正月用に、「暮らしの実験室やさと農場」に、野菜と卵を注文したら、
ぼくのお弟子さまのFくんから「辛み大根は、おまけです」というメモと
辛み大根二種類が入っていた。こころあたたまる箱に、おまけまでついた。
正月はゆずたち、甥っ子姪っ子と「にぎり鮨の実験」をする。みんな卵が
大好きなので、卵焼きを焼いて、いろんなにぎりと蕎麦鮨なんかを、わいわいいいながら
つくる予定。二年間「気骨の鮨会」をやり、酢飯もできるようになったし、魚もさばける
ようになった。あなごなんか、つめまで自分でつくれるようになった。蕎麦と珈琲の
純喫茶店なので、魚を供することはできないけど、ときどき外で、鮨屋もどき料理を
やろうとか思っている。来年は「お弟子さま」たちが、地方でいろいろ活動する始まり
の年でもある。痴呆になったら、どこかの地方のお弟子さまのところにいって、やっかいに
なるかもなんばん。そんな冗談をいえてるうちが花でもあるけど。
昨日は暮らしの実験室のイベントの企画マンさんが、やはりやさと農場の卵を
持参して蕎麦を手繰りにきてくれた。ラーメン大会をやったらしい。小麦
も、鳥ガラもトンコツもチャーシューも自分たちが育てたもので、できる。
麺も蕎麦打ち名人がいて、お茶の子さいさい。来年は文庫ちゃんを持参して、鮨大会も
いいなと密かに計画している。ちょっと彼に話たら、にや、とした。公算ありだ。
暮らしの実験室みたいな、「一次産業から六次産業まで」ができる場所が広がって
いったら、この国の未来は明るい。どんどん高齢化が進んでいくけど、自分で食べる
ものを自分で育て、料理までする、というのも、「人生の六次産業」みたいで
感動があるし、自己実現の場でもあるし、ほかの人と比べることのない、「自分」
の場所の確立になるのではないかと思う。男子はどんどん厨房に入り、びん棒という
のし棒を振り回し、土を耕すのがかっこいい時代がすぐそこにきているかもなんばん。
「自分の居場所」という意味になるかどうかわからんけど、ラジオで「Tomorrow is My Turn」
という曲が流れていて、それをアマゾンで注文して昨日一日かけていた。名前も「なんやら」いう
むづかしい歌手やけど、この曲はそのうち時代をかけぬけるのではないかと思う。めちゃくちゃ素敵なアルバム。
「居場所」と「出番」が見つかる申年にしたいものだ。
さて、今日から「自分で年越し蕎麦を打つ」という連弾みたいな日になる。
今日は通常営業だけど、カウンターだけの営業。傍らで、ぼくがタオルを頭にまき、
竹刀をもって、鬼の師範代をやっている。
明日は、蕎麦と珈琲の営業はありません。年越し蕎麦の受け渡し日。
ひとりだけ、「年越し卵焼き」の受け渡し。珈琲豆があまっていたら
「年越し珈琲豆」の受け渡しもOK。