長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は成人式

2011-01-10 08:11:21 | Weblog
昨日は、薩摩琵琶とピアノのコンサートだった。
薩摩琵琶の榎本百香さんの幽玄な琵琶の演奏と、
伊藤麻奈さんのピアノのコンビが絶妙で、寒さを
忘れてしまうくらい、こころあたたまるライブだった。
ふたりは、東京音大時代の同級生で、池袋で青春をすごした。
そのころぼくも「ぶくろ」でよく飲んでいたし、近くの
ヨネクラジムでボクシングをしていた。

今日は全国的に成人式の日。
昔は1月15日が、その日だったように思う。
ぼくは、京都の「よど」、つまり京都競馬場で、成人式を迎えた。
学生時代に「競馬場の臨時従業員」みたいなことをやっていて、
厩舎管理の仕事をしていた。「悲運の流星」と呼ばれたテンポイントというやライバルのトーショーボーイとかいう天才馬が活躍した時代。今は昔。
暮れの有馬記念は、ヴィクトワールピサがブエナビスタの猛追をハナ差しのぎ有馬記念制覇した。世界の角居(すみい)厩舎の馬だ。この厩舎の角居さんの弟くんが、
天真庵の玄関の取っ手や、錫でできた珈琲ドリッパーをつくったくれた角居くんだ。
今年は、この弟の角居くんも世界へ羽ばたく、そんな気がする。
このドリッパーで入れると、珈琲の味が、サンオクターブほど昇華する。せったい。

明日は「英語で蕎麦会」
どうやら、岩本先生ちに新しい家族が登場しそうだ。
長屋の街がまたにぎやかになる。

きらきら商店街のどんつきに、「珈琲の樹」がある。
そこの店長の夏樹くんが「ディスカバー ジャパン」に
いい写真ででた。いつもピントがはずれたような顔を名カメラマンが
上手にピントをあわせて撮った、と思う。今日の朝刊に
「写真の危機」みたいな特集があったけど、こんな「顔」
をうまく撮る写真家がいると、将来も安泰だ。
かたわらに写っている久保忠廣さんの白いコーヒーカップも
いい感じだ。夏樹くんは今年から「石臼珈琲」に挑戦する、
と決心した。永久に「弟子のいない家元」で終わると思って
いた世界に楽しみな弟子ができた。こんなうれしいことはない。



薩摩琵琶とピアノのライブ

2011-01-09 08:14:04 | Weblog
薩摩琵琶 榎本百香   

ピアノ 伊藤麻奈  

会費2000円(蕎麦&珈琲付) 

開場pm18:00 開演pm:18:30 お店は16時で閉店。


ももちゃんこと百香さんは、3度目になる。最初は織田流煎茶道の
茶会を二階でやった時に、演奏してくれた。玉露を飲んだときには、
瞬間的に体の毛細血管まで、「ギョクロ」が浸透する。まるで麻薬
みたいな感じ。そのまま、血と玉露が血管の中で交じり合って
いる時に、彼女の琵琶の演奏をはじめて聴いた。
その時の衝撃的な霊力に憑依されているような世界を、日本人は
古来から「幽玄」とかいう言葉で表現してきたのかも知れない、
というくらい霊験あらたかな別次元の世界へタイムスリップするような
音楽だ。末法みたいな時代にピッタリかもしれない。

今朝メールがきていて、百香さんと同じ東京音大出身のピアニスト野代さんと
チェリストの竹本さんが4月13日(水)に、コンサートをやってくれることに
なった。新しい天真庵のHPには、彼女たちのライブの写真が、イキイキ写真で
掲載されている。目覚めの悪い朝にこの写真を見ると、元気に目がさめるかもしれない。

「これからの人たちの出番」を、お手伝いできることは、これ以上
の幸せなことはない。

17日(月)のクラシックジャズも、楽しみになってきた。
今日は森下文化センターで「深川 ニューイヤージャズパーティ 2011」
がある。17日にやってくれる深澤さんたちも参加するジャズのフェスティバル。
元気のない人も元気になるようなジャズ。「!」とくる人はぜひ足を運んでもらいたい



どこへ行くのだろう?

