最近ネットで、何でも共有化できるし、それがすごい力になるとの論調が多い。
人間が何かの感動を共有化する際に喜怒哀楽がすべてが共有化出来ないツールでは駄目だろうと思った。
喜怒哀楽とは - はてなキーワード
喜怒哀楽とは、上にあるとおり、喜び・怒り・哀しみ・楽しさ。
そのうち、喜びと楽しさはツイッターなどでも十分共有化出来ることに依存はない。
でも、怒りとか哀しみはどうだろうか?
共有化出来るだろうか?
私にはできないように思える。
何か一方的になりそうだ、伝えることはできても、共有化はできないのではないかと思う。
これはもしかしたら日本語特有かもしれない。
英語を話す人達は、怒りも共有化出来るような気もする。
このあたりの違いで、エジプトのムバラク政権崩壊もフェースブックやツイッターで実現にいたるまでのパワーを得たのだと思う。
日本ではおそらく無理だろう。
だから、ツイッターやフェースブックで出来ることは、日本では明らかに限界があると思う。
はっきり、そう言い切る段階に来ていると思う。
しかし、きっかけ作りは可能だし、きっかけは重要。きっかけ+リアルな行動や体験が必要だろう。
人間が何かの感動を共有化する際に喜怒哀楽がすべてが共有化出来ないツールでは駄目だろうと思った。
喜怒哀楽とは - はてなキーワード
喜び・怒り・哀しみ・楽しさといった、人間が(本来なら誰もが)持っている代表的な感情のこと。
喜怒哀楽とは、上にあるとおり、喜び・怒り・哀しみ・楽しさ。
そのうち、喜びと楽しさはツイッターなどでも十分共有化出来ることに依存はない。
でも、怒りとか哀しみはどうだろうか?
共有化出来るだろうか?
私にはできないように思える。
何か一方的になりそうだ、伝えることはできても、共有化はできないのではないかと思う。
これはもしかしたら日本語特有かもしれない。
英語を話す人達は、怒りも共有化出来るような気もする。
このあたりの違いで、エジプトのムバラク政権崩壊もフェースブックやツイッターで実現にいたるまでのパワーを得たのだと思う。
日本ではおそらく無理だろう。
だから、ツイッターやフェースブックで出来ることは、日本では明らかに限界があると思う。
はっきり、そう言い切る段階に来ていると思う。
しかし、きっかけ作りは可能だし、きっかけは重要。きっかけ+リアルな行動や体験が必要だろう。