田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「サムライの魂を持つ男」

2024-01-07 21:16:42 | 名画と野球のコラボ

 【BS5局共同企画 テレビが伝える“プロ野球”】「サムライの魂を持つ男」という番組を見た。

 WBC日本代表の一員として活躍したセントルイス・カージナルスのラーズ・ヌートバーを中心に、さまざまなチームで活躍し、最後はロサンゼルス・エンゼルスで大谷翔平ともバッテリーを組んだカート・スズキら、日系人選手にスポットを当て、斎藤佑樹がリポートした。

 興味深かったのは、斎藤がカリフォルニア州フレズノを訪れ、"日系人野球の父"といわれる銭村健一郎の足跡をたどったシーン。銭村は、ベーブ・ルースとも親交があり、戦時中に入れられた強制収容所内に「ゼニムラ・フィールド」を作り、野球を通して収容所の人々に勇気を与えた人。彼の墓石には「The Dean of the Diamond(ダイヤモンドの主)」と彫られている。

 銭村のことは、後に広島カープの選手となった息子のハーヴェイ銭村(銭村健四)について書かれた、池井優の『ハロー、マニエル元気かい プロ野球外人選手列伝2』で知った。

 未見だが、銭村をモデルにした主人公を中村雅俊が演じた『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』(07)という映画があるようだ。見てみなくては。

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野茂英雄のその後

2023-12-20 07:05:21 | 名画と野球のコラボ

野茂、デビルレイズへ(2005.1.29.)

 久々にメジャーリーグの話題を。ロサンゼルス・ドジャースを解雇されて心配された野茂の移籍先がタンパベイ・デビルレイズに決まった。マイナー契約らしいが、きっとはい上がってくるだろう。それにしてもあくまでメジャーリーグにこだわる野茂は、やっぱり佐々木主浩や伊良部秀輝とは志が違う気がする。否ただ頑固なだけか。いずれにせよ、頑張れ野茂!

 井口資仁はホワイトソックス、中村紀洋はドジャース、友利結はレッドソックスにそれぞれ決まったらしい。井口も中村もいい選手ではあるが、バッティングにむらがあると思うのだが、大ざっぱなメジャーの方が、意外と彼らには合っているのかもしれないとも思う。


野茂、開幕メジャー入り(2005.3.31.)

 去年のメジャーリーグはオレにとっては最高のシーズンだった。イチローがなんと84年ぶりにジョージ・シスラーの持つシーズン最多安打の記録を破る過程をリアルタイムで見ることができたし(シアトルタイムズの記者たちが書いた記事を集約した『イチロー262―地元紙が伝えるメジャー新記録への軌跡』(イースト・プレス刊)は、それを伝える最良のテキストでありドキュメントだった)、70年代からのひいきチームであるレッドソックスがこれまた86年の時を超えてワールドチャンピオンに輝く瞬間も味わえたからだ。

 ただ一つ気がかりだったのは、日本人メジャーリーガーのパイオニアであるロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄の不調とそれに続く解雇だった。その野茂が今年はタンパベイ・デビルレイズとのマイナー契約で生き残りを賭けていたのだが、先ごろ開幕メジャー入りが決まったらしい。ひいき目にみてもそろそろ選手生活の黄昏が近づいてきた野茂だが、オープン戦絶好調のイチロー、そしてヤンキースの松井秀喜らと共に今年も見守っていきたいと思う。


野茂、日米通算200勝を達成(2005.6.17.)

