終戦69年特別展示  ララってなあに? 日本を助けたおくりもの 

2014年08月01日 | Weblog
◎JICA横浜 海外移住資料館で明日8月2日~10月26日まで終戦69年特別展示として ララってなあに?

日本を助けたおくりもの・・・ララ物資にみる海外日系人との絆・・・が開催されます。

ララ物資(ららぶっし)とは、ララはLARA ; Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団の頭文字で、ララが提供していた日本向けの援助物資のことです。



第二次世界大戦終戦直後の荒廃した日本では、食料や衣料をはじめとする生活必需品を手に入れるのが大変な時代でした。そんな全てのものが不足していた時代に、海外のララという団体から、たくさん支援物資が届きました。

1946年から52年までに、ミルク類、穀物、缶詰、バターやジャムなどの食料品をはじめ、衣類、医薬品、靴、石鹸、学用品の他、乳牛やヤギなどが届けられました。

その総額は、当時の金額でおよそ400億円を超え、そのうち20%が日本を救おうと立ち上がった海外在住の日本人で、日系人からの善意のおくりものでした。

今回の企画展では、戦後の貧しかった日本を助けたララ物資について紹介されます。



戦後の学校給食も、ララから給食用物資として贈られた脱脂粉乳や缶詰などが用いられ、食料が不足していた日本での成長期の子どもをたちの栄養不足を補うために開始されたものです。

1946年12月24日、ララからの給食用物資の贈呈式が行われ、試験的に、東京、神奈川、千葉の25万人の児童に対して学校給食が行われ、翌年1月、全国都市の300万人の児童に対して行われるようになって事から12月24日を給食の日と定めれました。

12月24日は冬休み前の関係で給食がないため、現在では1月24日が給食の日となっています。




ララ物資を摘んだ第1船ハワード・スタンズペリー号は、横浜新港埠頭に着岸したことから、現在はその場所には、ララ物資の碑が建立されています。

これは、物資を送っていただいた方々への深い感謝と、当時ご尽力された方々のご功績を後世に永く残すため、「ララ」の功績を後世に残す会として、多くの方々からの募金により建立されました。

碑には、昭和天皇と香淳皇后が横浜の「ララ倉庫」に行幸啓になられた時に詠まれた御歌がしたためられています。

ララの品つまれたる見て
とつ国のあつき心に
涙こほしつ
あたゝかきとつ国人の
心つくし
ゆめなわすれそ時は
へぬとも

横浜市長 高秀秀信 謹書




横浜市 政策・総務・財政常任委員会視察 JICA 横浜国際センター

2014年08月01日 | Weblog
◎JICA横浜国際センターへ常任委員会視察でお伺いしました。



JICAは、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている機関です。

「すべての人々が恩恵を受けるダイナミックな開発」というビジョンを掲げ、多様な援助手法のうち最適な手法を使い、地域別・国別アプローチと課題別アプローチを組み合わせて、開発途上国が抱える課題解決を支援しています。

横浜国際センターの役割としては、1.横浜・神奈川とのパートナーシップによる、国際協力(横浜市等の自治体、大学、NGO、企業と連携した事業展開) 2.海外移住の歴史と現在を伝える移住資料館運営と日系社会支援

3.横浜・神奈川の国際協力拠点 教育委員会事務局と連携した国際理解教育推進とJICAボランティアの拠点としての機能を担っています。



海外からの研修コースを7月~9月27日迄受けている、モルディブ出身の Mr.RASHID MOHAMED さんのお話もお伺いしました。MOHAMEDさんは、北ミラドゥンマドゥル・フォウカイドゥ島で漁水産業を含む開発計画や予算計画策定などに従事されている方で、今回は「漁業コミュニティー開発計画」コースを受講されています。

中でも、日本の漁業協同組合のあり方に興味を示されていました。


横浜市は、近代都市としての港湾や水道等の発祥の地でもあります。施設整備から維持管理、都市づくりと防災のノウハウとその行政力を交際協力として生かす事は大切です。

中小企業の海外展開支援を推進するY-PORT事業等更なる推進をする事が課題です。また、福祉政策や介護等をも含めた積極的な推進も考えられます。

国際都市として各国都市との関係を構築して、積極的な自治体外交の展開をする事がいやまして重要な時代だとも思います。