長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

座る文化を、座って考える

2011-03-17 10:44:43 | Weblog
今朝ははやく起きて、2時間近く近くを散歩した。
東北地方に比べるべくもないけど、少し寒いくらいなんと、
古い建物が、「立ち入り禁止」の黄色のテープで囲まれたものが、
ちらほらあるくらいで、平穏な朝がもどってきた感がある。でも
親戚や実家や友だちが被災地にいて、まだまだ日常をとりもどせない人
や、会社までの足がなくて右往左往している人、しがらみをすてて田舎
に帰って出直そう、なんて考えているひと・・・いろいろだと思う。

今日は煎茶のお稽古だったけど、中止になった。織田流煎茶道は、織田有楽
を祖として、始まった煎茶道である。家元は仙台にあって、今回の震災で
無事ではあったけど、弟子の人たちには、被害もあったご様子だ。
不思議な縁だけど、織田流煎茶道の家元は、もともと東京上野の池之端に
あった。関東大震災で拠点が壊滅した、その当時の家元(南洲先生・鹿児島の人
なのであこがれの西郷南洲の号を雅号にした)が、
残った茶道具を抱えて、放浪の旅をした。そして大連まで渡ったときに、
一人の女性に煎茶を教えた。彼女が熱心にお茶の勉強をして、
日本に帰ってきて、仙台に移り住み、織田流煎茶道が、仙台を中心に東北地方に広がっていった。

最近は「座る文化」が、滅びにいたるのではないかといくくらい衰退している。
煎茶だけでなく、お抹茶もお花もしかりだ。そんな中であって、これからを考えた
時に、いろいろな問題が山積だけど、がんばっていこうと思う。

といっていたら、今、先生から電話があって、「今日お茶のお稽古をしましょう」
ということになった。へこんでばかりいてもしかたがない。こんな時こそ、
喫茶去(きっさこ)の精神が発揮される時かも。

来週の「お花の会」も、いつものように齢80になる原田先生が、宇部から
元気にやってくるそうだ。花の生け方を教えてもらっているが、「生き方」
そのものを教えてもらっている。

こんな有事に、西郷南洲の偶感が染みる

幾たびか辛酸を歴(へ)て 志始めて堅し
丈夫玉砕 甎全(せんぜん)を愧(は)ず
我が家の遺法 人知るや否や
児孫(じそん)の為に美田を買わず



日曜庵

2011-03-16 09:19:55 | Weblog
そんな名前の蕎麦の名店が柴又にある。
いつかいってみたいと思っていたら、そこの主人が
昨日天真庵に遊びにきてくれた。
50歳を過ぎて、蕎麦屋を始めた主人は、営業日を週末の
金・土・日・祭日にしぼり、無理をせず、ほかの日は、蕎麦を自家製粉
したり、かえしなどの仕込みをしているそうだ。利益より、長く持続可能な方法
に重点をおいていて、素晴らしい。というか、これから何か新しいことを始める
場合は、どんな分野の仕事であれ、かくあれ、というテーマではなかろうか。
「うちの蕎麦を食べに来る人は、「今日は日曜日(一番大好きな日)であってほしい」
ということから、この名前をつけた、ということだ。すばらしい。

不夜城といわれ、四六時中、どこへいっても昼のように明るく、遅くまで電車が走り、
高層ビルの上までエレベーターでらくらくいけ、そこにも空調があり、ネオン煌びく
夜景をみながら、冷えたビールやワインを飲む・・・みたいな日常が、どうやら
非日常にもどりそうだ。
やはり、お天等さんが高い時間に働き、お昼にごはんを食べ、3時におやつを食べ、
お天等さんが沈むくらいに仕事をおえる・・・みたいなことリズムで人間が生活するほうが、「自然」で、そんな生活をするのが普通になりそうだ。

足元をしっかり見つめ、身の丈を越えず、無理をせず、働くときは一所懸命に働き、
休むときはしっかり休む・・・そんな人間らしい生き方をそれぞれが、始めれば
「これから」が見えてくる。

「この字型人生」(朝日のでる前から、地下鉄にのって会社にいき、夜おそくになって
会社近くの地下鉄にのって、家に帰ってくる・・・アリの巣みたいにガラスの器で自分
たちの生き方を客観的に観たら、こんな「この字」みたいな人生)
が、当たり前だったけど、ぐらっときて、地下鉄や電車が止まり、少したちどまって
自分の人生を考えてみたら、「これではいけない」と思った人がたくさんいたと思う。
いつもの道は断たれ、不便な思いをしたけど、いろいろな道を歩くことができる「自由」に気付いた人も多かったみたい。そんな「気づき」が新しい人生を築く。

