ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

坂の散歩

2013年10月27日 | ノブ
今日も天気がいいのでJRに乗って遠くに行って散歩。
今日は南の方へ 普通列車に乗って 熊本県の木葉駅まで。

先月とある道の駅で「田原坂ウォークラリー」を案内するチラシを入手。
実施は来週の11月3日の予定になってますが事前申し込みが必要。

チラシにはアバウトな地図にコースが記載されており
歴史的に興味のあるコースでした。

申し込もうかなと思っていたら締切日を過ぎており
一週間早いのですが、一人で歩いてみました。

ウォークラリーのコースをたどろうと思い、コース最初のポイントである
官軍の病院となっていた「正念寺」へ行ってみました。

山門には弾痕の痕が残ってます。

最近読んだ本に澤村修治著「日本のナイチンゲール従軍看護婦の近代史」で
日本赤十字社が出てきます。

日本赤十字社の救護班誕生の歴史から大平洋戦争の終戦までの歴史が
書かれており、新島八重も従軍看護婦として出てきます。

日本赤十字社の前身は「博愛社」というのだそうですが、
この「正念寺」がその最初の活動の場所だそうです。

佐野常民(佐賀県の偉人)が創設を許可されて最初の活動場所に
なるそうです。境内には「博愛社」の石碑が建ってました。

この本をきっかけにちょっとばかり日本赤十字社に興味をもって
佐賀市にある「佐野常民記念館」にも行きました。

どこでも食事ができるようにコンビニでおにぎりと飲み物を購入して
次のポイント「豊岡の眼鏡橋」。

写真の右上 青い案内板が田原坂の登り口。

官軍はこの橋を渡って田原坂に向かって行ったそうです。

ずいぶん古い石橋でした。

一の坂といわれる坂道をのぼりましたが、思ったよりきつい坂道でした。
二の坂、三の坂をのぼって


坂の右側はみかん畑、色づいて収穫作業中。
その左側に石碑が立ってました。

谷村計介の碑


田原坂公園に到着


学生の頃バイクで来た場所です。その頃とずいぶん様変わりしてました。


公園をいろいろ見て回り

崇烈碑


田原坂資料館を見学

薩摩軍が使用していたといわれる波乃平刀匠の刀も展示されてました。
鹿児島市の自宅の近くに波乃平刀匠があった場所があります。
波乃平という地名があり、波乃平さんという方もおられます。

幕末に使用された鉄砲などが展示されてます。


「博愛社」の資料も展示されており
日本赤十字社のコーナーもありました。


美少年兵士の像

「雨は降る降るじんばはぬれる越すにこされぬ田原坂
 右手に血刀左手に手綱馬上ゆたかな美少年」

西南の役戦没者慰霊之碑があります。
八重の桜で出てきた会津藩の家老「佐川官兵衛」も
西南の役で亡くなっており、名前が刻まれてました。

田原坂公園でコンビニのおにぎりを食べて
ウォークラリーのコースをたどって散歩再開。

鹿児島本線は木葉川沿いに通っており谷になってます。
田原坂公園からJR田原坂駅におりて
公園の反対側の坂道を上りますと

官軍砲兵陣地の址の石碑がありました。


さらに北に向かって歩くと 官軍本営出張所址。


さらに歩くと 官軍砲兵陣地址 二俣砲台跡

谷をはさんで田原坂公園が見え、白い戦没者慰霊之碑が見えます。
ここから官軍は薩摩軍を砲撃していたようです。

コースをたどり予定通りにJR木葉駅に到着。
この散歩コースも充実してました。
上り下りのコースでしたが歴史的に興味のある散歩でした。

日曜日は無人駅でした。券売機が壊れておりキップを買えませんでした。

JR鳥栖駅で「木葉駅から」と駅員に告げて清算しようとしましたが
駅員は木葉駅をしれませんでした。・・・残念!

再開

2013年10月26日 | ノブ
涼しくなってきたので街道歩き再開。
6月にJR門司港駅からJR門司駅まで歩き大里宿を歩いたので
今日はJRで門司駅まで行って


街道は鹿児島本線になっていたり、会社の敷地になっていたり
回り道をしながら小倉へ向かってテクテク

旧海道の雰囲気が残ってます


小倉に入る所 長浜は街道沿いは海で白砂青松だったそうです。
長浜の木船神社に 由緒書があり万葉集にも歌われていたようです。


門司口橋


参勤交代で九州諸藩の大名が通ったところだそうです。


街道は小倉伊勢丹デパートの一階の通路を東西に通ってました。
びっくり
通路といってデパートの中で たくさんの買い物客でにぎわってました。
場違いなのでそそくさと通り過ぎて

西に向かうと


常盤橋に着きました。橋の東側





ここは小倉の五街道の起点だったそうです。

この東側は「秋月街道」「中津街道」「門司往還」
西側は「長崎街道」「唐津街道」の起点だったそうです。

東側に伊能忠敬先生記念碑がありました。




常盤橋を渡って


西側には 川底から掘り出された橋脚が残されてました。


街道の由緒書きがあり良く読んで


まだまだ歩ける時間ですが、今日はここまでとしました。
次は常盤橋から歩くか、冷水峠を越えて常盤橋に向かうかです。

JR小倉駅から電車に乗ってJR八幡駅で下車して試合を見に行きました。
今日は長女のバスケの試合が行われており応援に行きました。

九州リーグの1部、2部、3部制の入れ替え戦だそうで
上部リーグへ上がれる試合だそうで力が入っているようです。





80対66で勝利!

