ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

3月のこと

2014年03月30日 | ノブ
3月にあったこと。
3月11日 花壇に咲いていた花




3月16日
家の近くのバイパスに植えられていたヤマモモの木は古くなり
新しく桜に植え替えられました。その桜が咲いてました。


鉢植えの山桜も咲いてました。


春は植え替えの時期。


鉢に植えているモミジは芽吹きが早い。


急いで植え替えなければ・・・


3月22日 6:25 いつもの場所の桜島
JR谷山駅周辺の再開発で右側あったビルが取り壊されてしまってました。


しばらく歩くと また噴火しました。

JR慈眼寺駅からJR谷山駅にかけての指宿枕崎線の一部が
高架になるそうで工事中です。

この永田川にも高架の橋を造ってます。
工事中です。どんな景色になるんでしょうか?

3月23日のこと 子供が鳥栖に遊びに来ました。
JR博多駅のホールでやっているという金魚を見に連れて行ってもらいました。

アートアクアリュウム展


博多駅の屋上。天気が良いですがちょっと霞んでいます。西側の眺め


東側の眺め 空港から飛行機が離陸しています。


屋上のアトラクション


JR九州のグッズのコーナーもあります。

ソニック、ゆふいんの森、つばめの帽子。

見ているだけで楽しくなります。社内でも販売しているようです。

子供たちは お土産を買って新幹線で帰っていきました。

3月24日のこと
会社の同僚の方が作って来てくれました。海苔チップ!

同僚は有明海沿岸民です。有明海沿岸では普通に食べられているものだそうです。

海苔をごま油でいため、塩味、一味味など家庭の味があるとのこと。
両方もらって焼酎のお供に 美味しくて後を引き止まりません。

3月30日 実家の庭の花が咲き始めてました。
コデマリ


ツツジも


鳥栖の畑の隅にスイセンも咲いてました。


今年の3月もさっさと去ってしまいました。

街道歩きの続きの続き

2014年03月09日 | ノブ
街道歩きは日見宿をぬけていよいよ峠越え


標識をたどって芒塚の坂を登っていきます。
日見宿の海に近いところから峠にむかいます。きつい!

芒塚のバス停あたりで街道がわからなくなり・・・
迷ったみたい・・・
せっかく登った坂道を戻ったけどわからない。

小雨も降り始め寒く途方にくれていたら
バス停に登っていく若者が声をかけてくれました。

見るからに街道歩きをしているとわかったらしく
「長崎街道ですか?」と渡りに船。

街道歩きの人を見慣れている地元の若者でした。
親切に「それならこの上のトンネル入り口の左側ですよ。」と
教えてくれました。助かりました。

教えてもらったとおり、街道は日見トンネルの入り口の左側でした。


街道の説明書きを確認。安心しました。


西の箱根といわれた日見峠。街道の中でも屈指の難所。
登りが続ききつい!


