昨日かきもちを貰った。
長く伸ばしたまま売っているようだ。
帰ってから早速夫に切ってもらった。
青海苔の良い匂いが漂ってきた時、何年振りだろうか私の父の事を思い出した。
父は67歳で亡くなった。
一生のうちで数えるくらいしか話さなかった父。
思い出は少ないけど「かきもち」を切る姿だけは妙に脳裏に浮かぶ。
お餅が苦手な私はかきもちなら食べれる。
その為に赤や緑、青海苔など色んなものを混ぜて作り、力仕事なのでそれはいつも父の仕事だった。
母に聞く父はいわゆる遊び人。
仕事をしてお金が入ればパチンコや女遊びなどで泣かしてきたらしい。
しかし、私に対する父は優しく、いつも何かを買ってくれる父であり食事のマナー、仕事の仕方、社会の話をしてくれる父の思い出の方が多い。
大きな声で叱られたことも無く、さりとてPTAに来ることもなかった。
結婚して1~2度帰省して以来仕事を持ってた私は一度も帰ることなく父の死に目にも会えなかった。
戦中は呉の海軍工廠で働き、船を作っていた。
呉が攻撃され始め、山口県下松市に移り、ここでも造船の仕事をしていた。
終戦間近、ここも攻撃され始め津和野へと帰った。
そして、召集され浜田市で終戦を迎えた。
だから、実戦の経験は無く戦争の話はあまり聞いた事は無い。
物心付いた頃に見た父は、仕事から帰ると背広に着替え「パチンコ」に行った。
いつも胸ポケットから鏡と櫛を出し髪に櫛を通してから出かけた。
自家用車など無く自転車が唯一のマイカーだ。
父のお土産は決まって「氷砂糖」。
私は甘いものが苦手で余り好きでは無いのだが当時は珍しかったのかもしれない。
お金があると決まって赤紫の派手な服を買って帰り私に着せた。
内心「派手だなあ」と、子供心に思ったが父の気持ちを思うと言い出せなかった。
67歳で早すぎる死だったが「本当の心の内」を聞く事なく逝った父が残した「私のプレゼントした服」を形見分けで見た時はお洒落な父がそこにいるようで号泣してしまった。
かきもちに父の面影を見るなんて私も父の年に追いつきつつあるからだろうか。