かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「とか」「とか」「とか」が流行語か?

2015-09-18 | 気ままなる日々の記録

   この施設のお風呂で患者さんの衣類を脱がせたり着せたり、更には、体にお湯をかけてハンカチぐらいの大きさのタオルに石鹸を付けて体を洗って下さる人は通常ケアーさんと呼ばれています。この人たちは、近くにお住いの主婦の方々でご自分の都合のいい時間だけパートで働きに来ておられる方々です。

  皆さん人生の酸いも辛いもご承知の方々で、かって、「男の人は面白いですね、体の同じところに同じ形のものが付いているといわれ、オソマツ君が「自分の物だけ形が違っていたらその男の人は自殺してしまうかもしれませんよ」と云ったら「死ぬほどのことでもない」と言ってのけられ「いろいろな形があったら主婦の浮気が増えるかもしれませんね」といってのけられたこともあります。

  そのケアーさんたちが最近何につけても「とか」「とか」といわれます。例えば「お湯とか入れていいですか?「泡とかいれていいですか?」といった調子である。僕は「お湯だけにしてください」「泡だけお願いします」と答えることにしています。そうすると「どうしていちいちだけだけっていうの?」と聞かれるので「とか」「とか」とおっしゃるからね」とこたえると「厭らしい人!と答えられるので困ってしまいます。この「いやらしい」がまた流行語」らしいです。いいお婆さんが女子高校生のように話されることこそ「いやらしい」とお思いになりませんか?


天の一角から声がありました。

2015-09-16 | 気ままなる日々の記録

   「自分の頭の蠅さえ追えないものが、歴史上の我が国の指導者を批判してみて何になるか。オソマツ君がいよいよオソマツ度を増すばかりで、読者もあくびをかみ殺すのに苦労するだけ、オソマツ君は以前、瘋癲のドラと名乗っていましたが、いよいよ瘋癲度を高めたということか」今朝突然天の一角から、このような声が聞こえてきまして、身震いしました。

 今リハビリから帰ったところです。杖に縋って100m程歩き、途中で、二階の階段を手すりに捕まって一階に降り、また反対側に移って今度は二階へ上る。これを理学療法士に連れられて行うという訓練でした。健常者にとっては何でもない動きに息を切らせ、汗をかくというお粗末さです。

 私の目の前で、僕よりうんと症状の軽い人が床にマットを敷いて、その上を膝頭で歩く練習をしていました。「あれは、僕にはできない動作ですねえ」といえば、「そうです。あれはバランスを取るのが難しい動作ですよ」とのこと。「それでも、誰もいないところで転んだら、あれをして、捕まる支えのあるところまで行き、そこで、支えに捕まってたちあがるということが、全てのスタートになりますから、いずれ、練習しましょう」、とのことだった。僕はゾーとした。 

参考までに:瘋癲ふうてん). 精神的な疾患。→ 精神疾患; 定職を持たず街中 などをふらつくこと。またはその人。または、山田洋二さんが監督をされた「男はつらいよシリーズの映画で渥美清さん演ずる「瘋癲の寅さん」と文豪谷崎純一郎作の小説「瘋癲老人日記」が有名です。更に、この文豪の作品は映画化され若尾文子さんが主演された成人向け映画が随分話題になりました。


「大人のための昭和史入門」(文春新書)を読みました。

2015-09-14 | 気ままなる日々の記録

このブログが我が国の為政者批判ばかりになり、そのことを子どもから指摘され大いに反省したところであるが、また以前のように下手な「読書感想文」のようになり訪問者にお詫びして新しい内容に切り替えることをお約束したところだが、また振り出しにもどったようで、恐縮至極であります。でもどうしてもこれが書きたくなって、止まりません。今回の内容は2本立てです。

 第一は子供が推薦してきた本の紹介。2番目が前出の本の紹介です。

 子どもが紹介してくれた本は樋口清之著「祥伝社新書「梅干しと日本刀」-日本人の知恵と独創の歴史ーです。

 兎に角この本は面白かったです。日本人は大した民族だと思えてきます。一読をお薦めします。特に数学や理科系がご専門のお方は必読の書でしょう。

  僕の為政者批判はややもすると「自虐史観と思われがちですが。

 そうでもなく、僕自身はかなり愛国的でただ一つ、どうして日本はアメリカを中心とする世界を相手に戦争をしてしまったのか、あの戦争で命を落とした大勢の若者たちの無念はどうすれば晴れるかが気になってしかたがないのです。

