ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団第630回定期演奏会

2019年01月20日 | 音楽
昨日は京都コンサートホールに
京都市交響楽団第630回定期演奏会を
聴きに行った。
最初に
指揮 マルク アンドレーエさん
ピアノ ゲルハルト オピッツさんで
ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
が演奏された。
僕はブラームスのピアノコンチェルトは
2番は時々録音で聞くけれど
一番は昔買ったCDを一度聴いたきりで
ほとんど聴いたことがない。
なので曲の冒頭で指揮者が手を前に
勢いよく差し出すようなしぐさをして
ティンパニーが鳴り出したときに
そうかブラームスの一番はこんな風に
始まるのか、とはじめて認識した。
なかなかいい感じでティンパニー鳴ってるやん
と思ったのだけれど
そのあとに出てきた弦楽器が
なんか京都市交響楽団にしては
いかにも迫力がないように僕には思えて
しばらくしたら眠気がおそってきた。
結果として
途中で寝たわけではないけれど
ずっと眠気を感じながら演奏を聴くことに
なってしまった。
眠気をこらえながら演奏を聴きながら
思ったことと言えば、、、、。

ピアノは優雅な感じで重くなく
それが特色のひとつかなと思った。

木管楽器の響きが美しいなと思った。

ステージを見ていると
バイオリンは本当に女性ばかり並んでいる。
もしここに男性が、一人二人加わったら
ステージの見た目や演奏は
どうかわるのだろうと思った。

そういえば電車などでバイオリンのケースをもって
乗っている子は圧倒的に女の子が多いように思う。
もっと男もバイオリンを習ったらいいのに。
やはり芸事は女性
男は実学という風潮が日本にはあるのだろうか
などどいう演奏に関係ないことも演奏中に
考えてしまった。

たまには眠気にまどろみながら
ブラームスの生演奏を聴くのもいいかな
と自分に都合のいい解釈をした、、、。


20分の休憩をはさんで
次に演奏されたのが
ムソルグスキー作曲
ラヴェル編曲
展覧会の絵

この曲はレコードやCDでも何回か
聴いているのでさすがに
目が覚めたけれど
コンサート前半で感じた眠気を引きずってしまったことは
否めない。

冒頭のプロムナードは
短めのフレージングできれいに演奏された。
ただ、プロムナードが終わって
弦楽器ががさごそっとなるところが
ちょっといまひとつしまりがなく
残念だったように思う。

全体を通しては
きれいにオーケストラが鳴っていたと思う。
ステージを見ながら曲を聴いていると
卵のからをつけたひなの躍りは
こんな感じの木管アンサンブルなのか
などいろいろな発見があって勉強になった。

いろいろ聴きすすんでいくと
やはりラヴェルのオーケストレーションはすごいなと思う。

コンサートが引けて
京都植物園の門のところにいくと
午後五時十分前だけれど
まだ明るくほんのり夕焼けになっていた。
ちょっと日が長くなったなと思う。

自動音声の風景

2019年01月19日 | 日記
京都のSKという繁華街に来る。
コンビニに入ると僕が住んでいる地域の
郊外の店舗に比べて食品の売り場面積の比率が
かなり高いことがわかる。
ちょっと文房具を探していてそれに気づいた。
たぶんどの商品にどのくらいの売り場面積を
割くかは市場調査をして
店舗ごとに決めているのだろうと思った。
先日、ちょっとサービス業の大手の会社の支店に
電話をした。
いきなり自動音声が応答した。
自動音声のガイダンスに従って
電話のボタンを操作するとオペレーターに繋がった。
なんか、オペレーターの方の
声の抑揚も自動音声のように聞こえる。
会社の支店に電話をしたつもりなのに
オペレーターの方の話をきいていると
電話は支店ではなくコールセンターに
繋がっていることがなんとなくわかる。
オペレーターの方は僕の質問に手際よく答えてくださった。
でも昭和の時代にある程度大人になってしまった
僕はこういう電話ってなんか
機械を介して人と繋がっているようで
味気ないなと思う。
もちろん電話そのものが機械だけれど
これだけ自動音声が台頭すると
自動音声の合間に人間の声をきいているように
思えてくる。
コールセンターに電話が繋がると
なんかコールセンターの業務の流れの中での
電話対応であるようでこれもまた
味気ないような気がする。
もうやけくそ気味の気持ちになって
電話を着るときに
ちょっとハイトーンで
「はい、失礼しまーす」と語尾を伸ばしたら
オペレーターの方も
「失礼しまーす」とハイトーンで
声を伸ばして電話を切った。
こういう声のトーンは意外と伝播することがあるなと思う。

あなた、そこ暖かいの?

