陶器の手あぶりをお店には置いてある。
近くにあったお茶やさんが廃業された時に、くれたものだ。
中には「五徳」が灰の中に鎮座していて、そこにお湯をわかすヤカン
を置いたり、手をあぶったり、そのまま暖房になったり、美人がよってきて、
話ができたり・・・・徳が5つ以上ある。でもほんとうに昔の人は、
うまいこといったものだ。でも今は、そんな古人の智恵で、この厳しい時代、
きっとしばらく続くこのたいへんな時代を、どうにか楽しみながら、生きて
いかなければいけない。なあに、日本人というのは、縄文のころから、きっと
万年貧乏で、明るくその日暮らしをしてきた民族なのだ。
石臼を使っていると、極力機械的なものを使いたくなくなる。
昨日は、その手あぶりに、岩手の炭をいっぱい起して、その上に
手回しの焙煎機をおいて、コーヒー豆を焙煎してみた。
ほんとうの「炭火焙煎」だ。ガスでやる時よりも、時間と手間が
かかるが、遠赤効果ばつぐんの炭で焼いた豆は、ほんとうに美味い。
しかも焼きたての豆を、石臼に入れると、バリバリという音が、
甲高く、コーヒー豆のアロマの香りが部屋中に漂って、とても
幸せな気分になる。
昨日と同じ写真だけど、これは、焙煎した後に、まだ煙が部屋に
充満している景色だ。この中で、焙煎したて、石臼で挽きたての豆で
抽出した珈琲を飲む。こんな幸せな朝はない。
夜には、五徳に鉄瓶をのせ、そこに備前か設楽の徳利を
入れて、それを斑唐津で飲んだりすると、最高だ。
酒飲みのことを、左利きという。お金がなくても、
徳のある人は、その徳を利かせて、「まあ、先輩一杯・・」
なんてことをやると、「じゃ、君も」と、お酒にありつける。
「徳利」というのも、うまいことつけた名前だ。
昨日は「スケッチの会」だった。
「すいとん」をつくった。
鶏のつくねを、たまねぎをすって、片栗と黄身と入れて手でこねてつくる。
蕎麦粉をぬるま湯を入れて、手でこねて、しばらくねかす。
鍋に水と同量の酒をいれ、そこにささがきごぼうとか、季節の野菜なんかを
入れ醤油と塩で味を調える。そして、つくねと、そばのすいとんを、スプーンで鍋に、ほりこんで、テーブルの上に出すと、その周りの人たちの顔が、満面笑みの連鎖。
近くにあったお茶やさんが廃業された時に、くれたものだ。
中には「五徳」が灰の中に鎮座していて、そこにお湯をわかすヤカン
を置いたり、手をあぶったり、そのまま暖房になったり、美人がよってきて、
話ができたり・・・・徳が5つ以上ある。でもほんとうに昔の人は、
うまいこといったものだ。でも今は、そんな古人の智恵で、この厳しい時代、
きっとしばらく続くこのたいへんな時代を、どうにか楽しみながら、生きて
いかなければいけない。なあに、日本人というのは、縄文のころから、きっと
万年貧乏で、明るくその日暮らしをしてきた民族なのだ。
石臼を使っていると、極力機械的なものを使いたくなくなる。
昨日は、その手あぶりに、岩手の炭をいっぱい起して、その上に
手回しの焙煎機をおいて、コーヒー豆を焙煎してみた。
ほんとうの「炭火焙煎」だ。ガスでやる時よりも、時間と手間が
かかるが、遠赤効果ばつぐんの炭で焼いた豆は、ほんとうに美味い。
しかも焼きたての豆を、石臼に入れると、バリバリという音が、
甲高く、コーヒー豆のアロマの香りが部屋中に漂って、とても
幸せな気分になる。
昨日と同じ写真だけど、これは、焙煎した後に、まだ煙が部屋に
充満している景色だ。この中で、焙煎したて、石臼で挽きたての豆で
抽出した珈琲を飲む。こんな幸せな朝はない。
夜には、五徳に鉄瓶をのせ、そこに備前か設楽の徳利を
入れて、それを斑唐津で飲んだりすると、最高だ。
酒飲みのことを、左利きという。お金がなくても、
徳のある人は、その徳を利かせて、「まあ、先輩一杯・・」
なんてことをやると、「じゃ、君も」と、お酒にありつける。
「徳利」というのも、うまいことつけた名前だ。
昨日は「スケッチの会」だった。
「すいとん」をつくった。
鶏のつくねを、たまねぎをすって、片栗と黄身と入れて手でこねてつくる。
蕎麦粉をぬるま湯を入れて、手でこねて、しばらくねかす。
鍋に水と同量の酒をいれ、そこにささがきごぼうとか、季節の野菜なんかを
入れ醤油と塩で味を調える。そして、つくねと、そばのすいとんを、スプーンで鍋に、ほりこんで、テーブルの上に出すと、その周りの人たちの顔が、満面笑みの連鎖。