長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

へうげもん

2015-12-11 09:13:53 | Weblog

織部焼きの古田織部が主人公のマンガらしい。

昨年か今年が没後400年にあたる。のであちこちで織部の展覧会をやっている。

黄瀬戸、織部、志野、が桃山から続く代表的な美濃の焼き物。織部は「へうげもん」

といわれるくらいその時代を突き抜けるようなアバンギャルドな作風である。

水曜日は珈琲塾。どこかで金賞を受賞したキリマンジャロを焼いて、サイフォンで入れる

実験をした。サイフォンで入れると、キリマン特有の酸味も緩和されて、アフリカの草原を吹き抜ける

風のような香りがした。(アフリカにはいったことがないので、このような表現はまゆつばかもなんばん)。

夕方からは6人の「座敷でそば遊び」。二階でやる蕎麦会では、お豆腐を京都のたる源の豆腐桶に入れて

供する。温度を下げぬように、備長炭の炭を入れる場所がある。そん時も、手あぶりに炭を入れておくと便利だ。

檜風呂に、昆布と豆腐が混浴しているような艶冶な雰囲気になる。同時に熱燗もつけられるような構造になっている。

これを発明した人は、酒脱というか、風雅を解する達人だと思う。「ひとてま」かかるけど、このてまをやるとやらぬでは、

世界がまったく違ってくる。

昨日も卒啄珈琲塾。半休をとってこの会に参加する女子がいたので、焙煎の最中に、勝手に昼のまかないを作る。

前日の「蕎麦会」のあまり、というとなんやけど、冷蔵庫にあまった材料をつかって「よばい鍋」を作る。ここでも

炭火が大活躍する。昨日はプチ忘年会。♪お酒はぬるめの燗がいい さかなはあぶったうるめいわしでいい・・

夜は「無茶しぃの会」。その間に買い物。十間橋通りにある「骨董屋」のおやじがいつものように、笑いながら

「天真庵さんそっくりのへうげたもんが入った」というので、騙されたつもりで中に入る。ひょうきんなお坊さん

みたいな焼き物が鎮座してあった。「買う」といって、連れてかえり、ショーウィンドウの中の石臼の上においた。

「蕎麦上人」にしては、少しとっぽいけど、いい感じだ。

無茶しぃの会も、炭の上の鉄瓶の湯けむりが、茶室の空気を凛としてくれて、おいしい煎茶をみなで楽しんだ。

今日は朝から雨。今日は「ダメから始める中国語」。大酒飲みで、蕎麦大好き人間たちが集まる忘年会。

まいこ先生がはやめにきて「肉団子」のスープを作ってくれるらしい。とても楽しみである。

 