2019年01月18日 | 日記
気象情報では今日は季節相応の寒さと言っていた。
自宅のもよりの駅に来ると
おばさんが
「あんたこんなとこで寝て、暖かいの?」と言っていた。
みるとおばさんの犬が
駅前の日向のタイルのところで寝ていた。
あの犬の気持ち良さそうな寝顔を見ると
床のタイルは日に当たって間違いなく暖かいはすだ。
いつか真夏の日にお宮に行ったら
お堂と賽銭箱の間の日陰で猫が寝ていたことがある。
あのときは
宮司さんが「ここが涼しいから猫は寝るんですよ」とおっしゃっていた。
まあ、賽銭箱とお堂の間の日陰なら
それは夏、涼しいと思う。
そして、冬の日向のタイルの上はきっと暖かいと思う。
そういうところであとさきのこと考えないで
寝ることができたらそれは最高かもしれない。
まあ、犬には犬のしんどさがきっとあるのだろうけれど、、、。
例えば、普段、寒いところで寝ているから
暖かい場所を見つけて思わず寝てしまったとか、、、。

栃の心も休場になって。

2019年01月17日 | 日記
稀勢の里の引退に続いて
栃の心も休場ということになってしまった。
素人目に見ても大関に上がるときの
離れても組んでも行けるという相撲とは
別人のようになっているので
怪我がなおっていないのかなと思っていた。
今の相撲のスピードに見慣れた目で
昭和50年代、貴乃花、輪島が活躍していた頃の
映像を見るとスローモーションの相撲のように
見えることがある。
あの当時は四つ相撲の比率が高かったと思うけれど
今はへたに回しを狙いにいくと
逆に突き起こされて相手にやられてしまう
ということが多くなっているように思う。
本当に今の相撲はスピードが速くレベルも高く
一度怪我をすると無類の強さを誇った人でも
たちまちピンチにたたされてしまう。
本当に厳しい時代だなと思う。
稀勢の里について、ここ一年くらいは
もう早く引退したらいいのにと思っていた。
しかし、引退からまる一日以上たって
怪我の前の自分に戻ることができなかった。

期待に応えたい気持ちと
潔く引退するか自問自答していた。
という主旨の稀勢の里の談話を目にすると
本当に2年間葛藤してきた気持ちは
本人にしかわからないだろうなとしみじみと思う。

稀勢の里が新横綱の時、優勝を争った照ノ富士も
怪我でたしか序二段まで番付が落ちてしまった。
本当に厳しい時代だなあと改めて思う。
怪我をしたらなおるまで休んでも
番付が落ちないようにすればいいのにと思うのだけれど
実際にそういう制度を運用するのは難しいのだろうか、、、。

今日は阪神大震災があって24年目と新聞に出ていた。
もうそんなになるのかなと思う。

稀勢の里引退

2019年01月16日 | 日記
朝、ネットに稀勢の里引退というニュースが出てきた。
稀勢の里は横綱として二年も成績不振を引っ張ってきて
素人目に見ていても復調できそうもない
相撲に思えた。
舞の海さんがたしか昨日おっしゃったように
指せばおっつけられる
まっすぐついていけば逆に指される
という状況が続いていたように思う。
半身になるから思うようにおっけられるのか
おっつけられるから半身になってしまうのか
素人の僕にはちょっとわからないけれど、、、。
正直言ってなぜ引退しないのか
横綱がこんな相撲では意味がないと思っていた。
回りの親方からも白々しいコメントが相次いでいた。
とにかく勝ち越しなどどいう励まし方をする
親方もいたように思うけれど
横綱が勝ち越しでいいと思っている
相撲ファンはいないのではないか。
二三日前にも「前に出て負けているんだからいい」というような
主旨のコメントを解説のかただか親方だかが
していた。
これから上に上がっていく
十両力士に対して前にでて負けたのだからという
コメントならわかるけれど
横綱に前にでて負けたのだからまだいい
などという励まし方はちょっとないのではないかと思った。
稀勢の里のみならず回りの親方まで
こんなに白々しいことをいつまで
続けるんだという思いがあった。
ただ、稀勢の里引退というニュースに接して
冷静に横綱になってからの彼の成績をふりかえってみると
新横綱の場所でいきなり大ケガ。
それからはまともに出場できた場所はほとんどない。
それは、何とか横綱として成績を残したい
このままでは終われないという気持ちだったのではないかと思った。
こういう状況で二年も耐えることができたのは
立派だったのだと思う。
ちょっと普通では耐えられる試練ではないように思う。
しばらくゆっくり休んでまた親方として
再起していただきたいと思う。