 最近読み終えた本が文春新書「大人のための昭和史入門」著者半藤一利ほか5名です。

 ここではこの本で指摘されている昭和15年ころの我が国の政界の盲点を紹介しておきます。こうした視点を多くの人が共有することによってこの過ちを繰り返さない気がするからです。

 結論を先に書きます。世界は第一次世界大戦によって大きく変わったのに日本はそのことにまったく気が付いていなかった。大きく変わった点は、

 ①戦争は国力、科学力経済力などの総合された国力の戦いであるように変わったのに、それに気づかず、以前の戦争のように軍隊の強弱や作戦の優劣で戦うと誤解していた。

 ②戦力の中心は空軍力となりタンク(戦車)や潜水艦の力が大きく勝敗を決めるということに気付いていなかった。戦艦大和の建造に心血を注いだが、もうそういう時代ではなく、事実沖縄戦に出撃して2000人もの尊い水兵を葬る棺桶になっただけだった。

 空からの爆弾、潜水艦からの魚雷に全く弱くアメリカが側から見と全く恐れる必要のない鴨だったのである。いやそれ以前に、燃え盛る火の海へ、木造船に兵士を乗せて出撃させたようなもので、出撃命令そのものが、すでに、狂気であった。

 同じようにコメを持たせ雨季のジャングルへ出撃を命じられ空腹で亡くなった大勢の将兵の無念さは何年たっても晴れることはないだろう。

 どうしてパンを持たせなかったのか、せめて缶詰を持たせるということに気が付かなかったのだろうか。

 我が国の司令部の劣化は想像を絶するものがあった。現場が見えていない作文上手が口先だけで保身に走っていた。これでは兵士も国民もたまったものではない。

 この点は現在は改善されたのだろうか、用心深く点検する必要がある。あの時代、国に命を奪われた若い人たちの無念を晴らすためにもこの点検は疎かにできない。左翼への点検も必要である。一つだけ例をあげると、北朝鮮による拉致疑惑が持ち上がったとき「社会主義の国がそんなことをするはずがない」と豪語した左翼政党の党首がいた。彼女はすでに亡くなったが、生きていたら前言を取消し、捜査当局への謝罪をするだろうか。我が国はこういうととにもルーズである。この左翼政党は日本教職員組合を支配下に置き、日本の教育界をダメにした。

  ③それより、エネルギーが石炭から石油に代わったということさえ理解していなかった。

  石炭では飛行機は飛べない。潜水艦は動かない。だから、石油確保力が国力だという始めの一歩さえ分かっていなかった。

チョット前女子国構成の間でKYと云って特定の生徒を仲間外れにしてイジメルことが流行ったがこれは「空気読めない子」と云う意味だそうだ。この言葉を使えば我が国こそが世界の中でKYだった。現在もその傾向がみられる。

 

 ひと時代前の戦争ばかりを想定し日露戦争の勝利に酔っていた。

 ④更に、世界平和のための理念が問われる時代に入り国際連盟設立の経緯に無頓着であったため、孤立状態だった。

 これらに関して中国の方が遥かに上手で、国際世論に訴えたり、国連常任理事国に提訴したり巧みな外交を繰り広げていた。日本と蒋介石の中国とが戦うことを一番歓迎していたのはモスクワに本部があったコミンホルムと呼ばれていた、「世界共産党連盟情報部」であった。理由は、日中戦争の隙をついて毛沢東共産党が勢力を拡大できるるし、日本がソ連と戦うことができないから結果的にソ連を守ることになるからだ。その動向は尾崎・ゾルゲ事件で見えていたのに、その後の処理を誤った。歴史に「もしも」は無いが、孫文も蒋介石も日本に留学して国の近代化を学んだ人々だったので、日本と蒋介石が結んで毛沢東と戦っていたら毛沢東の中国は世界に存在せず従って北朝鮮も存在せず、今日的な中国の脅威もなく世界史が変わっていた。その意味で日本の為政者の国際感覚のオソマツさが残念でならない。この外交センスの悪さは今も続いている。

 

 


鬼怒川考

2015-09-11 | 気ままなる日々の記録

集中豪雨のテレビニュースで何度も鬼怒川の名を目にし、何とおどろおどろしい名前の川だことよと思っていたら今日の新聞で名前の由来を読みました。

 かつては穏やかな清流で絹川と呼ばれ、字も絹があてられていたようだが、江戸末期に大洪水を引き起こし、それ以来鬼怒る川が使われることになったとか。

 その前に地震が谷を塞いで湖ができ、今度は集中豪雨で湖の堤防が決壊したとか。色々の歴史があるようだ。以下はネットで検索したときの解説の一部分である。「鬼怒川(きぬがわ)は関東平野からへと流れ利根川に合流する一級河川である。全長176.7kmで、利根川の支流の中で最も長い。

