ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

天草 2

2018年08月26日 | ノブ
8月26日(日)

天草の下田温泉に泊まった翌日。
昨日飲んだお酒が美味しかったのでお土産に購入しまして出発!

今日も天気が良い。天草西岸からの東シナ海


今日も石碑から 五足の靴




<五足の靴について> 
明治40年(1907年)夏、東京新詩社の主宰の与謝野鉄幹とその門弟、北原白秋ら5人は
1ヶ月にわたる九州旅行を企画。世に言う紀行文「五足の靴」の旅。

石碑の建つ高台からの東シナ海の眺め


天草は陶石の産地でもあります。陶磁器の窯元(高浜焼 寿芳窯)に寄りました。
真っ白な陶磁器でした。お土産に小さなスミレのお猪口を買いました。

その隣にあったお屋敷 上田家庄屋屋敷


中には入れませんでしたが家の周りを見学


去年 世界遺産に登録された崎津協会へ




津崎資料館みなと屋を見学。みなと屋2階からのの天主堂


潜伏キリシタン関係の資料が展示されており興味深く拝見いたしました。

津崎集落のジオラマ




集落の山側にある諏訪神社の鳥居からの天主堂


潜伏していたキリシタンは仏教徒を装い神社にお参りしたりして信仰していたそうです。

御朱印もいただきましたが、持参の御朱印帳へいただくのでなく、
お寺、神社、教会の御朱印がセットになっていたものでした。



世界遺産登録で多くの観光客がお見えでした。


それから牛深へ向かいお昼を食べて (伊勢エビを見ただけ)

長島町の蔵之元行きのフェリーに乗って帰りました。おしまい。

天草へ 1

2018年08月26日 | ノブ
前々から たまには家族でどこか行きたいと言われておりまして
「どこに行く?」と問われ「どこでもいい!」と答えたら

「長崎がいい」「ハウステンボスにも行こう」といいだして

一泊二日で車で行くにはちょっと遠いので時間がもったいないと反対し
「じゃあ、どこに行く?」と再度問われ「天草がいいな」と言ったらあっさりOK。

旅館も空いていたのでそれでは行きましょう!

8月25日(土)次女の車で出発!

高速の松橋インターでおりて三角から天草五橋から天草へ 天草四郎さんにご挨拶




お昼になったので 道の駅で昼ご飯。リップルランドの海鮮丼をいただきました。

とても美味しかったです。

国指定重要文化財の石橋がりました。


ここは天草・島原一揆にゆかりの戦いの地だったそうです。


歴史のある石碑や石橋などの石でできたものが好きな自分を自覚します。
石の誘惑に弱いんです。
家族は全く興味がなく車から降りてもこない。

石橋の近くに ちょっと新しい石碑を見つけました。

有名なお二人の来島を記念して建てられたそうです。

石碑には

「明治29年十一月十五~十七日
 第五高等学校修学旅行引率のために来島
 祗園橋を渡って本渡北地で天草の乱本渡合戦の
 仮想演習をして翌日に志岐山越えて富岡へ行く

 「夏目漱石西海路探訪」(拙著)に詳述
 天草文芸会代表 鶴田文史
 同会員     泉充           」と書かれてました。



石碑ではありませんが岩です。


自然に出来たものです。 

家族はこの岩にはちょっと興味を持ったようでした。

それから富岡城跡に行きまして なかなかの展望でございました


勝海舟と頼山陽の銅像がありました。


ここは出水のツルが北帰行する時、上空を飛んでいくそうです。
その時期には多くの方が写真を撮りに来られるそうです。

旅館に到着、天草の西海岸に建った旅館で
夕日が有名ですが水平線に雲があり残念ながら海に沈む夕日はお目にかかれませんでした。

旅館の夕食

地元のお酒 「天草四郎」 刺身が美味しゅうございました。

天草四郎ゆかりといえば 今日、家内が「四郎の初恋」というイチジク餅をお土産に買ってました。
製造しているお菓子屋さんまで行き購入しました。

お盆の仕事

2018年08月16日 | ノブ
8月13日(月)~16日(木)

お盆休みでしたが奄美大島に出張でした。
奄美のお盆は旧盆で、この期間は普通に仕事です。
この時期に合わせた仕事でした。

原生林が続く奄美の山です。


さとうきび畑の隅にパパイヤが植えられていました。




大島紬のパッチワークが役場庁舎に掲げられてました。
大島紬の柄なんでしょうね?


みっちり仕事をして最終日に飛行場近くの観光地に連れて行ってもらいました。
あやまる岬です。

「あやまる岬」って変な地名だと思ってましたが、碑文に「あやまる」由来が書かれてました。

碑文:
奄美の乙女たちは、正月になると赤・青・黄の色とりどりの糸で刺繍したきれいな手鞠で手鞠歌を
歌いながら鞠つきをします。
この岬一帯のなだらかな地形が「アヤに織られた手鞠」によく似ているところから、いつの頃から
「アヤマル」と呼ばれるようになり、地名になったんだろうと伝えられています。

太平洋から笠利岬


土盛海岸

美しいところでした。