
牡丹雪紺碧の肉天奥に 大原テルカズ
春先にひらひらと舞う牡丹雪。大きな雪片が牡丹の花びらに似ているのでこの名がついたのだろう。「牡丹」という言葉に触発されて雪でありながら紅が連想され不思議に美しい。牡丹雪が降ってくる空は重たい灰色の雲で覆われてはいるが、その奥に青空の一部が覗いている。説明してしまえばそれだけだが、この句は景を描写しているのではない。仕掛けられた言葉の連想の背後には作者の存在が光っている。「紺碧の肉」は青空の表現としては異質であるが、内面の痛みを読み手に感じさせる。牡丹雪を降らせる雲の切れ目は彼自身の心の裂け目なのだろう。「彼が秘かに貯えてきた多くの財宝─幼なさ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、独り、独善、恣意と彼が呼ぶところのもの」を俳句に結晶させた。と、句集の序文で高柳重信が述べている。戦後の混乱の暮らしの中で彼自身が掴み取った精神の履歴が、従来の俳句に収まらない言葉で表現されている。「ポケットからパンツが出て来た淋しい虎」「血吐くなど浪士のごとしおばあさん」作者にとって俳句は混乱した現実を自分に引き寄せる唯一の手段であり、句になった後はもはや無用と振り返ることもなかっただろう。『黒い星』(1959)所収。(三宅やよい)
【淡雪】 あわゆき(アハ・・)
◇「牡丹雪」 ◇「綿雪」 ◇「沫雪」(あわゆき) ◇「泡雪」(あわゆき) ◇「たびら雪」 ◇「かたびら雪」
春に降る柔らかで消えやすい雪。積もっても溶けやすい。「牡丹雪」「綿雪」「かたびら雪」などと言う。
例句 作者
淡雪のかかりてゐたる和合石 伊藤通明
淡雪や訪はむに誰もやや遠く 岡本 眸
淡雪のうしろ明るき月夜かな 正岡子規
淡雪やかりそめにさす女傘 日野草城
午までをなぐさまんには雪淡 野澤節子
東京を濡らしてゐたる牡丹雪 鈴木五鈴
人形となる竹積めり牡丹雪 ほんだゆき
淡雪のつもるつもりや砂の上 久保田万太郎
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ 森 澄雄
牡丹雪さはりしものにとゞまりぬ 橋本多佳子