 イチローの通算1000本安打に続いて、ようやく野茂英雄が日米通算200勝を達成した。振り返れば、今はなき近鉄バファローズを経て、渡米後は1995~98年のドジャース、98年のメッツ、99年のブリュワーズ、2000年のタイガース、01年のレッドソックス、02~04年が再びドジャース、で今年はデビルレイズと流転の日々。

 その間、両リーグにまたがる2度のノーヒット・ノーランと奪三振王、新人王、オールスターの先発という栄光がありながら、けがやスランプによるトレード、マイナー契約などの苦汁もなめている。

 だが野茂の真骨頂はそうした中から何度もはい上がってくるタフさだ。確かに全盛期に比べればトルネードのひねりも弱くなり、球速も、フォークの切れも落ちてはいる。だから、出来れば最後は優勝を狙えるチームに落ち着いて、ぜひワールドシリーズで投げてほしいと思う。


デビルレイズが野茂を解雇(2005.7.17.)

 野茂がタンパベイ・デビルレイズを解雇されたらしい。確かに今年は苦しい投球が続いていた。果たして彼と契約する新たなチームはあるのか…。投手事情が苦しいニューヨーク・ヤンキースあたりは? あるいはボストン・レッドソックスに復帰とか…。


野茂、ヤンキースとマイナー契約(2005.7.28.)

 タンパベイ・デビルレイズを解雇され、その去就が注目された野茂がニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。ついに野茂がピンストライプのユニフォームに袖を通す可能性が出てきたのだ。こうなれば松井秀喜とともに、ぜひワールドシリーズに進んでほしい。さて松井だが、メジャーデビューからの連続出場記録が424試合に達し、“ミスター・カブ”こと往年の名ショート、アーニー・バンクス(カブス)の記録に並んだ。まさに無事是名馬、立派なものだ。


野茂が引退を発表(2008.7.18.)

 野茂がついに引退を表明したという。白地にドジャーブルーのロゴのドジャースのユニフォームに身を包み、メジャーデビューしたのは95年だった。あれからもう10年以上もたつのか…。後に続いたイチローや松井を例に出すまでもなく、野茂がメジャーリーグで果たした役割はとてつもなく大きい。

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“ボールを持ち過ぎた男”ジョニー・ペスキー

2023-12-19 09:18:14 | 名画と野球のコラボ

“ボールを持ち過ぎた男”ジョニー・ペスキー(2004.10.30.)

 オレの名前かい、ジョニー・ペスキーっていうんだ。もう今年で85歳になるが、こう見えても昔はメジャーリーガーだったんだよ。あのテッド・ウィリアムスやボビー・ドーア、ドム・ディマジオたちと一緒にボストン・レッドソックスでプレーしたんだ。オレたち4人は特に気が合ったんだ。ホラ吹くなって、それじゃあちょっと昔話でもしようか。

 そう、あれはオレやテッドが戦争から帰ってきた1946年のこと。テッドが最後の4割打者になって、ドムの兄貴でニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオが56試合連続安打なんていうとてつもない記録を作った年さ。あれからもう60年もたつんだなあ。

 あの頃オレはショートを守っていたんだ。自分で言うのもなんだが、結構いい選手だったと思うよ。今年イチローに破られるまでルーキーから3年続けてのシーズン200安打以上っていう記録も持っていたんだ。

 引退してからはレッドソックスで監督やコーチもしたけど、ファンがオレのことで覚えているのは、残念ながら“ボールを持ち過ぎた男”としてだろうなあ。

 話はこうだ。ワールドシリーズの第7戦。相手はスタン・ミュージアルがいたセントルイス・カージナルス。勝った方がワールドチャンピオンになるっていう文字通りの大一番さ。だけどその大事な試合でオレはミスを犯してしまった。

 同点で迎えた8回裏カージナルスの攻撃、2塁にランナーを置いてヒットが出た。そこで外野からの返球を中継してホームに投げる時、ボールが手に付かず、長く持ち過ぎてしまったんだ。そのためにカージナルスに勝ち越し点をやってしまったのさ。で、結局ゲームに負けて、オレはファンから“ボールを持ち過ぎた男”というニックネームを頂戴した。

