昨日のブログに、孤族のテェックみたいなことを書いたけど、
所詮人間はひとりでオギャーと生まれてきて、またひとりで
ふるさとに帰っていくことを、続けていくのだと思う。
昨日の夜、煎茶関係の本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
文人のことを書いてある。
「心に機事(謀・はかりごと)なく、庵に好書あり(机の上によい本が
積んである)、飽食安眠、時清く體健やかなるは、此れは是れ上界の真人
なり」
上界の真人とは、天上界の仙人、と訳してあった。なるほど・・
「足るを知る」というか、幸せの尺度というのは、他人と比べたり、
平均値や統計からチェックしたり、数値化できるものでなく、
まさに、「その人しだい」のことだ。
明日は「順受の会」
昨日、二階の机の上に論語の本を置いていたら、
「論語を勉強したい」という人がいた。来月から
順受の会にくることになった。「つんどく」というのは、
悪くないものだ。世界が見える席にも、本が三冊積んである。
「隠居庵」と呼ばれるようになるかも・・・
順受の会で、何年も前に「易学」を勉強したことがある。
今年は、別の会で、「易学」をやることになった。
2月14日、バレンタインデーからスタートする。
論語・易学・・・不思議だけど、おもしろい会になりそうだ。
所詮人間はひとりでオギャーと生まれてきて、またひとりで
ふるさとに帰っていくことを、続けていくのだと思う。
昨日の夜、煎茶関係の本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
文人のことを書いてある。
「心に機事(謀・はかりごと)なく、庵に好書あり(机の上によい本が
積んである)、飽食安眠、時清く體健やかなるは、此れは是れ上界の真人
なり」
上界の真人とは、天上界の仙人、と訳してあった。なるほど・・
「足るを知る」というか、幸せの尺度というのは、他人と比べたり、
平均値や統計からチェックしたり、数値化できるものでなく、
まさに、「その人しだい」のことだ。
明日は「順受の会」
昨日、二階の机の上に論語の本を置いていたら、
「論語を勉強したい」という人がいた。来月から
順受の会にくることになった。「つんどく」というのは、
悪くないものだ。世界が見える席にも、本が三冊積んである。
「隠居庵」と呼ばれるようになるかも・・・
順受の会で、何年も前に「易学」を勉強したことがある。
今年は、別の会で、「易学」をやることになった。
2月14日、バレンタインデーからスタートする。
論語・易学・・・不思議だけど、おもしろい会になりそうだ。