こころ温まる暖房

2015-12-09 08:24:38 | Weblog

昨日は横浜からやまだくんが蕎麦を手繰りにこられた。

「元気シール」の不思議なTQ技術をやっている人だ。おやじさんから引き継いだ

技術で、今の物理学では説明がしつくない技術。簡単にいうと、花が咲く、という自然界の中

で、不思議なエレルギーを人工的に作り、転写する技術。「花のある人」という言葉とおなじくらい

わかるようなわからないような、「くくり」が難しい。でもこの世の中、年を重ねれば重ねるだけ、

ある分野のことを深く知ろうとすればするだけ、わからないことのほうが多くあることが、わかる。

やまだくんの技術を応用していろいろな商品を開発する若社長と二階にあがって「夢」を語りあった。

若いのに「火鉢」に興味をしめした。火鉢のぬくもりがわかる人は、こころがわかる人でもある。

この火鉢は大塚の骨董屋が、愛用不買で「まだ売りたくない」といい続けるのを説得して、始めたばかりの「天真庵」

の空間に嫁いできたものだ。欅でつくられていて、四方に縁側みたいに8cmくらいのへりがある。 

五徳に鉄瓶をのせ、湯けむりがあがるころに急須に煎茶を入れ、そのへりに茶托と煎茶椀をのせお茶

を飲む幸せは、筆舌無用の世界だ。もちろん鉄瓶の蓋をあけ、そこに徳利を入れ、人肌になる酒を飲むと、壺中天の

幸福を手に入れることができる。昔から炭で暖をとる器のことを「手あぶり」といった。たかが知れている日本の冬だけど、

スイッチひとつで春風が吹く便利さに慣れた輩には、「てあぶり」に幸せさは、わかるすべはなかろう。

築70年になる天真庵の冬は「スースースー」だ。朝一番の仕事は、炭をおこすことから始める。

炭がおきたら、そこに土鍋をかけ、水とこんぶと大根をいれ、五徳にのせる。そばを打っていると、大根と

昆布が静かに歌いはじめるような香りが伝わってくる。「五徳」・・・暖をとる、煮る、焼く、薫る、炎を愛でる・・

五つではおさまらないくらい、いっぱいの徳があるように思う。冬の寒い中、炭の上に鉄瓶や土瓶や鍋を置き、

端坐して談論風発した友たちの顔を思い浮かべるだけで幸せいっぱい胸いっぱいである。

今日も夕方に「座敷でそば遊び」をやるので、今朝はやく蕎麦を打ち、冷え込む手を温めながら火鉢の鉄瓶

の湯けむりを待ち、これまた20年愛用している久保さんの急須で煎茶を飲んだ。これからしばらくは

日本は斜陽で今の経済学からいうと右肩下がりになりそうな気配。それが自然であるならば、先人たちに習い、

不便ではあるが、貧を楽しむ生活に波動をあわせるのも一考だと思う。それぞれ勝手な価値観で、ひとさまは

どう思うか知るよしもないばってん。

 


20年目の論語の会の忘年会

2015-12-08 09:18:55 | Weblog

昨日は「論語の会」・・・・正確には「順受の会」の忘年会。

継続は力なり、というけど、私塾というか寺子屋みたいな勉強会で

20年机を並べて勉強する、というのはすごいことだと思う。

順受というのは、荘子のことばから由来する。昨日は荘子の「木鶏」という

言葉を久しぶりにきいた。強い闘鶏のにわとりを育てるのに、依頼したおおさま?

と飼育人との問答の故事から引用したものだったと思う。「まだまだです」が続き、

最後にまるで木で彫った鶏のように、なにごとにも動ぜず泰然自若とした鶏になったお話。

伝説の大横綱・双葉山が「木鶏」と湛えられた。

ちんぴらのような政治家が「まだ木鶏にはいたらず・・」ボリボリみたいな引用をすることがあるが、

闘っている人にこそ似合う言葉で、世襲ぼんぼんの政治家には不似合いな言葉だと思う。

昨日は時々この会に顔をみせてくれる伊勢の先輩と、楓橋夜泊を吟じてくれた大先輩から

うまい焼酎の差し入れもあり、大いに飲んだ。20年たっても飲むと青春まっただ中。

髪が白くなったり、薄くなったりはあるけど、まだまだひとしごとふたしごとが待っている。

最後にハゲの話になった。

♪世の中は 澄むむと濁るの違い 刷毛に毛があり ハゲに毛はなし

なあに、心配無用。来年は「ハゲのかりすま」さんが天真庵で「勉強会?」をやってくれる予定。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

「自分で年越しそばを打つ」ですが、31日は満席になった。

30日。29日の午後も「自分で打つ教室」をやります。昨日の会の幹事さんの山仲間の

Nさんが、打ちたいという話をきいた。熱烈歓迎。

 