2011-01-08 08:06:54 | Weblog
昨日の朝、焙煎した珈琲豆でコーヒーをいれ、
それをガラスのポットに入れて、いつものように
家に帰っていると、近所のゆきちゃんとあって、
「どこへいくんですか?」と聞かれた。
「?」と思ったけど、天然のゆきちゃんの質問だから
「いいや」とうっちゃっていた。でも朝日に向かって
反芻していたら、「どこへ行くのだろう?」と哲を
をする自分がいた。

「どのように生きたらいいか」をつきつめて考えていると、
人間は「死」に向かうそうだ。少し減ったみたいだけど、
13年連続で3万人以上の人が、自分の命を断つ、という異常な日常。
「どのように生きたらいいか?」
自分的には
「ちゃんと生きればいい」と思っている。昔から会社に勤めた
経験が皆無に等しいし、社会人度は低く、人付き合いも悪いけど、
「人に迷惑をかけない程度にちゃんと生きているか」を問うように
している。

お昼に一人の女子がカウンターに座った。少し社会から隔離されたところに
籠っていたけど、今年から毎朝コーヒーを自分で入れようと決心して、かっぱ橋
でミルを買ったらしい。彼女にとって、新しい1ページになるに違いない。
「毎朝おいしい珈琲を飲む」 簡単なようだけど、そんな毎日毎日を繰返して
いくところが、人生の醍醐味でもある。肩肘張ってがんばることはない。
一杯一杯気持ちをこめて自分のためにおいしいコーヒーを飲んでください、だ。

ちょうど、そばもんのHくんもカウンターに座っていた。
長いこと「石臼挽きの蕎麦」にこだわりがあり、名門の蕎麦屋で修行をしている。
そろそろ卒啄(そったく」の時を迎えているように思う。思うとおり
に「自分の蕎麦」を打てる人だと思うので、自分のために蕎麦を
元気に打てる環境に身をおくと、なんとかなるのではなかろうか。
卒啄同時。鳥はえらいね。生まれる前から悟っているようなもんだ。
今年はうさぎ、ぴょんと跳ねて、巣立ちしたいものだ。

明日は「薩摩琵琶とピアノのライブ」
ちょっと人数がオーバーしてしまったけど、寒い日が続くので、
おしくらまんじゅうみたいに、みんなで体や膝をよせあって、
ひとときを共に楽しもうと思う。

明日は森下文化センターで「深川 ニューイヤージャズパーティ 2011」
がある。ジャズのフェスティバル。
そこに参加されるピアニストの深澤芳美さんが、17日(月)に
天真庵でジャズをやってくれる。秋に第二回「JAZZ十間橋」
の開催にむけてのプロローグみたいなイベント。
毎朝一杯のおいしい珈琲を飲むときには、いい音楽を聴きながら
飲むと、ひと味違う。昔インスタントコーヒーを飲みながら
「違いがわかる」とかいう、よくわからないCMがあったけど、
もっと簡単に生活していると、いろいろな「違い」がわかってくる。

今日から「もなか屋」も事始め。




焙煎三昧

2011-01-07 08:26:12 | Weblog
昨日は午前中に、いろいろな珈琲豆を焙煎した。
モカマタリを焙煎したら、すごくおもしろいことを発見して、
違ったマタリも焙煎してみようと思い、急遽コーヒー豆やさん
へ、いった。
モカ・マタリは、イエメン産のモカで、欠点豆を多く含み、
しかも高価なので、あまり最近は昔ほど見かけなくなった。
でもその芳香さと麻薬のような雑味は、昔からコーヒー党を魅了して
きた。一般的に「モカ」というと、コーヒーの発祥の地といわれるエチオピア
のものをさす場合が多いが、マタリの味を知ってしまうと、
「これまで飲んだコーヒーはなんだったの」といった感じになる。

さっそく更新したサイトから、二種類の「ほぼブラジル」の注文も
いただいたりしたので、今朝も蕎麦は元気に打ち終わったので、
これから焙煎をしたいと思う。
「もくもくサロン」みたいになったお店の中で、ひとり好きな
音楽を聴きながら飲むコーヒー。この幸せな時間が、いい。

