本日の高住神社の状況です。
◆晴れ
◆-2℃
◆積雪量・・・2~3cm
昨日は節分だったので豆まき用に入り豆を買いに行ったのですが、どこにも見当たらず、代わりに季節コーナーにはひな祭り商品が。
あれ?いま3月だっけ?と思いながら店員に尋ねてみると、節分商品はすでに売り切れたとの弁。
まあ大豆が原料なのは同じだし・・・と、『揚げ枝豆』と書かれた菓子(三角形の袋のやつ)を選んで、それから総菜コーナーへ。
お目当ての恵方巻にはわんさと買物客が群がっていて、すぐそばで店員が補充をするくらい人気商品となっていました。
恵方巻なんて商業主義の産物だ、作られたブームだなんて言っているうちに少しずつ浸透しているようですが、それでも全国的にはまだまだの様子。
恵方巻コーナーに何食わぬ顔して便乗している納豆巻きをついカゴに入れてしまったのは出来心。
さて、節分のウンチクはところどころで書かれているでしょうが、なぜ大豆なのかをちょこっとだけネットで調べてみました。
古代日本人は穀物には穀霊(こくれい)といって霊魂が宿ると考え、稲なら稲霊(いなだま)というように豊凶を作用すると信じてきました。
大豆はいわゆる五穀(米・麦・粟・豆・黍もしくは稗)として重用された穀物であり、律令国家において陸田に植えることを奨励されたとのこと。
こうした命の糧=生命力の源=種子に宿る霊力として、豆の持つ呪力にあやかったという説があるようです。
では「炒り豆」なのはなぜか?というと、五行説に由来するというもの。
木火土金水のうち、金属など固いものは金気のものとされ、大豆は金気(陰)の象徴から、火で炒ることで春の障りになるものを痛めつける、“火剋金”の五行相克思想から鬼(陰の象徴)を打つという名目で豆(陰気)を棄てるだとか。
ほー。そんな理由があったのですね。
ですが、五穀を五行に充てると豆は水に属していると・・・。うーむ、金気と水気、一体どっちなんでしょう?
それに今とは違い食物が乏しかった時代、いずれ発芽する生豆ではなく入り豆を捨てるのはもったいない行為にも。拾って食べたのですかね?
なんて考えたらキリがないのですが、節分には豆まきがつきもの。
いずれにせよ、昔の人は何らかの意味を持ってしていたことには違いありません。
ということは大豆加工品である納豆巻きを節分に食べてもいいのでは?と納豆だけに納得。
おそまつ。