天真庵のHPに昨日、「白井晟一研究所」のサイトを
リンクした。松涛美術館、芹沢圭介美術館や、長崎の親和銀行
などを設計した建築家。書や装丁も有名で、特に書は、「文人の書」
としては最高峰にある。天真庵のピアノの横に飾ってある「生」
というのは、白井晟一の書だ。たった一字で、力強さといい、やわらかい
バランスといい、言葉では説明できない芸術だ。
グーグルで「好きな建築家ランキング」で検索すると、どのくらい
人気があるかがわかる。
白井晟一さんの次男、白井磨さんは、ぼくの蕎麦の師匠、達磨の
高橋さんの広島の道場と、自宅を設計した。そのご縁で、ぼくは
そこで蕎麦打ちの修行を、させられた。
天真庵に飾ってある時計や燭台や鏡や、ランプの一部は、白井晟一
さんが生前使っていたものだ。
天真庵という画廊をつくったのが、平成8年。その前後くらいの
あるよき日に、白井磨さんと出会い、その日の午後、銀座で個展
をやっていた陶芸家の久保忠廣さんと出あった。そして、自分が
個人的に使用する器と、お店の器の、「ほぼ9割」が久保さんの
器になった。
画廊を始めたはいいが、織部と志野と黄瀬戸のことも知らず、
お茶の世界や、建築、書、装丁には、まったく門外漢のシロウト
だった。それを、懇切?丁寧?とはいけないが、よく鍛えていただいた、
と感謝申し上げたい、恩人の2人。ふたりも、自分も恩人より「オジン」
になったけど・・・
いい師にめぐり合うことは、人生のなかでとても大切な邂逅だ。
でも原則がある。それは、「彼をいい師にさせていただこう」と、
弟子が、自ら発見することだ。
「文人」みたいな人が少なくなったけど、これからの時代は、
文人墨客みたいな気概を持った生き方が、みな必要になってくるのでは
なかろうか。そんな時代が迫ってきたと思う。文人の書の「生」
という字も、これからいろいろ生きてくる。
リンクした。松涛美術館、芹沢圭介美術館や、長崎の親和銀行
などを設計した建築家。書や装丁も有名で、特に書は、「文人の書」
としては最高峰にある。天真庵のピアノの横に飾ってある「生」
というのは、白井晟一の書だ。たった一字で、力強さといい、やわらかい
バランスといい、言葉では説明できない芸術だ。
グーグルで「好きな建築家ランキング」で検索すると、どのくらい
人気があるかがわかる。
白井晟一さんの次男、白井磨さんは、ぼくの蕎麦の師匠、達磨の
高橋さんの広島の道場と、自宅を設計した。そのご縁で、ぼくは
そこで蕎麦打ちの修行を、させられた。
天真庵に飾ってある時計や燭台や鏡や、ランプの一部は、白井晟一
さんが生前使っていたものだ。
天真庵という画廊をつくったのが、平成8年。その前後くらいの
あるよき日に、白井磨さんと出会い、その日の午後、銀座で個展
をやっていた陶芸家の久保忠廣さんと出あった。そして、自分が
個人的に使用する器と、お店の器の、「ほぼ9割」が久保さんの
器になった。
画廊を始めたはいいが、織部と志野と黄瀬戸のことも知らず、
お茶の世界や、建築、書、装丁には、まったく門外漢のシロウト
だった。それを、懇切?丁寧?とはいけないが、よく鍛えていただいた、
と感謝申し上げたい、恩人の2人。ふたりも、自分も恩人より「オジン」
になったけど・・・
いい師にめぐり合うことは、人生のなかでとても大切な邂逅だ。
でも原則がある。それは、「彼をいい師にさせていただこう」と、
弟子が、自ら発見することだ。
「文人」みたいな人が少なくなったけど、これからの時代は、
文人墨客みたいな気概を持った生き方が、みな必要になってくるのでは
なかろうか。そんな時代が迫ってきたと思う。文人の書の「生」
という字も、これからいろいろ生きてくる。