今朝ははやく起きて、2時間近く近くを散歩した。
東北地方に比べるべくもないけど、少し寒いくらいなんと、
古い建物が、「立ち入り禁止」の黄色のテープで囲まれたものが、
ちらほらあるくらいで、平穏な朝がもどってきた感がある。でも
親戚や実家や友だちが被災地にいて、まだまだ日常をとりもどせない人
や、会社までの足がなくて右往左往している人、しがらみをすてて田舎
に帰って出直そう、なんて考えているひと・・・いろいろだと思う。
今日は煎茶のお稽古だったけど、中止になった。織田流煎茶道は、織田有楽
を祖として、始まった煎茶道である。家元は仙台にあって、今回の震災で
無事ではあったけど、弟子の人たちには、被害もあったご様子だ。
不思議な縁だけど、織田流煎茶道の家元は、もともと東京上野の池之端に
あった。関東大震災で拠点が壊滅した、その当時の家元(南洲先生・鹿児島の人
なのであこがれの西郷南洲の号を雅号にした)が、
残った茶道具を抱えて、放浪の旅をした。そして大連まで渡ったときに、
一人の女性に煎茶を教えた。彼女が熱心にお茶の勉強をして、
日本に帰ってきて、仙台に移り住み、織田流煎茶道が、仙台を中心に東北地方に広がっていった。
最近は「座る文化」が、滅びにいたるのではないかといくくらい衰退している。
煎茶だけでなく、お抹茶もお花もしかりだ。そんな中であって、これからを考えた
時に、いろいろな問題が山積だけど、がんばっていこうと思う。
といっていたら、今、先生から電話があって、「今日お茶のお稽古をしましょう」
ということになった。へこんでばかりいてもしかたがない。こんな時こそ、
喫茶去(きっさこ)の精神が発揮される時かも。
来週の「お花の会」も、いつものように齢80になる原田先生が、宇部から
元気にやってくるそうだ。花の生け方を教えてもらっているが、「生き方」
そのものを教えてもらっている。
こんな有事に、西郷南洲の偶感が染みる
幾たびか辛酸を歴(へ)て 志始めて堅し
丈夫玉砕 甎全(せんぜん)を愧(は)ず
我が家の遺法 人知るや否や
児孫(じそん)の為に美田を買わず
東北地方に比べるべくもないけど、少し寒いくらいなんと、
古い建物が、「立ち入り禁止」の黄色のテープで囲まれたものが、
ちらほらあるくらいで、平穏な朝がもどってきた感がある。でも
親戚や実家や友だちが被災地にいて、まだまだ日常をとりもどせない人
や、会社までの足がなくて右往左往している人、しがらみをすてて田舎
に帰って出直そう、なんて考えているひと・・・いろいろだと思う。
今日は煎茶のお稽古だったけど、中止になった。織田流煎茶道は、織田有楽
を祖として、始まった煎茶道である。家元は仙台にあって、今回の震災で
無事ではあったけど、弟子の人たちには、被害もあったご様子だ。
不思議な縁だけど、織田流煎茶道の家元は、もともと東京上野の池之端に
あった。関東大震災で拠点が壊滅した、その当時の家元(南洲先生・鹿児島の人
なのであこがれの西郷南洲の号を雅号にした)が、
残った茶道具を抱えて、放浪の旅をした。そして大連まで渡ったときに、
一人の女性に煎茶を教えた。彼女が熱心にお茶の勉強をして、
日本に帰ってきて、仙台に移り住み、織田流煎茶道が、仙台を中心に東北地方に広がっていった。
最近は「座る文化」が、滅びにいたるのではないかといくくらい衰退している。
煎茶だけでなく、お抹茶もお花もしかりだ。そんな中であって、これからを考えた
時に、いろいろな問題が山積だけど、がんばっていこうと思う。
といっていたら、今、先生から電話があって、「今日お茶のお稽古をしましょう」
ということになった。へこんでばかりいてもしかたがない。こんな時こそ、
喫茶去(きっさこ)の精神が発揮される時かも。
来週の「お花の会」も、いつものように齢80になる原田先生が、宇部から
元気にやってくるそうだ。花の生け方を教えてもらっているが、「生き方」
そのものを教えてもらっている。
こんな有事に、西郷南洲の偶感が染みる
幾たびか辛酸を歴(へ)て 志始めて堅し
丈夫玉砕 甎全(せんぜん)を愧(は)ず
我が家の遺法 人知るや否や
児孫(じそん)の為に美田を買わず