今日がお休み。いつもだと、茨木や千葉にいって野菜や蕎麦粉や平飼いの卵を
買いにいくのだが、今週はたまった本でも読んで過ごそうと思っている。
明日は「献茶」のお稽古。日本人は昔から、神に花を手向けたり、お茶を
神棚にあげたりして、生きてきた。一瞬にして神になられた人たちに捧げる
気持ちでお茶をいれてみたいと思う。鎮魂。




音楽のカタルシス

2011-03-15 08:22:36 | Weblog
友だちがLEDのメーカーをやっていて、たまたま
先先月に「おそめの開店祝い」に、10個くらいくれた。
カウンターの上のライトやテーブル席のライトは調光になっていて、
いただいたそれは、調光には対応してないタイプだったので、階段の下や
トイレの廊下や、もなか屋のライトにした。初期投資はかかるけど、LED
にすると、電気の消費量がだいぶ少なくなる。節電した結果、電気量の請求が
少なくなるのは、2倍ご褒美をもらうようで、うれしいもんだ。

昨日は月曜日で「卵かけごはん」の日。もしかしたら、停電になる可能性を
考えて、はやめにお店にいって、電気炊飯器でゴハンを炊いた。万が一、
停電になっても、土鍋が3つあるので、問題はない。
お味噌汁は、石油ストーブの上で、つくることができる。
地震がおきてから、白井晟一さんコレクションの街灯は、使わない
ようにした。ちょっと寂しいけど、節電のほうが優先。エアコンも中止にして、
カウンターの暖は、岩手の木炭。木炭の火は、こころからあったまる気がする。
昨日は、駅にいったら、電車が動いてなくて自宅待機の人たちがあまたでた。
行き場もなけらば、居場所もない孤独にさいなまれる。そんな時に「一杯の珈琲に
ほっとする」といわれるのは、なによりもうれしい。

5月15日に「墨田ぶらり下町音楽祭」を開催する。先日かよちゃんがきて、
2500円のチケットを3000円にして、500円を義援金にしよう、という
ことになった。今回の災害で、音楽家たちも、より繊細な感性でへこんでいて、
演奏もする気になれない心境の人も多いと思うけど、なんだか勇気と元気がでてきた。
一昨日までお店でもラジオのニュースにしていたけど、昨日からまた大石学さんのCD
なんかにかえてみた。音楽は、人の悲しみや苦しみの中で、生まれてきてものが
多いけど、だからまた背反するように、それを聴くことによって、カタルシスというか、こころの底から喜びや勇気をもらったりするものだ。

今月は25日(金)に「富川さんのギター」がある。
彼の奏でるアコースティックな音は、そのまま魂に語りかけてくるもんがある。

リコーダーとギターの夕べ
演奏:富川勝智(ギター)・高橋明日香(リコーダー) 19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き) 

27日(日)は、天才Nobieの誕生日ライブ。
Nobie Jazz ライブ
演奏:Nobie(vo&per) 伊藤志宏(p) 小森耕造(ds) 19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

音楽なんて聴く気になれないほど、へこんでる人さへも元気に
してくれそうな人たちのライブがふたつもあってよかった。

今日の「書」の会は、遠くから先生たちも来るので、電車とか諸般の事情に
より中止になりました。





易学

2011-03-14 07:36:36 | Weblog
昨日は竹細工の会だった。大分からこんな時期に
わざわざきてくれた大谷先生。なんだか元気をいただくようだ。
震度3くらいで壊れそうな建物を心配して、お客さんも、まるで
被災地のお見舞いみたいに、大学芋だの、御菓子や、たいやきなどを
持ってきてくれた。ありがたいことだ。でも津波の被災や、原発の近辺
の人にくらべたら、「普通」すぎて、申し訳ないと思う。

お店がおわって、近所のスーパーにいったら、食べ物らしきもの、牛乳、
野菜、ミネラルウォーターなど、ほとんどない。
津波がきたわけでも、ライフラインや家がなくなったわけでもない東京で
こんな具合だ。
ほしかったのは、チーズケーキ用のクリームチーズと、おでんの芥子と、
ガレット用のチーズだったので、問題はなかったが・・・