 もちろんあの時は、まさかこんなに長くレッドソックスがワールドシリーズで優勝できなくなるとは思っていなかったから、まあ次があるさぐらいの気持ちだったけどね。

 ところが、オレが監督やコーチをしていた時もチームは優勝できなかった。そのうちに“レッドソックスの優勝を見るまでオレは死ねないぞ”と思い始めた。思えばそれが後半生の生きる張り合いだったのかもしれないなあ。後に図らずもトンネルをしてシリーズの流れを変えてしまったビル・バックナーも同じような気持ちだったと思うよ。

 でも今回の優勝でオレもビルもひとまず“呪い”からは解放されたようだ。特にオレの場合は相手がカージナルスだったから、余計にうれしかったよ。生きていて本当によかった。正直言って、肩の荷がおりた気がするなあ。

 と、これはあくまで事実を基に、ぺスキーがこんな風に語ったら面白いと思って考えたフィクション。ところでぺスキー、ドム・ディマジオ、ドーア、そしてウィリアムスの友情を描いたデビッド・ハルバースタムの『鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情』(原題「チームメイト」)という本が以前から少々気になっていた。読んでみようかな。

【今の一言】ペスキーは2012年に92歳で亡くなった。


“バンビーノの呪い”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8ae3d658efefad757a788d36154e46b5

“Bの恐怖”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f07dfa665e2953579a305a42a5e79499

レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/15dc2fb6ed6053b4e2d33d766af2540e

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レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇 野茂ボストンに復帰か

2023-12-18 07:24:15 | 名画と野球のコラボ

レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇 野茂ボストンに復帰か(2004.10.29.)

 86年ぶり! ついにレッドソックスがやった!! それもストレート勝ちだ。長い呪縛が解ける時は案外こんな風にあっけないものかもしれない。オレが初めてテレビで見たワールドシリーズは、1975年のレッドソックス対レッズ。中でも第6戦のカールトン・フィスクのサヨナラホームランが忘れられない。

 だからオレにしてもここまで30年はかかっているわけだ。その間、野茂英雄やイチローや松井秀喜がメジャーに渡って、オレも随分浮気? をしたが、心の奥では今でもこのチームが一番好きだ。

 さて、まずはビル・バックナー良かったね。これで例のトンネルのシーンが流されることもあまりなくなるでしょう。本来あなたは名選手だったのだから。

 ペドロ・マルチネス、ひょっとしたらレッドソックスでの最後のシーズンになるかもしれないけど良かったね。ロジャー・クレメンスも野茂も、誰一人として成し得なかったレッドソックスのエースピッチャーとしてのワールドシリーズ制覇を遂に達成したね。

 その他、レッドソックスに在籍したすべてのスタッフ、選手たち、そして長く待ったファン諸氏、みんなおめでとう。ところで、ドジャースから戦力外を通告された野茂のレッドソックス復帰がささやかれている。なんとかもう一花咲かせてほしいものだが。

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“Bの恐怖”

2023-12-17 14:25:52 | 名画と野球のコラボ

“Bの恐怖”(2004.10.21.)


ビル・バックナー

 思えばオレのメジャーリーグ観戦歴もおよそ30年になる(まあテレビばかりだが)。そして初めてファンになったチームは何を隠そう(別に隠すこともないか)ボストン・レッドソックスだった。
 
 “最後の三冠王”ヤズことカール・ヤストレムスキーがまだ現役だったし、打撃陣ではほかにも強打のキャッチャー、カールトン・フィスク、新人王のフレッド・リン、強打のジム・ライス、ドワイト・エバンス、ジョージ・スコット、リック・バールソンら魅力的なラインアップが並んだ。

 投手陣にはファーガソン・ジェンキンス、ルイ・ティアント、ビル・リー、リック・ワイスらがいた。何かニューヨーク・ヤンキースよりも渋くて好きだったのだ。

 ナショナル・リーグは、デイビー・ロープス、ビル・ラッセル、レジー・スミス、ロン・セイ、スティーブ・ガービー、リック・マンデー、ダスティ・ベイカー、スティーブ・イェーガーというラインアップの打撃陣と、ドン・サットン、バート・フートン、トミー・ジョン、リック・ローデン、ダグ・ロウ、チャーリー・ハフという投手陣がそろったロサンゼルス・ドジャースが好きだった。1970年代半ばから後半のこと。

