長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

行灯(あんどん)

2011-01-11 07:57:25 | Weblog
昼行灯とはよくいったものだ。
中仙道にある時々立ち寄る骨董やからきた
行灯が、昼間は存在が薄いが、暗くなってくると、
ゆらゆらとゆられるような艶冶な灯りを灯す。
電灯がなかった時代に蝋燭の明かりで生活していた
時代の色気みたいなものを感じる。こんな灯りが
枕もとにあって、美しい(美しに限る)女性の帯を
解く衣擦れ(「きぬづれ」)の音が聴こえてくる・・なんて素敵ではないか。
そんな情緒が少なくなった。雨の日や風の強いは行灯を外に置けないので、
昨日はじめて店の中に「おひとりさまのテーブル」を、つくった。
ためしに、かっぽれなかまの「くまさん」に座ってもらった。
*やはり女性のほうが似合う、と思った。ウソ、そうはっきりくまさんにいった。

昨日は、成人式。風が強い寒い日だった。近所のゆきちゃんも朝早くから着付けを
して、トリフォニーホールで成人式のお祝いをやったあとに、珈琲を飲みに
きてくれた。いつもは、「ミルクコーヒー」を所望していたが、昨日は
ブラックでほぼぶらじるを飲んだ。着物を着て、ブラックで珈琲を飲む。
なんとなく大人になった気がする。「二十歳の原点」、昔立命館大学の先輩
がそんな本を出して(日記)、映画化されるくらい大ブームになったことがある。
どんな飲み方をしてもいいけど、コーヒーは
ブラックがいい。新鮮な豆をうまく焙煎して、それをうまくいれると、珈琲その
ものの甘さと苦さと酸味や雑味が、口の中で一体になる。喉元を過ぎて
胃の中に嚥下していっても、香りが自身の贓物とまた一体になってもどってくる。
その残り香りというと、「ああ、あの人は何をしているのだろう」と、昔も
恋人のことを思い出すくらい、いい。
だから「コーヒーが美味い」というのは、焙煎や抽出も大事だけど、
器や飲む場所や人や、その人の人生によって、左右される。
五感を磨いていないと、おいしいコーヒーは飲めないのだ。

今日は「英語で蕎麦会」の事始め。
順受の会と同じく、この会は池袋天真庵の時代から続いている会。

金曜日は「ダメ中」(ダメから始める中国語」の事始め。
この会が金曜日にあると、飲みすぎて、次の日がたいへんなことに
なりそうだ。

でも15日(土)は「エリカ庵」があるので大丈夫。
16日(日)は「竹細工の日」。三人目の先生がやってくる。

17日(月)は「クラシックJAZZ」
温故知新ではないけど、源流には「ほんもの」が
いっぱいある。流されてもいいけど、もどれる原点が
必要かも。どんなことでも・・・「二十歳の原点」みたいな
ことが必要やね。政治家や企業のトップからして、「もどれる原点」
をもたなくて右往左往しているのなかりやから。