♪迷い道くねくね

2015-12-07 07:42:42 | Weblog

渡辺真知子さんだったか、そんな歌が流行ったころがある。

新宿に昔から「14代」を飲ませてくれるバーがあり、時々そこで彼女を見かけた。

その店の留守番電話も彼女の声で「お電話ありがとうございます・・・」となっていた。

秋に芸大出身の美人の陶芸家から案内がきた。「不惑」になった、と挨拶の冒頭にあった。

大学をでたてのころから作品を見ているけど、若いころから作品には惑いがない。

先日カウンターに常連のカリスマいやからすま料理人がとまった。「40になりましたヨ」

というので、「フワクやな」といったら、「フワク?ってなんですか?」と聞いた。

以前、論語について説明を求められ、「孔子さんの話」というと、「格子?その世界にはいり

そうなことは何度もありましたけど・・」といった君だ。またまた、四十而不惑、 五十而知天命、 六十而耳順、 七十而従心所欲、不踰矩・・

などと説明するのもなんだし、

「ワクワクすることをフワクっていうねん」と答えた。すると、「ぼくはノーテンキな性格なので、お客さんがこない日

でもワクワクしますよ」と元気に笑った。ひょっとしたら、孔子さまよりも「不惑の王さま」かもなんばん。

今日は20年目の「論語の会」の忘年会だ。

昨日は「日曜蕎麦大学」の後に「なんとなく蕎麦を喰う会」だった。

4人でゆるりと蕎麦会を楽しんでいたら、近所のシャアハウスの子らが、年末の挨拶よろしく

なだれこんできて、8人で「なんとなく蕎麦を喰う会」をやった。ひとり有名なジャズピアニストが

いて、興にのりピアノを弾いてくれた。いつもながら、奇人さんが集まってくる不思議な場所である。

これから「卵かけごはん」

 


平成28年申年生まれの子がライブにきた。

2015-12-06 08:53:57 | Weblog

昨日は山本ひかりさんのギターの弾き語り。満席だったけど、もっと

多くの人に届けたいような素敵なライブだ。来年4月1日から天真庵も10年目に入る。

その次の日、4月2日(土)にまたボサノバを聴かせてくれることにあいなった。

彼女は、こないだまで大学生だった。平成1桁生まれの子。毎回彼女の歌を応援しに

きてくれるおじいちゃん、おばあちゃんがいる。おじいちゃんは、昭和1桁生まれ。

耳も遠くなって声は聴こえないらしいけど、じっと目を閉じながら孫の歌うボサノバを

静かに聴いておられる。お酒も飲めなくなったので、「ぼくの分をマスターどうそ」という。

ありがたく陸奥八仙を頂戴した。こころまで沁みてきそうな滋味だ。

昨日の朝刊にビルなんじゃらいうIT長者が財産のほとんどを寄付したとか、なんじゃもんじゃ

の記事がのっていた。日本人は昔から人のお役にたつならば、と寄付をする時は、黙って

いたもんだ。そんな人知れず、いいことをすることを「陰徳」という。死語になりつつあるけどいい日本語だなあ。

お金がなくても、「こんな孫ががんばっているよ」とか「友達がこん個展をやるねん」とか、「ほったて小屋みたいな

お店やけどがんばっているっちゃ」とか、できる応援をすることも立派な「陰徳」やと思う。

カウンターでボサノバを聴いていた「くまもんさん」が、「あかちゃんができたごたあります」と熊本弁でいわしゃった。

ということは、昨日のライブは、平成ひとけたの歌姫と、そのじいちゃんの昭和ひとけた、そして来年平成28年に生まれる子

までの幅で、「共に楽しんだ」ことになる。ぼくの5まわり下の申だ。還暦になると赤いちゃんちゃんこを着るのは、

「子供に戻る」という縁起でもあるらしい。ということは、同級生みたいなもんかもなんばん。

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち道場」。今日打つ蕎麦は、「友達の誕生日祝い」にするらしい。

そばというのは、「つなぎ」を入れて打つ。そのつなぎが、人と人を結ぶ。だから大みそかに蕎麦を食べるという習慣は、

「年が変わっても縁が切れませんように」と願ってのことだ。今年の暮れは「自分で年越し蕎麦を打つ」という新人さん

がたくさん手を挙げている。きっと申年というのは、「新しい縁結びさん」たちが、活躍する年になるに違いない。

 

 


