ケンのブログ

日々の雑感や日記

民主主義への信頼もゆらぎ

2020年10月21日 | 日記


新聞の国際欄を読んでいるとロンドン発ロイターの記事に、世界の傾向として民主主義に対する若者の信頼が世界的に見て総じて低くなっているということが書いてあった。

特に、アメリカ、ブラジル、メキシコ 南アフリカ フランス オーストラリア 英国でその傾向は顕著であると書いてある。

逆に旧共産圏の国では民主主義に対する信頼は上がっているという。

旧共産圏の人はそれに苦しめられた経験があるからやはり民主主義と思うのかなと想像する。

逆にアメリカ フランス 英国など民主主義を率先して牽引してきた国で若者の民主主義に対する信頼が揺らいでいることは、やはりそうなのかなと思う側面もある。

最近のアメリカからでてくる政治関係のニュースを見ていると、僕が見る限りではポピュリズム的な政治が席巻していて、今の大統領選挙でも、日本で報道を見る限りでは、政策論争というよりも、いかに候補者のイメージを作るかということの方に多くの力が注がれているように思う。

それでは民主主義に対する信頼は揺らぐはずだし、逆に民主主義に対する信頼が揺らいでいるからこをポピュリズムが席巻するのだとも思う。

何も米国だけの話ではなく僕にとって身近な大阪の例を上げても、大阪都構想の投票にしたところで、それが投票で決まるという限りでは民主主義の体裁をなしているけれど、もう賛成、反対どちらに決めるかは、最後はなんとなく一人ひとりのイメージとか直感とかそういうもので決まってしまうような気がする。

うまくその因果関係を説明してわかるように書くことは僕にはできないのだけれど、インターネットの普及でいろんな情報が飛び交い、その中には質の高い、低いも含め本当に一人ひとりの頭では処理しきれないほどの情報が流れているように思う。

そんな中で、投票するにしてもどんな基準で投票したら良いのかもわかりにくい時代になっていると思う。

ところで民主主義というと、漢字で書くと民主、つまり民が主となるという語感になるけれど、民主主義のもとになっているdemocracyの語義ををロングマン英英辞典で調べると、政府の構成員を全員の投票で決める政府のしくみ というような語義が書いてある。

民主主義という漢字の語感から想像される意味よりも英英辞典で調べたほうがはるかに現実に即した語義が書いてあるなと思う。

また、新聞の社会欄には事実関係もろくに検証しないでまとめサイトにいろんな情報が書き込まれていてフェイクも多いということが社会問題にもなっているという主旨のことが書いてある。

こういう時代背景のためか、ネット、紙媒体を問わず、よく内容を検証しているとはとてもおもえないような誇大広告、即席で作られた新書とか、そういう本のたぐいも多くなったなと思う。

本当に、私達が生きていくうえで何が大切なのか、改めて考え直さなければならない時代になっているなと思う。

パウロはコリント人への第一の手紙の中で次のように書いている

「愛は忍耐強い。 愛は情深い。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪をたくらまない。不正を喜ばず、真理をともに喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない

こんな理想通りに生きることは無理かも知れないけれど、安易に即席の方法論に傾倒するのではなく、こういう古来私達に伝わる理想というか、価値観があるのだということを心のどこかにおいて生きていくべきではないかと思う。