ケンのブログ

日々の雑感や日記

死に対する考え方や習俗

2020年10月03日 | 読書
今日の新聞の人生相談に60代の男性から、私の妻がなくなっても嫁は葬式にも来なかった。本当に非常識でこれから嫁とどうつきあおうか悩んでしまうというような内容の相談が寄せられていた。

まあ、葬式に出席するのは日本では礼儀と思われていて、そのように嫁の態度に悩む人がいてもおかしくはないと思う。

しかし、ここでは、まあ、それはそれとして、その人生相談を読んで芹沢光治良の人間の運命という小説の一節を思い出したので、それを書くことにする。


小説の引用は人間の運命の主人公森次郎の友人、田中が病気でいよいよ危篤ということになった場面である。

危篤なので田中と親しい人がみんな病院に集まってくる。

その時のことを芹沢光治良はこのように書いている。

“あんなふうに親しい人が集まって死を待つのが日本の習俗であろうか。あんなに多くの人が集まって、息を殺して凝視していては、眠ることもできないのではなかろうか。 中略
田中の場合も常時奥若い奥さんがつきまとい、胸の中まで覗き込むようにしていなければ、死といっても、あんなふうに行こうとねがっているスイスの高原へ、夢の中で行くようになるのではなかろうか。

今になっては、それが田中も安楽であろうし、奥さんも救われるであろうに、あの人たちはただ涙を見せるために集まっているのだろうか。どうも、日本人の死の迎え方、死についての考え方は、西欧人とちがっているのではなかろうか。それはまた、生についての考えが違うからであろうか。”と。

※田中は結核でスイスの高原に行って療養することを希望していたのでスイスという言葉が小説には出てくる。

数年前に亡くなられた、ドナルドキーンさんが芹沢光治良に、川端康成の自殺についてどう思うかと尋ねたところ、芹沢光治良は、川端さんは眠ろうと思ったけれど眠れずに、お酒を飲んでも眠れなかった、それで睡眠剤を飲んでも眠れなかった、それでガスを吸ったら寝てしまった。だから川端さんは自殺ではない。事故で死んだんだ。と芹沢光治良が語ったという趣旨のことを芹沢光治良の思い出として語っておられたような記憶がある。

事実、ネットでいくつかのサイトを見てみると芹沢光治良は川端康成は自殺ではなく事故死だったとずっと主張していたと複数のサイトに書いてある。

人間の運命の田中の死にまつわる、この芹沢光治良の記述を読むと、ずっと芹沢光治良が川端康成は自殺ではなく事故死だと考えていたという気持ちもわかるような気がする。

先日亡くなられた女優の竹内結子さんも、家族と団らんしていてそれから自分の部屋へ行って、ちょっと気分が落ち込んだので首をつったら命が途絶えてしまった。

そういう意味での事故だったと考えれば、考えられなくもない。

死ぬということをどのように考えるかということには、その人の人柄がでるものだなあとしみじみと思う。

八王源先生も、たすかるみちは神道だと僕には教えてくださったのにも関わらず、お葬式のときは普通にお坊さんが来て普通の仏教式のお葬式が催されていた。

要するに、先生自身に、葬式をどうするかとかそういうことに対するこだわりがなかったということなのだと思う。

こだわりを持つことも確かに大切だけれど、それがしんどいと感じるときは、そのこだわりを払うように願うというのもまた同様に大切なことだと思う。