今日はボサノバの弾き語りライブ 16時閉店。

2015-12-05 08:53:13 | Weblog

師走になった。坊さんでないので走ることはないけど、なんやらで忙しい。

夜の勉強会は「月一」を基本としているので、一日(火)の「英語で蕎麦会」

から、毎日のように「忘年会を兼ねた寺子屋」モードに突入している。昨日は

「なんどの忘年会」、こんねんどの総仕上げのような楽しく愉快な会だった。

寺子屋の基本は「手習い」である。習うという文字は、雛が羽をバタバタさせなながら

跳ぶ手習いをしている象形文字だ。ネットの発達でどんなことも知識として頭に入って

いるけど、自分ではなにも出来ない、という輩があふれている。「知識」の一歩先に

「見識」というのうのがある、自分の目で見、自分の舌で味わうようなことかな、簡単にいうと。

それから、いろいろ自分で経験し、自分の意見を自分の言葉でいったり、行動力や指導力

みたいなんが加わると「胆識」という。うちの儒学バー「順受の会」で教えてもらったことやけど・・

今日はギターを弾き語りで、「今」を感じあうような素敵なライブがある。

25日も、同じようなギターの弾き語りライブがある。昨日の昼に

ギタリストの翔くんがギターを抱えて珈琲を飲みにきた。ちょうどその時、シアトル

からときどき蕎麦を手繰りにきる常連さんがいて、「流し」よろしく安全地帯の昔の曲を

翔がギター弾きながら歌った。その曲が流行った30年前に、翔はまだ生まれてなかった。

しょうがないけど、時間というのは、どうしようもなく自然である。水は上から下に落ちる。

人生は川のように、さらさらとたださらさらと流れていく。

明日は日曜日なので16時閉店。それから「日曜大工みたいな蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰うかい」

月曜日が「順受の会」 うすっぺらい知識とかうんちくに辟易とし、少し「胆識」をみにつけたいなんて思って

いる人、大歓迎。火曜日は「ただの忘年会」やけど。ただやけど会費は3000円。

5日(土) ボサノヴァ 夕涼み

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

25日(金) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)他

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


年越し蕎麦を自分で打つかい?

2015-12-04 08:33:23 | Weblog

30日、31日に「自分で年越しそばを打つ」という予定にしている。

打ちたくない人は、「生そば」を持ち帰ってもいい。一昨年あたりから、新人さん

が自分で打つ。というのが静かなブーム?一昨年の30日は、5人の新人さんがきて、

夕方から始めて終わったのが翌日1時半だった。

今年は30日に、6人の新人さんが打つことになった。お店は休みで、年越しそばを

渡すか打つかだけやし、午前中から、2人づつなので、日付変更線を越えることはないと思うが・・

昨日は男子のかっぽれの今年最後の日。暖冬なので、暖房もぜず、浴衣で踊ると少し汗ばむほどだった。

来年のかっぽれは1月7日(木)からだ。来年は申年。三番叟のように、人生も「実り」や五穀豊穣を

おさるさんが表現してきたみたいに、「かっぽれ」をやるのも粋だと思う。チャンスはすぐに「さる」よ。

今日は「ねんど」。

明日はボサノバのライブがあるので16時閉店。

明後日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

月曜日が「順受の会」。20年続く論語の会。来年は「小学」を学ぶ。

 


