
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
急逝する五週間前に、銀座百店会の忘年句会で書かれた句。したがって、辞世の気持ちが詠みこまれているとする解釈が多い。万太郎は妻にも子にも先立たれており、孤独な晩年であった。そういうことを知らなくても、この句には人生の寂寥感が漂っている。読者としても、年齢を重ねるにつれて、だんだん淋しさが色濃く伝わってくる句だ。読者の感覚のなかで、この句はじわじわと成長しつづけるのである。豆腐の白、湯気の白。その微妙な色合いの果てに、死後のうすあかりが見えてくる……。湯豆腐を前にすると、いつもこの句を思いだす。そのたびに、自分の年輪に思いがいたる。けだし「名句」というべきであろう。『流寓抄以後』(1963)所収。(清水哲男)
湯豆腐に乏しき会話気にならず たけし
湯豆腐や箸ふれてより五十年 たけし
湯豆腐の富士百年水をかみしむる たけし
湯豆腐や雪になりつつ宵の雨 松根東洋城
湯豆腐や障子の外の隅田川 吉田冬葉
湯豆腐や若狭へ抜ける京の雨 角川春樹
湯豆腐の一つ崩れずをはりまで 水原秋櫻子
湯豆腐にうつくしき火の廻りけり 萩原麦草
こころいまここに湯豆腐古俳諧 石田小坡
湯豆腐に海鳴り遠くなりにけり 鈴木一枝
湯豆腐や男の嘆ききくことも 鈴木真砂女
湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの 渡辺水巴