ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

その他のこと

2014年07月31日 | ノブ
7月のその他のこと
鳥栖市内の朝の散歩を続けてます。

7月29日 5:32 鳥栖駅の東側に古い記念碑が建ってます。

建てられたいわれはわかりませんが「鉄道分水之碑」昭和14年10月と刻まれてます。

鳥栖の田んぼは青々としてきました。

筑後平野と耳納連山 

朝日が昇る 7月30日 5:40 


7月31日 5:13 姫方交差点 歩道橋の上から

3号線は福岡方面

東の空が明るくなって来ました。小郡方面。


鹿児島本線沿い JR田代駅とJR弥生が丘駅の間 
博多方面にむかって右側にあるクスの木


鳥栖に来た当時
この木のそばに レストランがありましたが取り壊され長く空き地になってます。
この木は列車から見ることが出来ます。
かなり大きな樹で 気になる樹です。伐られずに残してもらいたいものです。

次女の島

2014年07月27日 | ノブ
行ってみたい場所。
いつか行こうと思ってましたが 天気もいいし今日でしょ!

宗像市神湊から船に乗って 大島へとうちゃこ!


夏休みでお客はほとんどが海水浴客でした。
家族連れや若者たちのグループでいっぱいでした。


さて 天照大神には3姉妹がおわします。
長女さんは田心姫神 次女さんは湍津姫神 三女さんは市杵島姫神。

長女さんは沖ノ島の沖津宮に 次女さんは大島の中津宮に
三女さんは宗像市の辺津宮(現宗像大社)に祀られています。

宗像大社はこの三社の総称だそうです。辺津宮の宗像大社




沖ノ島を世界遺産にする運動がおこってます。

宗像市の宗像大社はいつでもお参り出来ますが沖ノ島は簡単には行けません。

沖ノ島は女人禁制なんです。
女神さまなので女性が来ると嫉妬するんだそうです。
男性でも簡単に行けません。

でも
次女の女神さまの島大島には船で行けますので行ってみたい場所でした。

それに
大島は九州オルレのコースにもなっています。散歩コースにはもってこいの場所なんです。

オルレとは・・・(九州オルレでしらべてね!)
そういえば実家の近くにもオルレのコースがあったはず・・・


大島について まずは 次女の女神さまにご挨拶して(中津宮にお参り)




境内には織姫様もおまつりされてました。


オルレのコースは中津宮の後ろから山に登って行きます。
この山道がすごくきつかった。ずっと登って行きます。
海から標高224mの御嶽山山頂の展望所まで登ります。

このコースを巡っているのは自分だけかと思ったら
年配のグループ(男性2名、女性1名)があとから登ってきていました。

やっと着いた山頂からの眺め

宗像市です。霞んでいて残念。天気が良ければ福岡市まで見えるそうです。

景色を眺めながらしばし休息 息を整え水分を補給して
年配グループの後をついて歩き始めました。

オルレのコースを示す青色とピンク色のリボンを頼りに歩きます。
コースはこっちです。


馬の形?これもオルレのコースを示しています。


前を歩くグループ 遠くにコース上の風車が見えてます。


テクテクグループの後をついて しばらく歩いていたら

前を行く年配のグループは舗装している道に出たとたん
なんと走り出したではございませんか。

ついて行く気もなく もちろん体力もない あっという間に見えなくなり
その辺にいる気配もなくなってしまいました。

ぼっちになり とぼとぼ オルレのコースをたどって


天気がいいということは 暑いということで

通りかかった軽トラのおやじさんから
「ぬっかね?コイからがきつかばい!」と声をかけられましたが、

顔は「この暑い中物好きな奴」ともとれました。その通りだけど・・・

コースは竹藪をぬけ 杉の山道が続き視界が遮られた道が続きました。

ホントは夏歩くのはイヤです。
暑いし 蚊や蜂がいるしダニも 嫌いな蛇もいるし・・・

開けた場所に出ました。風車が近づいてきました。


風車の下でご飯を食べよう!と頑張って近づいたら

先客の若者グループがお食事中でしたのでべつな場所をさがして。

風車よりさらに高い所に砲台跡がありました。


中はどうなっているかというと


昔のまま残ってました。


沖から攻めてくる敵に備えていたようです。
丸ところが大砲を設置してところだそうです。4門が設置されてたようです。

幸いというかこの砲台は使われずに済んだとのことです。

玄界灘を一望でき、風が心地よくて気持ちが良い。
コンビニで買ったおにぎりをほおばりながら 嗚呼楽しい・・・来て良かった!