 ひいきは、”鉄砲肩”と渋いバッティングを見せたエバンスで、その後ヒゲをたくわえたのも彼の影響があったせいかもしれない。レッドソックスのキャップを愛用していた時期もあった。それからいろいろありまして…。

 さて“バンビーノの呪い(Curse of the Bambino)”とは別に、“Bの恐怖(TerribleB)”というのもある。もちろんBはボストン(Boston)のBなのだが、まずは1919年、バンビーノことベーブ・ルース(Babe Ruth)のニューヨーク・ヤンキースへのトレードから始まる。

 そして、78年のプレーオフでレッドソックスに引導を渡すサヨナラホームランを放ったのがヤンキースのバッキー・デント(Bucky Dent)、86年のニューヨーク・メッツ相手のワールドシリーズで、優勝まであと1アウトとしながら、平凡なファーストゴロをトンネルし、不幸にもシリーズの流れを変えてしまったのがビル・バックナー(Bill Buckner)、そして05年のリーグチャンピオンシップ最終戦でサヨナラホームランを放ったのがヤンキースのアーロン・ブーン(Aaron Boone)…。

 そう、彼らレッドソックスに“あと一歩の悲しみ”をもたらした面々は、みんなイニシャルのどちらかににBがつくのだ(中でも哀れなのがバックナー、ダブルBだ!)。それで誰が言い始めたのかは定かではないが、“Bの恐怖”となったらしい。

 今日の試合前、3連勝後3連敗し、逆に追い詰められたヤンキースが、このジンクスを意識したとも思える始球式を行った。投げるは先のバッキー・デント、受けるは殿堂入りの名捕手ヨギ・ベラ(Yogi Berra)どちらも“Bの人”である。この光景を見ていてヤンキースのあせりを感じた人も少なくあるまい。

 で、結果はレッドソックスの大勝。やはり何事も最後まであきらめてはいけない。それから“流れ”というやつも一度変わるとなかなか止められない怖いものだなあと思った。これは人生にも通じること。まあヤンキースが勝っていれば松井秀喜のMVPもあったかもしれないが…。

 さてレッドソックスが本当に“バンビーノの呪い”やら“Bの恐怖”から解放されるか否かはワールドシリーズ次第。まだ分からない。


 衛星放送もインターネットもなかった時代。こういうガイドブックが大いに役立った。

 

 表紙の写真は、上から、レジ―・ジャクソン(ニューヨーク・ヤンキース)、ロッド・カルー(ミネソタ・ツインズ)、ビリー・マーティン監督(ヤンキース)、スティーブ・ガービー(ロサンゼルス・ドジャース)、ピート・ローズ(シンシナティ―・レッズ)

 

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野茂の黄昏、“バンビーノの呪い”

2023-12-17 12:41:05 | 名画と野球のコラボ

野茂の黄昏(2004.9.9.)

 ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が久々に勝ち投手になったゲームを見たのだが、トルネードと呼ばれた体の捻りもほとんど見られず、往年の彼を知る者にとってはいささか寂しい光景だった。去年はあんなに素晴らしかったのに…。

 実は以前のトレードの時もマイナー落ちした時もそれほど心配はしていなかったし、野茂もまた見事に復活してきた。だが今回はちょっと深刻な気がする。

 恐らく日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂の存在がなければ、今のイチローも松井秀喜もメジャーにはいなかったかもしれないが、人は必ず老いる、そしてスポーツ選手は力が衰えたら引退しなければならないという事実がついに野茂にも忍び寄ってきたということか。

 ただ、伊良部秀輝や佐々木主浩のように日本に戻ってまでプレーをせず、メジャーリーガー野茂として完結してほしいと思うのはファンの勝手なエゴなのか。


“バンビーノの呪い”(2004.10.20.)