 江戸時代以前、鬼怒川は香取海に注ぐ大河であったが、徳川家康利根川東遷事業によりもともと江戸湾に注いでいた利根川が東遷され鬼怒川に近い流路に付け替えられたうえで、鬼怒川は利根川に注ぐ河川とされた。

 また、近代になって鬼怒川の文字が当てられるようになったが、江戸時代までは毛野国栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれたまた、上流域にある鬼怒川温泉の略称としても使用される。

 要約すれば、この川の誕生は大地震で山肌が崩れ谷川を塞ぎ大きな湖をつくった。その湖を水源とした美しい水の清らかな川が元祖でその頃は「絹川」と呼ばれていた。

 その後徳川家康の利根川付け替えと云う大工事によってこの川も利根川に付け替えられ大洪水を起こすようになって「鬼怒川」と呼ばれるようになった。ということである。

 つまり、自然災害は繰り返されるもので、その地の歴史を丹念に調べれば、その地に起こる災害は予想きるということだ。

 そういえば、東日本大震災の時もマグマの動きと溜まったエネルギーの解放とかで、大地震が一定の周期で起こっているという研究が紹介されていた。

 そろそろそれを生かした。国土建設を初めて頂きたいものだ。最後になってしまったが、罹災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

自衛隊のヘリコブターの活躍を見ていて助けられた方々の胸中を思うと言葉が出ない。濁流にのまれて家が動き始めた屋根の上にいて自衛隊の隊員の方に抱き上げられ、するするとヘリの中へ吸い込まれていかれる姿を目の当たりにして目頭が熱くなりました。自衛隊の皆様ご苦労様でありました。及ばずながら最敬礼を送ります。


大好きな「湯の町エレジー」ですが・・・・

2015-09-10 | 気ままなる日々の記録

作詞野村俊夫、作曲古賀雅夫の「湯の町エレジーです。まず、歌詞を全部書いておこう。

①伊豆の山々月淡く あたりにむせぶ湯の煙

ああ 初恋の 君を訪ねて 今宵また

ギターつま弾く、旅の鳥。

②風の便りに 聞く君は

いで湯の町の 人の妻

ああ 合い見ても 晴れて語れぬ この思い

せめて 届けよ 流し歌

③淡い湯の香も 路地裏も

君住むゆえに なつかしや

ああ わすられぬ夢を抱いて 散る涙

今宵ギターもむせび泣く

最近の僕は殆ど中毒で、食事の時も、自室でのかるいリハビリのときも、この曲をパソコンで流している。((お気に入り登録をしているのですぐに、この曲が流せます))

曲は名曲だと思いますさすが「影を慕いて」の古賀さんです。凄く哀調があって、親しみやすいメロデーだと思います。チョット引っかかるのは③の「君住むゆえに なつかしや」というところです。初恋の人が住んでいる見ず知らずの町に懐かしさを感ずるだろうか。と云う疑問が頭に浮かんで離れません。「変な事を云って誤魔化さないでくれ」と云う感じです。名作詞家星野哲郎さんのように、詩の隅々にまで余韻の残るステキな表現ではありません。そろそろ、お気に入り登録から外そうかと思っています。

 

 


台風一過。

2015-09-10 | 気ままなる日々の記録

「この地方直撃」と予想されていた台風18号が予想が的中してこの地の頭上を通過した。それにしては大きな被害もなかったようで今日は会う人ごとにその話題でもちきりでした。

 先刻この施設の5階北側廊下の突き当たりの展望場所で広々とした田圃を見てきたが、倒れた稲もなかったようで、夕日に照らされた黄金色の稲穂がたわわに広がっていて、本当に良かったと神様に感謝し「よく頑張ったね」と稲たちを激励してきました。風がそれほど強くなく、雨だけだったようで、此処大口町の耕地整理は完璧で排水力も優れていて、何の問題もないようだった。