今日は「おとこ かっぽれ」

2015-12-03 09:59:10 | Weblog

火曜日は「英語で蕎麦会」だった。サマータイムの反対のウィンタータイムでは

ないけど、19時にポンビキするのは、暗くなってきたので一時間はやめてやることにした。

18時半くらいに電話があり、「オーストラリア人3人をゲット」と朗報。生まれてはじめて「蕎麦を食べる」

ということなので、こちらも気合いがはいる。迎える側も力が抜けてきたので、外人さんたちもリラックス

して蕎麦会を楽しむようになってきた。最後は「日本語で、トイレはどこ?ってどうゆうの?」なんて聞かれる

ので「はばかりは、どこですか?」といいます。なんて。

昨日は秩父の山奥の温泉にいき、昼そばを喰う。夜はちょうど「秩父 夜祭り?」だった。

何かの縁だと思い、三峰神社に参拝した後、現地に向かおうとしたら、150年の古民家を改装して

蕎麦屋をやっているところにでくわし、そこでまたまた「そば前」で武甲を飲んでいたらいい気分になって、

お祭りのことを忘れてしまった。いつものことだけど・・

今日は朝から雨。夜は「かっぽれ」だ。

年末の「年越しそば」の注文もポチポチはじまってきたけど、「年越しそばを自分で打つ」という

だいたんな企画の方が盛り上がってきた。

友達で畑を借りている人が、朝自分に採った野菜を使って「採れたて野菜と蕎麦会第二段」

をやってくれることになった。新しい時代の生き方のひとつだけど、「なつかしい未来」

を感じる企画。

12月は素敵なライブが二回。明日は「ねんど」です。

5日(土) ボサノヴァ 夕涼み

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

25日(金) スタンダードジャズ

演奏:赤須翔(ギター)他

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


里山と新蕎麦 そばはちみつ

2015-12-01 09:05:20 | Weblog

昨日は月曜日なので「卵かけごはん」。「暮らしの実験室」から産みたての平飼いの卵を

使った。黄身が自然の薄い黄色。よくスーパーなどで「赤い・・・」とか「黄金・・」なんて書いて

あるものがあるけど、あれは不自然なものを餌に入れて、むりくりそんな色にしているものが多い。

やはりなんでも自分の命のもとになる食べ物は、自分の口に入れて、五感を研ぎ澄ませて、

選択していくしかない。卵のよしあしは、卵かけごはんにするとよくわかる。

夕方に関西弁のお客さまが、続けて遊びにこられた。最初の青年は「就活のため上京してきました」

という。「関西の大学ケー」というと、「立命館の法学部です」と答えた。後輩になる。末川先生の最後の講演の話を

すると興味深そうに聞いていた。就職がみごとに決まって東京にきたら、酒を酌み交わし「寮歌」でも歌いたいものだ。

次に、女子大生みたいな子が、旅行カバンをがらがらひきながらやってきた。「ああ、やっと念願のそばが食べられる」

と大阪弁でのたまう。先日の「一杯のかけそば」が脳裏に浮かぶ。「ゆさそば病か?」

「応援している子のライブを見にきたんです」という。「有名な子?」と聞くと「きっとしらへん思うけど、

アイドルグループみたいなもんです」という。「ふーん。どこかのライブハウスでやったの?」と主人。

「武道館です」と女子。「なんていうグループ?」と主人。「アンジュルムいうんです」と女子。「アン・・・知らんわ」

こんなチグハグな会話が続く。モームスの妹ぶんにあたるらしく、日曜日の武道館を満席にしたらしい。二万人。

安いチケットの飛行機が成田からあるんで、最後で蕎麦で締めくくりたい、とのことだった。娘みたいな女子に、

水木しげるワールドみたいな奇妙キテレツな話を教えてもらった。感謝。

夜は「論語の会」。20年目の講義が無事終わる。来月は「忘年会」。

今日は「英語でそば会」。病気で3カ月ほど休んでいたNさんが復帰されるというメールに安堵。

恵比寿顔の彼女がいるのといないのでは、外人さんの「ぽんびき成功率」が変わってくる。

木曜日が「男子のかっぽれ」

今日から「師走」。なぜだか「しわす」と発音する。師とは先生ではなく僧侶のことだ。

貝原益軒先生の説では「日本語は、終わりのことを「はつ」とか「はて」という、この月

は、「四季のはつる月」だから、「四極月」になり、「しはつ月」となったらしい。

さすがに養生訓を著して「長生きのコツは、男女でまぐわっても、接してもらさず」とのたまった先生。師とは

こんな人のことをいうのかもなんばん。