 シアトル・マリナーズのイチローが84年ぶりにシーズン最多安打の新記録を達成したと思ったら、今度はボストン・レッドソックスが85年ぶりに“バンビーノの呪い”から解放される可能性が出てきた。

 バンビーノとは、かのベーブ・ルースのこと。つまりレッドソックスは、1919年にルースをニューヨーク・ヤンキースにトレードしてからワールドシリーズを制覇していないので、それがルースの愛称から“バンビーノの呪い”といわれる。

 何度か惜しいところまでは行ったのだが、何故か最後のツメを誤ってしまう。そこがまたかわいい? とファンは思うらしいが、多くのオールドファンは生きている間に優勝を見られなかった。

 今年もリーグチャンピオンシップでいきなりヤンキースに3連敗して、またかと思わせたものの、2試合続けての延長サヨナラ勝ちを含む3連勝でついにタイに。なんだか神がかってきた。いよいよ明日決着。

 でも、この後ワールドシリーズもあるのだから、まさに10月のメジャーリーグはテンコ盛り。

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ドジャース野茂英雄、メジャー初勝利

2023-12-17 11:56:36 | 名画と野球のコラボ

大谷翔平のドジャース入りを見ながら、野茂英雄のことを思い出した。

ドジャース野茂英雄、メジャー初勝利(1995.6.2.)


当時、ロス土産として知り合いからTシャツをもらった。

 1995年6月2日。ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツの一戦。最後のセカンドゴロをデライノ・デシールズがさばき、野茂英雄が8回をボビー・ボニーヤの本塁打による1失点に抑え、7度目の登板で遂にメジャー初勝利を挙げた。

 その瞬間、監督のトミー・ラソーダが、ピッチングコーチのデーブ・ウォレスが、満面の笑みを浮かべながら、マウンドから降りてきた彼を迎えた。

 この、マッシーこと村上雅則(サンフランシスコ・ジャイアンツ)以来、実に30年ぶりとなる日本人投手の勝利を支えたのは、アメリカ人はもとより、プエルトリコやメキシコ出身者らによる人種混合のチームメートたちであり、力のあるものは認めるというアメリカの懐の深さによるものだ。

 残念ながら、日本のプロ野球チームが、来日した外国人選手たちにこうした姿勢を示したことはなく、腰掛け的な“助っ人”という言葉はいつになっても死語にならない。また、相撲のハワイ勢に至っては、国籍を捨てなければ相撲界には残れない。

 そうした日本のプロスポーツ界の閉鎖性が、野茂の快挙の裏側で反面教師のように見え隠れするのは悲しいことだ。もちろん、アメリカが全て正しいとは思わない。今回のストライキなどは、アメリカのスポーツ界が抱える、金銭にまつわる問題の大きさを改めて感じさせるものだったし、人種差別が日本の比ではないことも分かっている。

 ただ、たとえこれが希少な例であったとしても、全くないよりはいいに決まっているし、そうした瞬間をわれわれ観客はもっと見たいのだ。そして、腐ってもメジャーリーグにはまだその可能性があることが今日証明された。


1995.10.13.
「驚きももの木20世紀」「遥かなるメジャーリーグ」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/92419c1175fc0fda1fe8831e7f80b1b5

2001.6.20.
ドジャースタジアム
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4294ae6790d08c6e5bacac932c98fca9

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『エノケンのホームラン王』

2023-10-15 11:26:56 | 名画と野球のコラボ

『エノケンのホームラン王』(48)(1991.1.25.)