今日は「ねんどの日」
9日は「琵琶とピアノのコンサート」 満席になってしまった。

17日(月)は「クラシックジャズ」
昨年の「JAZZ十間橋」を今年の秋も開催する予定。
その橋渡しをしてくれたジャズピアニストの深澤一派が
楽しいジャズを奏でてくれる。
ほんとうに、「元気になるジャズ」やね、これは・・

今日はやすみ

2011-01-06 09:40:19 | Weblog
せっかく年が変ったので、「長屋茶房天真庵」のHP
を熊本の友人に更新してもらっている。
今朝は、その打ち合わせ(メールでやりとり)。

お店のメニューもすっきりさせた。好評だったけど、注文が入る
たびに、つくりて(つまり、ぼく)がイヤな顔をする、という
理由で「玉子焼き」は、メニューからなくなった。なんかなくなる
と寂しい、のも正直な気持ちで、昨日はこっそりと作ってしまった。
やはり、「蕎麦前には、玉子焼きだよな」とひとりごと。

最近スカイツリーのユルキャラで「そらからちゃん」というのが人気らしい。
うちのメニューで好評な「がれっと(そっば粉クレープ)」を
「こなからちゃん」にしようと提案したら、スタッフにボツにされた。
なかなかいいネーミングだと思っただが・・・

モカマタリを深めに焼いて、焼酎につけこんだものを「珈琲韻(かふぇいん)」
として、メニューにはある。健康的なお酒だけど、ネーミングの言霊が、
そうは思えないので、「元気ブラウン」にしようと提案した。
これも、笑いは起こったが、不採用になった。
銀嶺のパンみたいに「野さし草」(やさしそう)、とか「そばん(そばのぱん)」
とか「お体(おからだ)お大豆(おだしず)に」・・・イマダサもいいと思う
のだが・・・もうひとひねりしてみよう!

明日は「ねんど」の日。
文花的な寺子屋も事始め。

朝からひるの話で申し訳ないが・・

2011-01-05 08:02:09 | Weblog
お正月にあった役行者(えんのぎょうじゃ)さんたちは、吉野や熊野の
山の中を歩いて修行をしてきた。山吹の格好をし、わらじを履いて、
道なき道を夜中でも駆け回る。あるところは、蛇がうじょうじょいたり(
彼らは神の使いとして、縁起がいいものとされる)、ぬめぬめした沼地みたいなところでは、「ヒル」がうじゃうじゃしているらしい。そんなところも、歩いて自然と一体
の感覚をつかむまで、歩いて修行をするらしい。

昨日は、ニューイヤーコンサート。正式には、「MUSICA LIBERA TOKYOlive at 天真庵」。昨年も同じ日に、やまねさんと大宅さんが、やってくれた。
その時は俳優のSさんが、詩を朗読してくれた。今回は、N響の若手のホープ、
松田拓之さんがヴィオリンを演奏してくれた。ツィゴイネルワイゼンを演奏している指
を見ていると、「ヒル」のように、ぴたっと弦に張り付いて、すべる、そんな感じだった。とても人間の手や指とは思えないくらい、神技のような演奏にお客さんたちも、
固唾を飲んだ。大宅さんは、クラリネットとヴィオリンを阿吽の関係にする呼吸を
整えるために、指も頭も青大将みたいに機敏に動かしながら、すばらしい伴奏に
徹していた。年末の大工仕事(ベートーベンの第九)に大忙しだったやまねさんも、
いつものように元気にクラリネットの名演奏を聴かせてくれた。言葉では尽くせない
くらい素晴らしい音楽会だった。終わった後の蕎麦会で、佐久の「花」を、グビグビ
飲みながら、今年の抱負を語りあったりした。舞曲を中心にした演奏会の後にふさわしい華やかな酒宴だった。

N響のやまねさんも、松田さんも山口出身。松田さんとヴィオラのヨッシーは
同門の音楽家。帰り際に、「みんなひょっとして、壇ノ浦で別れた平家の末裔?」
といってしまった。下関にある赤間神宮は、平家の御霊を弔っている。役行者の
人たちが修行する山々や縁のある土地には、少なからずの「平家落人伝説」がある。