今日は「易の勉強会」
先生のところへ「これからどうなるのですか?」などのメールや相談
がひんぱんにくるらしい。
「どうなる」よりも、「どう生きる」というほうが大切かもしれない。
3・11の前後で、ものの考え方、価値観がガラリとかわったと思う。
新しい今日を、どうやって生きるか・・・
みんなで、毎日実践していくしかない。「はら」をくくって、
生きていく時やと思う。

明日は「書」。
肝・丹田・・・でも書こうか!
呼吸を精妙に整えて、生きていくヒントがある。

これから「卵かけごはん」。
「食」もますます大事になってくる。
「おいしいものを食べる」から「おいしく食べる」時代。
そのためには、いい友だちといっしょに食べる、に限る。
いい友だちを持つコツは、自分がまずいい友だちになること、だ。感謝。

竹のように生きる

2011-03-13 07:58:38 | Weblog
昨日は3時にお店をしめて、ガレットに使う「のり」を
みかみくんの家のポストにいれ、近くのbunkanへ。「bunkan」にいくと、天真庵と
bunknanを改装してくれた中西くん、たけちゃんが、いつもほどではないけど、
元気にしていたので、安心した。中西くんは芸大の建築を現役で受かり、4年で卒業した
けっこう不思議な秀才だ。勉強ができるだけでなく、ひとや街のデザインをする能力にたけている。彼は谷中に住んでいて、いくつものギャラリーやcafeのリノベーションをやってきた。
そこに芸術家や、おもしろい若者が集まり、音楽祭やアートなイベントが始まり、
うらぶれて、シャッター通りになっている街に、明るい一灯を照らす。
声はかけなかったけど、「これから何をやるか」ということをお互いに腹で確認した
日になった。
経済や政治が混沌としてきた。bunkanからでたあと、菅さんのもとで、不眠不休で
がんばっているすえくん(末松義規くん)に電話。元気そうなので安心した。
小学校時代からの親友なので、ため口で「命がけで、リーダーシップを発揮せんといけんばい。落ち着いたら、また飲もう」とだけいった。
政治家も企業人も漁師やお百姓さんや自由業の人といわずも、芸術家たちも、
みんな力をあわせて、新しい国つくりをしなくてはいけないときがきた。
「粒々皆辛苦」の毎日だけど、毎日いろいろなことに感謝しながら、やりなおして
いくしか道はない。でも茨の道というのは、けっこう楽しい道だ。

今日は「竹細工の日」だ。先日心配の電話を大分からかけてきてくれた大谷先生が
迷うことなく「これから飛行機で東京に向かいます」といってくれた。
二階は、寸胴にいけた花が倒れたり、陶器が割れたりしていたけど、元気にかたずけて、今日は「竹細工」の日になった。
いろいろな節を通りすぎても、竹は元気に青々と伸びていく。今回の災難は
個人といわず、家庭、企業、団体、国家といわず、たいへんな節になったけど、
ここを載りこえることによって、また新しい希望や光が見えてくるはずだ。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」。夜は「自分で開く易占術教室」
しっかりとした自分、胆のすわった自分を作る、という意味でも、
この会は、時代の要請になるかも。
15日は「書」の会。文人墨客が集う会。
不思議な先生が二日続く。これもまた天命かも。 天恩感謝。




元気です。

2011-03-12 08:45:18 | Weblog
元気のない人、心配な人、不安な人・・・
ライフラインが遮断された北国の人たちには
かける言葉もありませんが、がんばっていきましょう。

天真庵は、器がいっぱいあって、その器の器、つまり建物も
古色がついている、というより66歳の老体ですが、骨がしっかり
しているのか、木の枠組みがいいのか、無事でした。
心配して見舞いにきてくれたり、電話やメールをくれた人たちに
感謝感謝です。

今日は、朝一番に東武ストアーにいくと、開いていなかった(地震のため)
ので、お店で珈琲を入れ、ラジオをきく。
今日も余震などがありそうだけど、良寛さんではないけど、
災難にあうときはあう、死ぬときは死ぬ・・・自然体が一番ではないかと
思う。

spice cafeにいくと、スタッフもいつものように変わらぬ笑顔でカレーを
仕込んでいるし、ぼくもこれから焙煎して、蕎麦を元気に打とうと思う。
平常どおり、12時に開けまっせ。
今電話があって、竹の大谷先生もこれから、飛行機で上京する。
明日は「竹細工」です。
竹が昔から愛されているのは、節目節目をちゃんと
のりきって、いつも青々として元気だからでしょう。
たいへんな節目、というか「まさかの坂」みたいなときですが、
のりこえていきたいと存知ます。
スカイツリーも男根のように青空に向けて立っています。
がんばりましょう。 感謝。






