですが、今日は冷たい風と空気に乗って、粉雪がちらついています。

この感じからすると、またそれなりの雪へとなりそうですね。

今年の厳冬とコロナ自粛で参拝を控えている方のために、お正月縁起物を節分以降も授与できるようしております。

 

写真は雪の中でも飛び回る小鳥たち。

こちらはジョウビタキ。

こちらはヤマガラ。

せわしなく動き回る小鳥を撮るのは難しいですね。

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1月15日(金)の様子

2021年01月16日 13時01分43秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆曇り

◆4℃

◆積雪量・・・30cm~

 

「(平地は)雪が溶けたけど、上がれるかい?」というお問い合わせがきます。

残念ながら、まだ雪の世界なのが英彦山。

気温が氷点下を上回り、屋根の雪が溶けて落ちてきたりとしていますが、60cm以上積もった雪はそう簡単に溶けません。

踏み固められた雪はなおさらで、何度か除雪車が入りましたが全て取り除くことは難しいようです。

まだしばらくは雪用タイヤ規制が続くことでしょう。

豊前坊へお越しの際は、くれぐれも雪用タイヤとチェーン装着でお願いいたします。

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1月11日(祝)の様子

2021年01月11日 15時09分58秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆雪

◆-5℃

◆積雪量…50cm

 


朝もやが立つ彦山川。

停滞した雪雲が遠去かり、気温が少しずつ上がり始める兆しでしょう。

北国の風情ただようこの景色もそろそろ見納めですね。

今日は成人の日ですが、コロナ対策で式典を中止や延期する自治体や、成人式への参加を控える呼び声が起きている様子。

田川市郡では前日10日に成人式を行ったようで、参加者が適度にいる地域とあってか、十分に感染症対策に配慮した上で開催することができたようです。

しばらくすれば市政たよりや町報を通じて、新成人の晴れ姿と笑顔を見られることでしょう。

 

さて、成人式がいつから行われるようになったのか。

戦後間もないときにある地方の町で始まった青年団による成年式がルーツとされ、それが全国に広まり、昭和23年の祝日法によって毎年1月15日「成人の日」と定められたとのこと。

「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日として、各自治体主催のもと、祝賀の式典を行うようになったのが今の成人式の流れのようです。

今取りざたされているのは、ウイルス感染拡大を防ぐために集会を控えよという理由ですが、たしかに密になる機会を設けることへの是非は問われる内容でしょう。

しかし中には、「分かっていて行くのは、大人としての自覚が足りない」とか、「成人式は歴史が浅いからしなくても良い」といった論調で語る人もいて、それはいかがなものかと疑問に思うところです。

 

成人式を掘り下げれば、男子の「元服(げんぷく)」、女子の「成女式」に至ります。

元服とは15歳になった男子が行う儀式で、大人の服を着るとともに冠をつける(加冠)の歳。

髪を切って烏帽子をかぶり、刀をもらって成人としての名前をもらうことが許されたのです。そして元服すると神事に参加することが許され、社会教育を受ける。民間にあっては大人の着衣であった褌(ふんどし)の着用ができることから褌祝いなどとも呼ばれるものがありました。

一方、女性はというと13歳前後で成女式となるものが行われ、髪を結い、笄(こうがい)を髪に差し「髪上げの儀」などと呼ばれました。

さらに振り袖から留め袖に着替え、針仕事を習うようになります。お歯黒や眉毛を剃り落としたり、初めて腰巻きを付けることから「湯文字祝い」といわれたそうです。

これらは通過儀礼のひとつですが、日本文化をみると「髪」というのは成長過程を示す重要なファクターで、霊性と深く関わってきます。産まれてからは男女ともに剃り上げ、三歳の髪置の儀でようやく髪を生やし、それ以降は切り揃えたりと童児の髪型・禿(かむろ)で過ごし、元服をもって成人の髪型となります。七つまでは神の子と呼ばれるように霊魂の不安定な幼児期から"人"として完成する「成人」まで、様々な通過儀礼を重ねてやっと人間として認められるようになります。ですから髪型というのは、幼児から童児、大人へと段階を経て変化してゆくものなのですね。

時代とともに元服や成女式の内容は変化していきますが、身体の大人化が進む頃に行われるものであり、それを目に見えるかたちで整えていったということでしょうか。

大人の仲間入り、つまり「一人前」として認めてもらえるというのは、とても喜ばしいものだったようです。

 

そうした儀式は宮中や貴族社会では1月5日までに、武家社会では1月11日までに行われたようで、ハレの儀式であることから大正月に近い日を選んだのでしょう。

昭和23年に制定された「成人の日」が1月15日とされたのはこれがベースにあり、正月行事と重ならないよう松の内に当たるこの日を選んだと説明されています。

この1月15日という日もまた小正月であり、青年の前途を祝うハレの日にふさわしい日です。

現在は平成12年の改定によって、1月の第二月曜日となりましたが、本来はこうした「大人社会が成人として認め迎え入れる場」が起源という訳です。

 

今と違って平均寿命も短く、また成人条件も異なっていることから元服と現在の成人式を比較できないように、社会進出の年齢、就学・就職の変化、大人の条件の考え方といった違いさえも数十年前と変わってきているわけですから、成長への通過儀礼の機能を失わせてきた社会にも問題があると考えれば、成人式をイベントとして迎えるからといって彼らばかりを責めるのはおかしな話です。

一人前と認めるのは大人社会の視点。受け入れる我々側の問題でもあります。かつて元服や成女式といった儀を通して社会教育や性知識を学ばせたものの、現在は民法をもって成年年齢を定めているだけです。成年をとっくに迎えた自分自身が、かつて想像し得た成熟した「大人」に達しているか振り返る時があるように、何かの節目で少しずつ大人になるのを実感していくのではないでしょうか。

成人式に出席しようとせずとも、二十歳という節目をもって彼ら自身が大人を自覚しようとしている最中、それに水を差す真似は決してせずに、祝福することで心に込み上げる感情を忘れさせないように、そして大人への成長過程で今日という通過点が思い出として人生の支えになるよう祈念いたします。

(参考文献:『祝祭日の研究ー「祝い」を忘れた日本人へ』産経新聞取材班 2001年 角川書店)

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