こんどの日曜日9日に演奏してくれる榎田百香さんの「薩摩琵琶」は、
平家の落人の御霊を鎮魂させるために、生まれてきたような楽器だ。
彼女が演奏する縁のある土地もまた「平家落人伝説」のあるところが
多い。土縛霊とも縁を結びながら、今年もおもしろい旅ができそうだ。
9日のライブは、いつもより一時間はやくスタート。
18時開場 18時半開演 2000円(蕎麦と珈琲つき)天真庵で3度目のライブ。

17日のクラシックジャズは、普通どおり19時開場、19時半開演
4000円(蕎麦会付)

今日から通常どおり営業。

押上文庫

2011-01-04 08:13:21 | Weblog
昨日は午前中に、今年初めての焙煎をした。
少し正月らしいいスッキリとした珈琲を飲みたいと
思い、そんな爽やかな新年の静謐な空気を感じられるような珈琲を
つくってみた。

その後に軽いジョッギングしながら文庫亭へ。年末に「文庫」ちゃんが、
オープニングパーティーをやってくれたんだが、ちょうど
その日に義理の父親が旅立ったので、「押上文庫」の完成版
を見ていなかった。のでやっと見れた。ちょっと前のお店の残り香
が感じられるが、文庫くんがモーツアルトのレクレイムなどを演奏している
間に、空気がかわってくると思う。

文庫くんが、昨年の秋に近くにスタインウェイのピアノと
いっしょに引っ越してきた。そのピアノがおいてあるフロアーを
「音楽好き、酒好き、骨董好きサロン」にしようと、計画している。
彼はピアノを教えたり、飲食店で修行しながら、生きてきたけど、
そろそろ、この場所で、おもしろい活動が始まる。

桜のころには、形ができあがるのではないかと思う。
文庫くんは器用だけど、少しマニアックな世界に
沈没するきらいがあるので、少しバランスのとれた、
かわいらしい、いや、気がきく女性がスケットに
きてくれると、都合がいい。彼も昼間や土日のスタッフを
探しているようだ。ぜったいに女性がいい。

今日の夕方は「ニューイヤーコンサート」
ベルギーから大宅裕さんが帰国していて、
昨年と同じ日に、同じくN響のやまねさん、そして
今回初めてのヴィオリンの松田さんが演奏してくれる。
豪華な事始め。

9日は薩摩琵琶の榎本百香さんと伊東麻奈さんのピアノで
演奏会がある。2000円(蕎麦・珈琲つき 18時開場18時半開演)

17日は、昨年の秋にジャズ十間橋を企画してくれたジャズピアニストの
深澤芳美さんたち(テナーナックス・高橋康廣 ベース田野重松)
が、クラシックジャズのライブをやってくれる。4000円(蕎麦会つき・
19時開場19時半開演)

今年はいろいろたいへんな年になりそうだけど、音楽とか
芸術くらいは、楽しんでいきたいものだ。ただ働いて
めしくって、クソして・・・だけだともったいない。

明日から通常営業。

役行者

2011-01-03 09:10:04 | Weblog
「えんのぎょうじゃ」という。日本古来から伝わる山岳修練者や山伏の祖、
みたいなもの。
昨年縁があって、役行者の流れをつぐお坊さんに不思議な水をいただいた。
クラスターが小さくて、お茶や珈琲に使うと、おいしい水はたくさん
あるけど、この水は、次元がまた違っていて、そのまま飲んだだけで、
体中の細胞が、自然と一体になって活性するような、「元気水」だ。

昨日は、新年の挨拶を兼ねて、その不思議なお坊さんにあいにいった。
「喫茶去」・・・ま、お茶でもどうぞ・・
禅林では昔から、お客さんがきたら、そんな感じの応対を大事にしてきた。
一服のお茶を飲む一瞬一瞬を大切にする「こころ」が、凝縮されている。
本尊にお参りした後、老師がにっこりと笑われて、
喫茶去よろしく、「珈琲を飲んでいってください」と関西訛りで
いわれたので、おもわず「おおきに」と答える。

山岳宗教に限らず、どの宗教も、この自然界の中に棲むよろずの神
たちと自分たちが、一如であることを原点にするようなところがある。
自然の神さまと霊的な繋がり、みたいなもの。
ぼくはあまり夢を見ないし、初夢というのは、あまり記憶にないけど、
昨日の朝の初夢に、役行者みたいな人があらわれて、「今年はサイフォンを
やってみたらどう」みたいな夢を見た。