入れ替え戦は2チームずつが入れ替わります。
みごと3部昇格。おめでとう!






桜島と若葉マーク

2013年10月20日 | ノブ
10月の桜島 いつもの場所から 
10月12日(土) 17:01 夕方の散歩でした。

相変わらず灰をばらまいてます。

10月13日(日) 7:04 朝の散歩

灰は南西方面へ 

市電に乗って市役所前で降りて 水族館に行ってみました。
イルカ水路には イルカが今日も泳いでました。

3頭泳いでました。

今日も桜島は元気です。
噴いたと思ったら また噴いた!






噴煙はどんどん上がり風に乗って流れて行きます。


ジェットフォオルが出港



10月14日(月)6:30 霞んで隠れてます。


10月19日(土)11:01 ちょっと高い所からの桜島 寺山公園から


右上に開聞岳も見えてるんですが・・・


若葉マーク
10月19日から乗り始めました。学校まで運転。


練習しないと上手になれないので 一緒に乗って

何度も助手席にはないはずのブレーキを右足が踏んでました。

それにしても 車の任意保険が高くなりました。
35歳以上の夫婦限定から21歳以下家族限定に変更しましたが
一挙に倍以上の保険料となってしまいました。しかたがない・・・

2013年10月05日 | ノブ
民宿に宿泊し翌日は佐世保まわりで帰りました。
佐世保市の針尾というところには高い塔が3本建っています。

その一つ


見上げるほどの高さで

136mの高さがあり基底部の直径は12mで煙突のような構造です。

旧日本海軍の通信施設。旧佐世保無線電信所(針生送信所の施設です。
三基の無線塔は鉄筋コンクリート製です。
無線塔は正三角形に配置され、先端にアンテナ線が三角形に張られていたそうです。

内部は

煙突状になっており内部にはしごが設置されています。

アンテナ線を張ったりゆるめたりしていたウインチも残っていました。




大正7年(1918)から大正11年(1922)に建設されました。
古い鉄筋コンクリートの塔でおまけに海の近くなのに腐食は全くありません。
よっぽどいい材料と高い技術で建てられたようで全然痛んでいません。

現代の鉄筋コンクリート製の建物(橋や高速道路なんか)が腐食しているのとは
大違いです。

今年の6月に国の重要文化財に指定されたそうで、一般に解放して見学してもらっています。
地元の方のボランティアガイドも熱心です。


三角形の中心には電信室とよばれる鉄筋コンクリート造の通信施設も建てられていました。

半地下室の二階建てです。
今はツタに覆われていますが、将来は整備して展示室にする計画があるそうです。
なかにコウモリがたくさん住んでいるそうです。

他の設備。
この建物は、油庫(燃料庫)今はボランティアの方の詰め所になってます。


太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した施設として
有名だそうですが、そのことに関する資料はなくて送信したかどうかは不明だそうです。

この施設が空襲に遭わずに残っているということは、

一説ではこの施設を米軍は利用していたのではないか?
米軍は暗号を解読しきっておりここから発信される情報を利用していたのではないか?
また、長崎市、佐世保市への空襲の目印にも使っていたのではないか?

というような説明もしていただき納得した次第でした。

100年近く経っているのに状態がすごく良く、あと200年は大丈夫ではないか?との
学術調査の結果が出ているそうです。


重要文化財に指定され国から補助金が交付されるそうです。
今は一本の塔しか見学出来ませんが、今後三本とも見学できるようにして
展示室も造って施設を整備していくそうです。
整備されたらまた見学に来よう。

遠くに見えるのは・・・

2013年10月05日 | ノブ
海岸線の向こうに見えてきました。
前々から行ってみたいところでした。


望遠鏡をのぞくと


ここは長崎 野母崎
見えているのは軍艦島でした。


明日軍艦島に上陸する計画を立ててましたが台風が来てます。
この時は
思ったより凪いでいるので明日は行けるかも・・・と期待してましたが、
たぶん明日は波が高くなって行けないだろうなと半分あきらめてました。

泊まる予定の民宿に夕方ついたら 
ご主人が明日の上陸を船長さんに相談してくれて

やっぱり明日は台風の影響で上陸は無理とのことでした。
今(夕方)なら上陸は無理でも軍艦島の周りをまわれますとのこと。

急きょ、みんなで相談の上、連れて行ってもらうことにしました。
急いで港に向かって

出発!


陽が沈む前に行かなくては ということ
ものすごいすごいスピードで向かいました。


夕闇の軍艦島


まわりこんでもらい 日本で一番古い鉄筋コンクリートの団地


すごい所でした。


この角度でも戦艦に見えました。


次はぜひ上陸したいものです。


暗くなったので軍艦島とお別れ


帰りもぶっ飛ばしてくれました。
軍艦島の灯台が名残惜しく灯ってました。


泊まりの民宿でイセエビをいただきました。
野母崎はイセエビで有名です。


味噌汁最高!


翌朝 泊まった野母崎の民宿
お世話になりました。