わんぱくおじさんの会

2011-03-11 07:58:36 | Weblog
「ねっと31」の会を5月31日にやることになった。
草食系でない男子たったおじさんたちが、もう一度
集まって、元気な日本を模索するために、煩悶してみたいと思う。
その日に予定していた「順受の会」は、名幹事の清水さんに頼んで
30日(月)にしてもらった。順受の会も、あらかんな男子が圧倒的
に多い。でも健啖家で、酒豪で、声が大きく、たぶんいつもは
まわりに「奇人」だと思われている人が多い。日本がまた元気に
なるためには、このあたりの男子がまたわんぱくになって、活躍しながら
元気とかやさしさを伝えていくことが必要ではないかと思う。
実行委員長の田村さんや林さんと相談しながら、おもろい会にしたいと
思う。30日も31日も「わんぱくおじさんの会」になる。

昨日は5月15日におこなわれる「墨田ぶらり下町音楽祭」のパンフの
打ち合わせを、実行委員長の「かよちゃん」こと渡辺佳代子さんと
パンプを作成してくれるデザイナーの長繩さん(写真の手ぬぐいの作者)としていたら、テレビ局が取材にきてくれた。この会は、3回目になる。ベルギーでオーボエの修行をしていたかよちゃんが、ヨーロッパに少しにているこの界隈に白羽の矢を
たててくれて、3の矢がはなたれる。今回は、文庫ちゃんの「押上文庫」も
開場になる。そして10月には、南千住でも同じことをやることになった。
こんな会が静かにひろがっていったら、シャッター通りになりはてた
いろいろな街でも、どこからとなく音楽が聞こえ、笑いがきこえ、人
が元気になり、街に文化の水脈ができるのではなかろうか。いつもそんな
イメージを持ちながら、うらぶれた十間橋商店街で、毎日「貧乏という棒」を
振りかざしながら、そばを打っている。もしかしたら、そんな姿も放映されるかもしれない。

今日は昼間に「お仕覆」の会がある。二階で茶器や花器などをつつむ
お仕覆の教室。夜は「ねんどの会」

13日(日)は竹の会。大分から元気に竹が届いた。この会も、なんだか
家族みたいに絆が深まっていくようだ。





31世紀まで生きる

2011-03-10 12:57:17 | Weblog
昨日は、アクアライン経由で千葉にいった。通常片道3000円なのが
割引期間中で800円だった。びっくりするほど簡単に木更津や君津
にいくことができる。ぼくの生まれた北九州の町は、「鉄の町」でまるで
新日鉄の城下町みたいだった。クラスに45人生徒がいたら、40人が新日鉄
に働く親がいて、残りの5人が自営業や、医者や、ヤクザ・・といった感じ
の構成だ。ちょうどぼくたちが小学校の高学年になるころ、工場が
君津に移ったので、それに伴い君津に移住するクラスメートが増えた。
親たちも同僚宅で「送別会」をしたりしていたが、昭和40年ころの九州と
君津の距離は、想像を超えるほど遠く、涙涙の送別会だったように記憶している。
子どもたちもお別れの日に、寄せ書きをして、「有名になって東京で会おう」
とか、「大学は真ん中あたりの京都にしよう」とか・・・そんなことを銘々
が書いて見送った。

でも今は近い。千葉の知事は、「しかしだね、よしかわくん」とかいって
青春ドラマの主人公だった森田健作だ。「ばんや」というホットな食堂?
漁協がやっているお店にいったけど、平日なのに、めちゃくちゃ込んで
いて、近くのお店でお魚を食べた。
野菜や卵を仕入れて、夜は、「ネット21」の仲間たちと、ゴールデン街で
飲んだ。こんど「ネット31」という会をつくることになった。
1年に6度、31日の日がある。5月31日が「第一会」の日。
ちょうど「順受の日」と重なっていたので、さっき幹事の清水さんに
電話して、ずらしてもらうお願いをした。「順受の会」も元気なおじさん
が多い会だけど、そんな会が増えたら、もっと楽しいと思う。
だれも31世紀まで生きていないけど、何か繋がる美しいものを残せたら、
と思う。