  それに引き替え栃木県の方は大変だったようだ。我が国は排水力が乏しい地方が多いようではらはらさせられます。

 例え床下浸水でも被害に逢われたご家庭のことを思うとため息が出る。畳を上げ、床下の板を外して風を入れ、ついでに流れ込んだゴミも拾い出しておかないと悪臭の原因になる。思っただけでも大変な作業なのに、、1000兆も借金を造った我が国が沢山の床下浸水の家を出していること自体が政治のお粗末さの見本である。

  政治家も中央官庁の役人も東京の高層マンションに住んでいて食糧生産に精を出している地方の農家の実態が見えていない。与野党ともにそうなんだろうと思われます。

  テレビ報道によると地球温暖化が関与しているようで、排出される二酸化炭素の量は中国とアメリカが筆頭だとのこと。ここにもまた、政治課題が横たわっている。

 

 

それはそうとして、間もなく「暑さ寒さも彼岸まで」の「お彼岸」である。土手の彼岸花がそれを教えてくれた。

 

 

 


オソマツ君はまだ生きていた。

2015-09-09 | 気ままなる日々の記録

在職中ある会に所属していて、確か退職時に「終身会費」を徴収されていた関係からその会の名簿が今頃送られてきた。

 もう、それほどの感慨も無くなっていたが、一応最初から開いて自分の名前を探した。しかし、アイウエオ順に出ているはずなのに、オソマツ君の名前がない。もう一度探したがやはりありません。おかしいなと思いよく見てみたら名簿の最初の章は物故者の部で、オソマツ君はまだ、生きているので載っていないのだった。

 そうとわかったとき、「そうか、俺はまだ生きているのか」、と改めて感慨無量になって、次の章のところを探してみたらチャント載っていて声をあげて一人笑いをしました。

 そしてそれ以後「俺は未だ生きているのか」が口癖になった。

 その名簿の最後には、その会の事務局宛のハガキは刷り込まれていた。そこで、家内に「俺が死んだら忘れずにこのハガキに「死んだ」と書いて投函してくれよ」と頼んでおいた。これを忘れると、今度はあの世でこの名簿を見て、「俺は死んだはずなんだが、まだ死んでいない」と、大騒ぎすることになりそうだからだ。(T)


育った環境について。

2015-09-08 | 気ままなる日々の記録

先週の土曜日、お風呂のケアーさんとのはなしである。以下Cはケアーさん、Oはオソマツ君《僕)である。

C「Oさんの奥さんはキチンとした人だねえ。2階のギャラリーのところをいつも早足で歩いておられるもの。」

O「そうだよ、ものすごく、キチンとしてるよ。女3人姉妹の長女で、小さいとき,それに中3になっても、高3になっても母親から「お姉ちゃんがキチンとしなきゃあ」と何度も云われて育ったんじゃないかと思うんだ。

 それに何かを決めることも好きだねー。毎日○○をするとかね。

 僕はまるで反対で何かを決心することは苦手で、決心しても、それを守ったことはないんです。僕には一つ上の兄がいてね、兄は体も大きく喧嘩も強かったので、僕の玩具を取り上げたり、僕を叩いたりした。そんな時、僕はありったけ大きな声を出して泣いてやったんです。そうすると、おふくろが来て兄を叱るから,ザマアミロと思っていたもんです。僕は悪い性格です。」

C「そんなことはない。誰でもよ。弱い方は泣いて親を呼ぶ。其れより、お兄さんは人を使うのが上手になられたと思いますよ。男の子大勢の兄弟のお兄さんは親分か、ボスになる。一人っ子は子供付き合いが下手でいじめられっ子になりやすいって、いいますよ」

O「そうか!兄は今町工場の経営者で工員さんたちに「親父さん」と呼ばれて、うまくやっているようだけど、それも、僕の性格が悪かったせいかもしれませんねえ」

C「Oさんの性格は悪くないといったじゃないですか」

O「恐れいりました。忝い(かたじけない)ことです」。

全部が全部此処の話の様だとは言い切れないが、育った環境が予想以上に人格形成に大きな影響を及ぼすというのは事実のようです。(T)


エッセイいろいろ

2015-09-07 | 気ままなる日々の記録

  あまりたくさん読んだわけではないが、エッセイと云えば藤原正彦の「遥かなるケンブリッジ」が大好きでした。とくに新学期が始まるころ大学校内の様子を描いた部分は何度読んでも胸がジーンとなってきます。兎に角文に品があり格調高いのがとても気に入っていたのです。エッセイには品が無くてはと常々思っていました。

  ところが、最近変わったのです。週刊文春を買って何故かその中の「夜更けの縄跳び」が気になりだしたのです。とうとう毎週買うようになりました。1冊400円ですが、毎週それだけのために、買うというのは年金暮らしの身としては少し高すぎます。