砲台跡から コースを辿るとひまわり畑 いいね!


次に向かったのは沖津宮遙拝殿

簡単に行けない女人禁制の島 沖ノ島をここから拝みます。
晴れていますが残念ながら霞んでいて沖ノ島は見えませんでした。

その方向に向かってお参りをして


港に向かってテクテク 海水浴場に行ってみましょう。
木陰で一休み 向こうは宗像市です。


港でフェリーを待って


さよなら 大島 暑かったけど楽しかった。

帰りのフェリーには一緒にオルレコースを歩いていた3人グループも乗ってました。
走っていたけど疲れている様子もありませんでした。

燈台

2014年07月24日 | ノブ
燈台に行ってきました。燈台も好きです。


北九州にある灯台です。部崎燈台。
瀬戸内海 周防灘に面しています。


1872年(明治5年)に初点灯したそうです。
日本の灯台50選の一つです。




向こうは山口県 どんどん船が行き来してます。

いい灯台だ!

次の日

2014年07月21日 | ノブ


26号機関車

たいそう古い機関車のようです。

乗って見ると

ドイツ製でございます。

パワーポイント 宇佐神宮


本殿は改修中。そういえば宗像大社、箱崎宮も改修中 なんでかね?


境内をあちこち見て歩き


ハスの花が咲いてました。古代ハスらしい


宇佐市から中津市へ 黒田官兵衛さんゆかりの地へいざ出陣!
まずは城攻め!中津城!


石垣にいわれが


歴史をお勉強して


中津城に登ってみますと

山国川が眼下にありその先は周防灘に続いてました。
その先は瀬戸内海、船で京、大阪へ行けます。

山国川の上流


城から城内をながめるの図

赤い着ぐるみがお出迎え 暑い中がんばってました。


大河ドラマの影響でたくさんの観光客が訪れてました。
駐車場は県外ナンバーの車がたくさん停まってました。

次も官兵衛さんゆかりのお寺へ 合元寺へ


別名赤壁寺


その刀傷が残る柱

う~ん すごいぞ!

官兵衛さんゆかりの中津にさよならして鳥栖に帰りました。

その前に中津市といえば お約束の 唐揚げを食べなければ・・・
昼ごはんは中津市の唐揚げ屋さんへ


テイクアウトのお店ですが、店でも頂けます。せっかくなので 唐揚げ定食「上」を
待つことしばし

美味しゅうございました。ニンニク醤油ベースの味付けでございました。
中津市内にはたくさんの唐揚げ屋さんがあります。
さすが鶏肉消費日本一の大分県。 ゆっくりと鳥栖に帰ったのでした。



大分に向かって

2014年07月20日 | ノブ
思うことがあって「青の洞門」をくぐって国東へ行きました。


着いた先は「昭和の町」豊後高田市。


暑いけど見て回り 町全体が昭和のまま!