 ジャイアンツファンの肉屋の健吉(エノケン)は、長年の夢をかなえてジャイアンツにマスコットボーイとして入団。憧れの選手と全国を回るが…。三原脩監督、川上哲治、青田昇ほか、当時の巨人軍の選手が総出演。監督・渡辺邦男、音楽・栗原重一。

 戦後間もない昭和23年の映画。復興に向かう世相と当時の野球熱の高さがうかがえ、なかなか興味深かった。しかも、当時のジャイアンツの選手たちの動く姿がたっぷりと見られるというおまけ付き。実際、エノケン云々よりも、伝説として聞いただけだった彼らのプレーぶりの方に目が行ってしまった。


登場する主なメンバーは

総監督・三原脩。この年は2位。50年に辞任し、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの監督を歴任。独特の采配から“三原魔術”と呼ばれる。

監督・中島治康。49試合、152打数37安打、本塁打4本、打点20、打率243。日本初の三冠王。この年監督兼任。50年大洋へ移籍。

捕手・内堀保。87試合、253打数56安打、本塁打0本、打点16、打率222。現役最後の年。スカウト、コーチを歴任。沢村栄治の球を受けた生き証人。

一塁手・川上哲治。135試合、504打数150安打、本塁打25本、打点105、打率298。この年の本塁打王。ご存じ“打撃の神様”。後のV9監督。

二塁手・千葉茂。135試合、522打数148安打、本塁打14本、打点57、打率284。ニックネームは“猛牛”。川上との監督争いに敗れ近鉄の監督に。バファローズの由来となった。

三塁手・山川武範。126試合、457打数122安打、本塁打2本、打点36、打率267。戦後、ジャイアンツでプロ野球に復帰。

遊撃手・白石勝巳。117試合、392打数86安打、本塁打3本、打点15、打率219。ニックネームは”和製キャグニー”。ジャイアンツ復帰1年目。50年に広島に移籍。後に監督としてカープの基礎を築く。

左翼手・平山菊二。140試合、525打数143安打、本塁打11本、打点68、打率272。ニックネームは”塀際の魔術師”。自己最多本塁打の年。50年大洋に移籍。

中堅手・青田昇。140試合、569打数174安打、本塁打25本、打点99、打率306。ニックネームは”じゃじゃ馬”。この年川上と本塁打王を分け合う。53年大洋へ移籍。阪急、阪神などでコーチを歴任。

右翼手・呉新亨。96試合、246打数54安打、本塁打1本、打点19、打率220。台湾出身。萩原寛と改名。

宇野光雄。22試合、38打数6安打、本塁打0本、打点2、打率158。ニックネームは”おとぼけのウーやん”。54年に国鉄へ移籍。

武宮敏明 88試合、217打数38安打、本塁打2本、打点15、打率175。後の鬼寮長。


投手
中尾碩志。47試合、27勝12敗、投球回343、奪三振187、防御率1.84。自己最多勝。後にピッチングコーチ。

川崎徳次。47試合、27勝15敗、投球回318.1、奪三振82、防御率2.31。自己最多勝の年。50年西鉄へ移籍。西鉄、阪神などでコーチ。

藤本英雄 22試合、8勝5敗、投球回131、奪三振51、防御率1.74。ジャイアンツ復帰1年目。翌年から5年連続二けた勝利。日本初の完全試合を達成。

多田文久三。31試合、13勝9敗、投球回206.2、奪三振63、防御率2.96。56試合、114打数25安打、本塁打1本、打点9、打率219。打者との二刀流。

小松原博喜 34試合、4勝6敗、投球回134.1、奪三振54、防御率2.27。67試合、106打数26安打、本塁打1本、打点14、打率245。多田同様の二刀流。

 以上が、この映画に登場した当時の主力選手たち。50年の2リーグ分裂の際に他チームに移籍した選手が多い。49年に水原茂がシベリアから帰国し、三原は監督の座を追われ西鉄へ。後に日本シリーズで水原に借りを返す。同年、別所毅彦が南海から移籍してくる。

