天真庵の玄関には、改装前から「飛木稲荷溝」とかいう御札が
貼ってある。この界隈は、飛木稲荷の神域だ。
天真庵から押上駅に向かう道を、新あづま通りという。昔
このあたり一体を「吾妻町」といったなごりで、小学校やお店の
名前に名残りがずいぶんある。その新あづま通りを、まっつぐ(四ツ目
通りを左にいくと駅だが、無視してまっつぐいくと、どんつきになり
(線路)そこを右にいくと、踏み切りがあるので、それを渡って
すぐが、「飛木さん」だ。このへんの人たちは、初詣は、飛木さんか、すぐ
並びの高木神社にいくのがならわしだ。そのまままっつぐ、歩いていくと、
「鳩の街商店街」にいきつき、通り抜けて、左に折れると向島界隈に
いきつく。この辺りをぶらぶらするのが、いい。
大宰府天満宮には、「飛梅」の伝説が有名だが、飛木神社も、ある暴風雨の
時に、一本の枝が飛んできて、それがこの地につき、大きな銀杏の木に成長し、神木
になった、というのが名前の由来らしい。
昭和20年3月の「東京大空襲」の時の中心だったこの地の、このご神木も
黒焦げになったが、戦後3年の後、緑の芽が吹き出したらしい。地面の
下の根っこがしっかりしていたということで、焼け跡の人たちに
多大な勇気を与えたことが想像できる。
かの仙涯和尚の書を思い出した。
風に揺られる、柳の木が墨で力強く書かれていて、
気にいらぬ風もあろうに柳かな と揮毫され、横のほうに「堪忍」
と書かれている。
いろいろな逆風もあろうが、幹や根っこがしっかりしていると、
倒れることはない、というような意味だろう。「堪忍」がきいている。
時代的には、政治も経済もアゲンストな逆風だろうけど、政治家
ではなく、我々庶民が、時代の風にまけずに、変革ししていかなくては
ならない時がきたのかも知れない。
正月の朝、ジョッギングの途中によった飛木さんで、そんなことを
思った。
年末に銀座の骨董やのおやじとお茶を飲みながら、こんな話をした。
戦争が始まったころ東大のトイレ(彼は東大出)にこんな落書きがあったらしい。
始まりかと思ったら終わりだった。終わりの始まりだった。
今、今年は、またそんな時代ではなかろうか。「堪忍」な時代。 感謝。
貼ってある。この界隈は、飛木稲荷の神域だ。
天真庵から押上駅に向かう道を、新あづま通りという。昔
このあたり一体を「吾妻町」といったなごりで、小学校やお店の
名前に名残りがずいぶんある。その新あづま通りを、まっつぐ(四ツ目
通りを左にいくと駅だが、無視してまっつぐいくと、どんつきになり
(線路)そこを右にいくと、踏み切りがあるので、それを渡って
すぐが、「飛木さん」だ。このへんの人たちは、初詣は、飛木さんか、すぐ
並びの高木神社にいくのがならわしだ。そのまままっつぐ、歩いていくと、
「鳩の街商店街」にいきつき、通り抜けて、左に折れると向島界隈に
いきつく。この辺りをぶらぶらするのが、いい。
大宰府天満宮には、「飛梅」の伝説が有名だが、飛木神社も、ある暴風雨の
時に、一本の枝が飛んできて、それがこの地につき、大きな銀杏の木に成長し、神木
になった、というのが名前の由来らしい。
昭和20年3月の「東京大空襲」の時の中心だったこの地の、このご神木も
黒焦げになったが、戦後3年の後、緑の芽が吹き出したらしい。地面の
下の根っこがしっかりしていたということで、焼け跡の人たちに
多大な勇気を与えたことが想像できる。
かの仙涯和尚の書を思い出した。
風に揺られる、柳の木が墨で力強く書かれていて、
気にいらぬ風もあろうに柳かな と揮毫され、横のほうに「堪忍」
と書かれている。
いろいろな逆風もあろうが、幹や根っこがしっかりしていると、
倒れることはない、というような意味だろう。「堪忍」がきいている。
時代的には、政治も経済もアゲンストな逆風だろうけど、政治家
ではなく、我々庶民が、時代の風にまけずに、変革ししていかなくては
ならない時がきたのかも知れない。
正月の朝、ジョッギングの途中によった飛木さんで、そんなことを
思った。
年末に銀座の骨董やのおやじとお茶を飲みながら、こんな話をした。
戦争が始まったころ東大のトイレ(彼は東大出)にこんな落書きがあったらしい。
始まりかと思ったら終わりだった。終わりの始まりだった。
今、今年は、またそんな時代ではなかろうか。「堪忍」な時代。 感謝。