ネットで検索したら出てきました。

「夜更けの縄跳び」(文春文庫)が。なんと定価が467円で1冊で54のエッセイが載っています。早速ネットで注文し読み始めました。

 品があるとか格調高いとは程遠く、カジュアルなと云うか軽いタッチのオバサン風エッセイです。

   「ねぇ、ねぇ、フランス人てどんなふうにくどいてくるわけ?」ワインにしこたま酔った私は、ついオヤジ的な質問をしてしまう。 とか、

   「あの、たらたらエッセイのどこがいいのか」と時々評論家の方から叱られるが・・・・とか飾らない表現が面白く、どのエッセイにも4ページの終わりには気の利いたオチが付いていて、毎回どんなオチになるか楽しみながら読みました。

 特に良かったのは林真理子さんの旦那様が出てくるエッセイ「日本男児」と紀宮さまが登場される「もうじき師走」です。

 でも、少しだけ気になることがありました。初めて読んだ作品と文庫本のとは微妙な違いがあるのです。それもそのはず、文庫本の「夜更けの縄跳び」は作者が50歳ごろの作品で、今執筆されているのはそれから数年も経っている作品なのです。

 それで納得できました。作家も年と共に視点が変わりテーマや内容も少しづつ変化するということが。どちらも十分に楽しませて貰いました。また、1冊400円の文春を時々買うことになるかも。最新作はこちらだけだから。(E)

秋雨前線が停滞して読書三昧の日々。


穀物すなわち実る(散歩の途中で)

2015-09-05 | 気ままなる日々の記録

稲が実る季節と(稲は田植えから約100日で穂を出し、すぐに花が咲き、開花時間は午前中から昼ごろまでの2~3時間だそうです。夕方、一面の田の中を散歩した。風は涼しく、頭を垂れた稲をゆらしていた。

 

 

 

 

「糸トンボ図鑑写真」の画像検索結果

 稲の下の白い鳥は広い田んぼに舞い降りたシラサギです。2枚目の左端に鴨の親と小鴨が映っているようにも見えますが、残念ながら定かではありません、しかし、もしそうなら、蓮池で観られなくなった小鴨は親の後を必死で追ってここまで飛んで来たことになり、此処ならいろいろ餌も豊富で晩秋には立派な大人に育ち、越冬可能と思われます。次の3枚は「田圃で見つけた通称「糸トンボ」と呼ばれているトンボの仲間です。

  最後の写真はそれを確かめるためにネット検索をして見つけた「糸トンボ」の写真です.

本日の散歩は、涼風が心地よいのに加えて、姿かたちの高貴な生き物に出会えて、大満足であった。(E)

 


1年前のブログが届きました。

2015-09-04 | 気ままなる日々の記録

 

「蛙のイラスト」の画像検索結果 ←お気に入りの蛙君ですから、無関係にここへ入れさせていただきました。

  下の「井戸に落ちた蛙くんが、gooブログから届いた1年前の私のブログです。これは、私の家のお隣が石積みの技をお持ちのすごい職人さんで、その芸術的な石積みの記録を残そうと私が写真に。コピー自由のイラストを重ねて作ったものです。出来上がったとき師匠からもう少し蛙を小さくして井戸の底の水が見えるようにした方がいいのでは、というアドバイスを頂き、そうしますと約束しながら大変な作業で先延ばししている間に1年過ぎてしまったという次第です。今は暇ですが、その作業をする仕方を忘れてしまいましたし集中力を失い、もうできそうにありません。ただ、病気を発病したときの気持ちをよく表している傑作だと自画自賛している作品です。

 

 


生活習慣考

2015-09-03 | 気ままなる日々の記録

 数日前の毎日新聞で「中国人に旅の常識を」という記事を見つけた。北海道の観光振興機構がマナーガイドを作成したというもの。中国人がマナーが悪く特にゴミを散らかして日本人観光客が離れてしまうという不安があるかららしい。この記事を読んでいて、心当たりのことが思い出された。

 我が家は子供たちが小学生の頃から、ホームステイを数多く引き受けてきた。出身国は北米、オーストラリア、ニュージーランドとそれにラオスからも。30年の期間で40人近くになる。半分が高校生残り半分が成人と云う割合である。中でもカリフォルニアのサンフランシスコ市からの学生さんが圧倒的に多かった。子ども部屋が空いてからは、一度に二人と云うことも。男子学生のみと云うことも多く、期間も半月から2か月とさまざまであった。