その老師が、厨房の中に入り、「ぼくの珈琲の入れ方をご覧になりますか?
」というので、「はい」と答え、厨房の中に入ったら、アルコール
ランプの上に、ハリオのサイフォンが置いてあった、ので、ビックリした。
夢にでてきた場面とまったく同じだ。

サイフォンは、沸点になったフラスコのお湯が、フィルターを通して
上がってきて、それを、竹べらでまぜて一体化させ、火をとめ、温度
が下がったら、もう一度フィルターを通して、フラスコに落して抽出する
ものだ。往年の珈琲通が通った専門店には、必ずあったけど、最近は、
ドリップやエスプレッソにおされて、あまり見なくなった。
かならずといっていいくらい砂時計が横に置いてあって、蒸らす
時間をしらせていた。老師のまわりには砂時計が見当たらないので、
「時間はどうやってはかっているのですか?」と訪ねたら、
「般若心経を唱えながらやっていて、おわったら、火を消すんじゃ」
とのこと。「!(なるほど)」と合点して思わず合掌する。

珈琲をいただきながら、四方山話をしていたら、どんな縁で
この不思議な老師と縁がついたのかが、はっきりわかった。
「ねっこ」が繋がっている人たちが、静かに横にひろがっていく、
そんなイメージ。

明日の夕方は「ニューイヤーコンサート」
今年の「事始め」だ。朝焙煎をしに店にいったら、
spice cafeの女将さんにあって新年の挨拶をした。
spice cafeも明日から事始め。文花一丁目のカフェが
また始まり始まりだ。今年も、無駄のない不思議な縁
で繋がった人たちとが、あまたやってくる。天恩感謝。



飛木さん

2011-01-01 09:07:25 | Weblog
天真庵の玄関には、改装前から「飛木稲荷溝」とかいう御札が
貼ってある。この界隈は、飛木稲荷の神域だ。
天真庵から押上駅に向かう道を、新あづま通りという。昔
このあたり一体を「吾妻町」といったなごりで、小学校やお店の
名前に名残りがずいぶんある。その新あづま通りを、まっつぐ(四ツ目
通りを左にいくと駅だが、無視してまっつぐいくと、どんつきになり
(線路)そこを右にいくと、踏み切りがあるので、それを渡って
すぐが、「飛木さん」だ。このへんの人たちは、初詣は、飛木さんか、すぐ
並びの高木神社にいくのがならわしだ。そのまままっつぐ、歩いていくと、
「鳩の街商店街」にいきつき、通り抜けて、左に折れると向島界隈に
いきつく。この辺りをぶらぶらするのが、いい。

大宰府天満宮には、「飛梅」の伝説が有名だが、飛木神社も、ある暴風雨の
時に、一本の枝が飛んできて、それがこの地につき、大きな銀杏の木に成長し、神木
になった、というのが名前の由来らしい。
昭和20年3月の「東京大空襲」の時の中心だったこの地の、このご神木も
黒焦げになったが、戦後3年の後、緑の芽が吹き出したらしい。地面の
下の根っこがしっかりしていたということで、焼け跡の人たちに
多大な勇気を与えたことが想像できる。

かの仙涯和尚の書を思い出した。
風に揺られる、柳の木が墨で力強く書かれていて、

気にいらぬ風もあろうに柳かな と揮毫され、横のほうに「堪忍」
と書かれている。

いろいろな逆風もあろうが、幹や根っこがしっかりしていると、
倒れることはない、というような意味だろう。「堪忍」がきいている。

時代的には、政治も経済もアゲンストな逆風だろうけど、政治家
ではなく、我々庶民が、時代の風にまけずに、変革ししていかなくては
ならない時がきたのかも知れない。
正月の朝、ジョッギングの途中によった飛木さんで、そんなことを
思った。

年末に銀座の骨董やのおやじとお茶を飲みながら、こんな話をした。
戦争が始まったころ東大のトイレ(彼は東大出)にこんな落書きがあったらしい。

始まりかと思ったら終わりだった。終わりの始まりだった。

今、今年は、またそんな時代ではなかろうか。「堪忍」な時代。 感謝。