日見峠に到着。




新茶屋跡で一休み


峠を越えて国道を横切る地下道を通って


一の瀬口 蛍茶屋跡


その先の石橋 一の瀬橋を渡って、蛍茶屋電停の近くの車庫の脇をいきます。


街道脇の由緒書きを読みながら歩きました。
遠山の金さんのお父上関係の由緒書き。


中川の古橋。


この石橋は中国人が寄進したものだそうです。
一の橋も中国人が寄進したものだそうです。


さらに街道を進むと シーボルト通りがありました。


せっかくなのでシーボルト屋敷跡を見学。


若き日のシーボルト像







歴史のお勉強をして再び街道に戻り

坂本龍馬の由緒書き


「長崎街道ここに始まる」の石碑


街道の由緒書き


「す」の看板が風情あります。


出島に向かって歩き続け 長崎会所跡




長崎奉行所立山役所 復元されてます。


長崎県立美術博物館の裏に 防空壕がありました。






この防空壕内で原爆投下の経験談が書かれてました。




防空壕を見学した後、出島に向かって歩きます。
県庁の敷地内にある「イエスズ会本部跡」「長崎奉行所西役所跡」「海軍伝習所跡」の石碑。


平日なら県庁の敷地を横切って出島側に出ることが可能ですが、
今日は休日で扉が閉まってました。

仕方なく県庁敷地を迂回したところ
「南蛮船来航の波止場跡」の石碑がありました。


出島が見えてきて


とうとう旧街道の西への歩きは出島に到着したのです。


発掘 復元されている出島を見学。沢山の観光客でにぎわってました。


小さな出島 これは昔からあった気がします。





出島からは電車に乗って


JR長崎駅に行って 今日の歩数は

多い歩数ではなかったですが きつかった。
やっぱり日見峠は難所でした。JR長崎駅から新鳥栖駅に戻ったのでした。




街道歩きの続き

2014年03月09日 | ノブ
朝一番の列車に乗って長崎に向かいます。
佐賀平野の麦畑に日が昇る。


この時間の特急はガラガラ


有明海にも日が昇る


諫早駅でふつうに乗り換え、この前戻った肥前古賀駅から歩き始め。
境界石 刻まれている文字は写真ではわかりにくいのですが
「従是南佐嘉領」と刻まれてます。


行くぞ


八郎川の渡しがあったところ。


そこを過ぎたら 「長崎大水害の碑」が建ってました。


矢上宿に入り恵比寿像が住所をご案内。



島原街道もここを通ります。交通の要衝だったそうです。



矢上宿の由緒を読んで


読んだときは なるほど・・・と思いますが
内容はほとんどおぼえていないのが悲しい・・・


街道沿いに恵比寿様


諫早役屋敷跡


矢上番所跡を過ぎて


番所橋 昔は石橋だったそうです。


矢上宿から領境に向かっていくと
日見矢上境に石標があり


歩いた来た方には「是従北佐嘉領」と刻まれ
向かう方向には「彼杵郡之内日見境」と刻まれてます。


石碑の回りは団地です。

ここは「腹切坂」の上になります。

腹切坂の由来を読んで日見宿へ


日見宿の石碑を確認して


三国橋




日見宿をぬけ 歯痛観音を過ぎていよいよ日見峠へ


日見峠越えは 「街道歩きの続き」の続きへ続く。


散歩。横浜

2014年03月08日 | ノブ
横浜市の伯父宅に泊めてもらった翌日。久しぶりの横浜なので午前中散歩しました。
平沼一丁目の交差点を左折して

ランドマークタワーをめざして歩き始めました。

ランドマークタワーを見上げながら通過。


タワーの向こうに帆船「日本丸」が見えてきて


赤煉瓦倉庫にむかいます。昔列車が通っていた橋?

左側に線路のような鉄の線が入っています。

線路のようなものはさらに先に続いてました。


歩いた来たあとを振り返ると


天気はいいけれどちょっと肌寒い。
線路のような線は「旧横浜港駅プラットホーム」まで続いてました。


赤煉瓦倉庫を見学して








山下公園へ向かいます。


大さん橋ふ頭に大型客船を見ながら


赤い靴をはいていた女の子


歌詞が表示されていた由緒書き 破れていて残念。


海をながめるように後ろから見るとなんだか悲しい。




かもめの水兵さんの石碑もありました。


20年以上前に泊まったホテル

古いホテルです。



花嫁さんが結婚記念写真の前撮りをしてました。




氷川丸


船内を見学。日本を代表する歴史的な船。
中を見て回り


面白くて時間が思いの外過ぎてしまっていました。
もう伯父の家に戻らなくては・・・・

横浜中華街の中を通り


立派な建物を横に見て


地下鉄 みなとみらい線「元町・中華街」駅から横浜駅に戻りました。
伯父、伯母と昼食をとって羽田にむかいました。
今度はいつ来られるかと思いながら鳥栖に戻りました。


3月のこと

2014年03月07日 | ノブ
今年も侘助「一休」が咲きました。
2年も植え替えをしていないので花が終わったら植え替えましょう。


3月2日(日)7:04のいつもの場所。
今日は曇っており桜島は見えません。

いつもの場所ですが右側のビルの形が変わってきています。
取り壊されている途中です。JR谷山駅周辺の再開発が進んでおり周辺の建物が
取り壊されています。いつもの場所の景色も変わっています。

3月7日(金)
また東京に出張でした。
ANAの機内サービスで飲み物を入れた紙コップ。

もう3年が過ぎる・・・

また上野公園をウロウロ 野口英世先生の銅像にご挨拶。




子どもの頃読んだ伝記を思い出しました。


毎月東京に出張しましたが今月が最後でした。
今回は横浜に泊まって明日ゆっくり鳥栖に帰ります。