指揮者・宇宿允人さんが旅立った。

2011-03-09 08:50:43 | Weblog
今朝、ジョギイングをしてお店でコーヒーを飲みながら、
新聞を読んでいたら、訃報のところに、宇宿さんの名前があった。

腎臓癌だったらしい。享年76歳。
池袋時代に、できたばかりの芸術劇場に、よく聴きにいった。
決まったメンバーで演奏会をするのではなく、毎回、彼の音楽の理念
なんかと波動があう人たちと、苦しい資金繰りの中で、なんとかやりくりしながら
続けていった、そんな指揮者だった。だから舞台に立つときは、死装束の上に
燕尾服を着、スポットライトにあたる姿は、乃木希典がいるみたいに、凛然とした
侍みたいな出で立ちだった。なんどかお話しを聞いたけど、
「最高の芸術は人間だ」という言葉がこころに沁みた。

昨日もお店に、何人もの音楽家たちがきた。先日箏と三味線のライブを
やってくれた秋山恵子さんも、遊びにこられた。彼女も宇宿さんと同じ
東京芸大で音楽を勉強した。いろいろ話をしていたら、やはり根っこが
繋がっているな、というのをつくづく感じた。
人ははやくもおそくもなく、出会う人とは出会うことになっているらしい。

その後にピアニストの松岡さんが遊びにこられた。彼女とホルンの水野信行
さんのコンサートが来週ある。CDの発売記念のコンサート。
昨日話をしていたら、彼女のおばあちゃんは、北九州の城山小学校の
先生だったことがわかった。ぼくはそこの小学校のソウトボール部の
ピッチャーだった。キャッチャーだった笠間くんを今、探しているところだ。

今日と明日はお休み。これから田舎へ、卵を仕入れにいってくる。






タイムドメインにラブがきた。

2011-03-08 08:31:44 | Weblog
昨日の朝は「月曜日の朝は卵かけごはん」だった。
雪にかかわらず(月曜日は雪がおおい)、かささして
近くだけでなく、遠くからもわざわざ、ただ(ただといっても500円もする)
の卵かけごはんを食べにきてくださる。感謝あるのみだ。

毎週その朝ごはんを食べにきてくれる蕎麦打ち職人のHくんが、
近くにある古色蒼然とした蕎麦屋(2年前に廃業)をもしかしたら
借りることになるかもしれない。築60年くらいのいい感じの建物。
もしもそこで開店したら、「水曜日の朝は水餃子」みたいなものを
お願いしたい。いい蕎麦屋になると思う。

夕方は「タイムドメイン」だった。朝のお客さんに「浅川マキ」さんの
話をしたら、ほとんどが「明後日」みたいな顔をしたので、イワジーに
浅川マキのCDをもってきてと電話で頼んだ。うらびれた十間橋通りに
不思議な歌声が響きはじめた。「赤い橋」なんて、なんと素敵でこの
町にぴったりの歌。酔香のすがちゃんが、通り会の会長かなんかになったあかつき
には、この歌をひがな流す商店街にしてほしいと思う。
この橋のモデルの橋は、京都にある。でもこの町にも、不思議な十間橋がある。
なにがいいかわからないけど、毎日たくさんと人が渡ってくる・・・
少し不幸な運命にあるチワワのラブが、十間橋を渡って遊びにきた。
でも人生や犬生も、いろいろあるからおもしろい。ひさしぶりにチワワを
抱いた。そのまま橋をわたらせまいかと思ったりしたけど、こちらもまだ
旅の途中。

「赤い橋」

ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
むかしむかしから橋はかわらない
水は流れないいつの日も
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない


いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない
赤く赤くぬった橋のたもとには
紅い紅い花が咲いている
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない


ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
みんなどこへ行った橋を渡ってから
いつかきっと私も渡るのさ
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない

やまねさんたちと聴きながら、「教科書にのせたいくらい名曲やね」
という声があがった。

今日は「英語で蕎麦会」
昨日の朝、岩本先生が卵かけごはんを食べにきた。
彼は卵をカウンターの檜の角でコツンと割った。
卵かけごはんの食べ方にも、「人生」が見え隠れする。