昭和ロマン館


昭和の車が並んでました。


ウロウロ 


電気屋さんのショーウィンドウには懐かしい電気製品


手芸屋さんも


豊後高田市はお蕎麦も有名


軍鶏南蛮そばをチョイス


それはそれは美味しゅうございました。
十割そばで 軍鶏肉がころころ入って良く合う。

ゆず胡椒を付け汁に入れていただくと また美味しい。
また食べたいと思うお蕎麦でした。

それから学生の頃行った国東半島へ お寺参り まずは両子寺を訪ねて


有名な仁王像にお会いして





国東半島最大級の石像だそうです。昔から建っておられます。

次は富貴寺へ行ってみました。


山門の仁王像




九州最古の木造建築で国宝です。とても貴重な建物です。




なかなかすばらしいところでした。


それから真木大堂を訪ねました。
学生時代に訪れていたのにすっかり忘れてました。

待ち合わせの16:00に間に合うように宇佐市へ移動。
学生時代の友人と待ち合わせ 久し振りに合いました。

鳥栖に単身赴任してたまに大分に出張があるためいつでも合えると
思ってましたが、なかなかお会いできていませんでした。

今回思い立ったのも友人に会うためでした。
どうやら会社の都合で転勤になりそう。鳥栖から離れることになりそう。

待ち合わせの場所は「双葉の里」 昭和の大横綱 双葉山の生誕の地にあります。
友人は双葉山について 熱く熱く語り説明してくれました。

それから宇佐市に6月29日に開館した宇佐市平和資料館を案内していただきました。
太平洋戦争時に宇佐市には宇佐海軍航空隊がありました。

ここには映画「永遠の0」で使用された実物大のゼロ戦21型が展示されてます。




映画で使われた小物も展示されてます。


今、「永遠の0」のDVDを見て小説を読んでます。

その後18:00に宇佐市の旅館で一席もうけ
友人とその友人 3人でお食事会でした。

友人の友人は宇佐市にお住まいで学生時代にお会いしてました。
ハモしゃぶ ねぎしゃぶ 牛しゃぶをいただきました。

ハモは豊前海でとれたもの 今が旬です。
ネギは大分県の名物ブランド「味一ネギ」
牛は「豊後牛」でした。どれも美味しゅうございました。


ここの旅館は前に会社の方と数度会食していましたが、最近有名のなったのか?
若い女性のグループもきていました。

友人は早速、女性グループにご挨拶。
自身のフェイスブックへの友達勧誘のため名刺を配布してました。

楽しい時間を過ごすことが出来ました。今日は宇佐市に泊まりました。

ただ 友人のフェイスブックには いまだに「友達リクエスト」はないそうです。


















昔をたどって

2014年07月05日 | ノブ
親戚の娘さんが昔住んでいた福岡市を散策したということに触発され
今日は自分も大昔住んでいた福岡市を散歩してみましょう!

JR博多駅で地下鉄に乗り換え、地下鉄天神駅で七隈線にお乗り換え。
このような切符を利用して


この七隈線には未だ乗ったことがないのでした。きれいな車両でございました。

大学時代に住んでいた下宿は自動車学校の近くにありました。
自動車学校の最寄り駅 茶山駅で下車して まずは自動車学校へ
建物はきれいになっていましたが場内の練習場は昔のままの様でした。

練習場のフェンス越しに沈む夕日がさびしかったことを思い出しました。
下宿はとっくの昔に取り壊され、お世話になった大家さん家族はどこにいるのでしょう?

記憶をたどって通学路を探し学校に向かいました。
見覚えのある風景。向かう先に校舎が見えています。


校内に入る手前。昔この右側にボウリング場があった。

今はカラオケ屋になっているようですが、カラオケの看板の上に 「七隈ファミリーボウル」の跡が残ってました。

構内に入りここを通って学部の講堂に向かっていました。


構内は新しい校舎が建ち美しくなってました。この校舎は見覚えがある。


校内をウロウロして昔のまま建物を探して ありました。


このバス停も昔のまま


地下鉄がなかった頃 通学時間にはバスがしきりに入ってきていました。

今は地下鉄に代わってしまったのか?このときはバスは入ってきませんでした。

大学から学生生活後半に住んでいたアパートへ向かいました。
昔は田んぼばかりだったのに建物が建ちお店やなんかでずいぶん賑やかになっていました。

住んでいた木造モルタルのアパートは、木材店の敷地内に建っていたのですが、
とっくにアパートは取り壊されており跡形もありませんでしたが、木材店の店先らしい跡は
残ってました。とっくに人手に渡り住んでいる方の標札も代わってました。

そこから歩いて 黒田家ゆかりの別荘へ。昔はちっとも興味がなく「行こう!」とも思っていなかった場所です。
官兵衛さんのお導き?単なるはやりモン好き?






友泉亭


帰りは地下鉄の一日乗車券を買っていたのに歩き疲れバスで博多駅に行きました。


博多駅には 飾り山が


表は 「軍師 黒田官兵衛」大河ですね!




送り(裏)は 「サザエさん」でした。


最後に「黒田節」にご挨拶して帰りました。