 10年ほど前になるだろうか、二人の男子学生がやってきた。一人は日系人の父親とヒスパニック系の母親、もう一人はメキシコ系の父親と中国系の母親の混血。それぞれ高1と高2であった。期間は長くても短くても終わった後は満足して帰っただろうかと云う不安と無事終了したという安ど感が混在する。ホッとして部屋を覗くと置手紙があったりしてビックリすることもある。「立つ鳥あとを濁さず」と云う諺があるが、真逆のことが起こっていて一度に気持ちが萎えてしまった苦い経験もある。貸したナップザックは床に投げ捨てられ、部屋はごみ篭があるのに散らかし放題。隣の部屋のスティヤーはビニール袋にごみを集めて持ってきたのに。何ともやりきれない気持ちであったのを思い出す。

 反対に我が家に滞在した十数人から招待され、全部にホームステイさせてもらった。我々がホームステイしていて一番気になるのは入浴。外国の人々は入浴時間が短い。10~15分ぐらい。われわれはどうしても30分かかってしまう。

 あるとき、スコットランド出身のニュージーランド人の家にステイした。5人家族と娘のボーイフレンドが加わって6人、それに我々2人と合わせてバスルームが3つということがあった。案内されたバスルームは中央にバスタブが置かれただけのシンプルなつくりのもの。とにかく猫足の大きな湯船に湯を貯め、時間節約のため二人一緒に湯船に入り、シャワーと洗い場がないことに気付いたが聞くわけにもいかない。西洋式の浴室には慣れている心算でいたが今までの知識が通用しない。少なめにソープを使いバスタオルで拭いて出るとゆう初めての経験をした。このとき、文化習慣の違いを理解することは難しいと身を持って感じた次第である。蛇足ながら、生活習慣は洋の東西を問わず、母親の習慣が家庭の習慣になって、子供に受け継がれるように思われることを、ホストファミリー体験から学んだことを付記しておきます。(E)

 

   

青田に舞い降りたシラサギ。

                             

 


体を車に例えると。

2015-09-01 | 気ままなる日々の記録

  体を車に例えると、僕が載っている車は80年も乗ったオンボロ中古車だ。そのうえこの前事故に逢って、制御部門のITチップが破損し車の左半分の制御がおかしくなった。つまり、アクセルを踏んでもスピードは出ないし、ハンドルを回してもうまく、進行方向がコントロールできない。

  従って、「車いす」と呼ばれるレッカー車に載せて移動している。レッカー車の駆動力はドライバーの右足で、エッチらコッチらと右足を延ばしたり折り曲げたりしている。その間、当の車はレッカー車の上で居眠りをしている。何ともオソマツなことで、できることなら直ちに新車に買い替え今の車は廃車にしたいところだ。レンタカーなら、もう少しましな車に借り換えたいところだ。オンボロ中古車に愛着が無いわけではない。一番の愛着はこの車でいろんな山に登り、

 いろんな国へ出かけて苦楽を共にした思い出を、このオンボロ車が覚えていて呉れることである。ふくらはぎを揉めば、前穂高の頂上を思い出すし、腰を延ばせばオーストラリアのコンドミニアムに滞在中、併設されていたプールで、月夜に泳いだことを思い出す。それらは、水晶の球のように大切なものだけれども、だからといって、オンボロ車はもう嫌だ。願わくば、オンボロ車のメンテナンス技術の「革命的進歩を!」だ。ノーベル賞を受けられた中山先生のips細胞技術の進歩か。確か中山先生のご専門は「再生医療」だったと思う。。文部科学省も中山先生の研究に特別予算を組んだと聞いた。それにしても、同病者の多いことに驚かされる。この老人ホームの浴室には寝浴と呼ばれるベッドに寝たままでお風呂に入れる施設があって、入浴の順番待ちで行列をつくっている。

半身不随も重傷な人になると褥瘡(じょくそう)ができる。入浴前に包帯を外し、ガーゼ交換が行われるがそれが随分痛いらしい。患者さんは何時も悲鳴を上げている。入浴後薬を付けて絆創膏をあて、包帯が巻かれる。これらの作業は介護さんも大変だが患者さんも大変なようでヒイヒイ言っておられる。僕は隣にいて座浴の順番を待っている訳だが、もしあんなになったら是非「安楽死」をお願いしたいと思っている。既に平均寿命を生き、全快しても余命は短い。