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「ホームラン・ブギ」

2023-10-03 00:13:26 | 名画と野球のコラボ

大谷翔平のホームラン王獲得と「ブギウギ」放送開始に併せて
「ホームラン・ブギ」(笠置シヅ子)作詞・サトウハチロー、作曲・服部良一

https://www.youtube.com/watch?v=g5NGa36EPAE


「ホームラン・プギ2003」(吉田拓郎)

https://www.youtube.com/watch?v=VJ7ezNhXrfo
https://www.youtube.com/watch?v=Ia-pg7MkJ3U


♪拍手拍手 フレーフレー フレーフレーフレー
一つかんと打ちゃ ホームラン・ブギ 広いスタンド 拍手が湧けば 飛ぶよ飛ぶ飛ぶ はるかのはるか 空の青さよ 芝生の芝生の青さ
カットバセ カットバセ フレーフレーフレー
二人揃って ホームラン・ブギ 肩を並べりゃ 心も通う 通いなれたる このスタジアム 拍手拍手で お手手がお手手が痛い
五つ何時もの ホームラン・ブギ 一度打ったら もうやめられぬ あの子見てるか ネットのかげで 可愛笑くぼで 花束花束抱いて
拍手拍手 フレーフレー フレーフレーフレー
昔なつかし ホームラン・ブギ 甲子園から 野球に通い 今じゃ伜が 大学選手 可愛孫さえ 小学小学選手
七つ涙の ホームラン・ブギ ぽろりぽろりと ラジオの前で 伜出かした よくこそ打った 見事当てたぞ ラッキー ラッキー・セブン
カットバセ カットバセ フレーフレーフレー
八つチームの ホームラン・ブギ 虎に巨人に ロビンス阪急 鷹に東急 中日スターズ みんな揃って 元気な元気な選手
ここで一本 ホームラン・ブギ これが終りだ 九回裏だ コキンと飛ばして サヨナラしよか のびたのびたよ ラッキー ラッキー・ゾーン♪

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“精密機械”北別府学『赤ヘル1975』

2023-06-17 10:12:37 | 名画と野球のコラボ

 自分が知っている“精密機械”と呼ばれた投手が2人いる。阪神、東京(ロッテ)、大洋で歴代3位の320勝を挙げた小山正明と、先頃亡くなった広島の北別府学だ。

 小山に関しては、残念ながら現役生活の晩年しか知らないが、北別府はまさに新人から引退までリアルタイムで見た投手だっただけに思い出深い(名字の珍しさもあって)。どちらも今でいうところの“脱力系”のゆったりとしたきれいな投球フォームから投げ下ろし、針の穴を通すとまでいわれた抜群のコントロールを身上とした。

 今回のWBC日本対チェコ戦での、剛速球の佐々木朗希と軟投派のオンドジェイ・サトリアの投げ合いを見ながら、昔の江川卓(巨人)と北別府の投手戦を思い出した。タイプの違う一流投手同士の投げ合いを見るのもまた楽しいものだった。

 重松清の小説『赤ヘル1975』は、75年の広島を舞台に、野球少年のヤスと転校生のマナブの交流をカープを媒介にして描いたものだったが、ラストは、ヤスが、カープの宮崎キャンプを訪れ、広島を去ったマナブへの思いを重ね合わせながら、同名の新人投手である北別府学に声を掛けるシーンで終わっていた。

 「北別府さん、がんばってください! カープのエースになってつかあさい!」「キタベップ、マナブ、さーん! これからも気合入れて、負けんとがんばってつかあさい! キタベップ、マナブ、さーん! どがあなことがあっても、元気でおってつかあさい! マナブ、さーん! ほんで、また、いつでもええけえ、広島に帰ってきてつかあさい!」

 恐らく重松は北別府のことを意識して登場人物の一人をマナブと名付けたのだろう。

『赤ヘル1975』(重松清)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a9d596e8420c3f00193a2d289c84b79c


「フォークボールの神様」といわれた杉下茂も亡くなった…。

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