初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

益田

2007-03-18 | 未分類



昨日同様今朝も寒い朝になった。

昨日は結局山陰の益田市へのドライブは県北めぐりで終わったので、今朝は早々にしたくをして益田を目指して出発した。

往路は広島北→戸河内→美都町→益田市→津和野(復路)→柿木→六日市→広島
と、ぐるり一周してきた。

益田市は新しく出来た「グラントワ」を見て食事をした。

一口で言うと大きい。

でも、結構人が集っていてレストランも盛況のようだ。

実は益田市は私の最初の任務地だ。

採用は広島だったが任務地は中国地方全体にばら撒かれた。

当時、電話は大都市以外は自動改式していなくて私達は数年で自動改式される電話局に配置された。

益田の電話局は当時は磁石式交換台で呼んでくるとジリジリと音を立てて電話番号の札が落ち、下に配置してある穴にコードを挿して応答、相手の番号に繋ぐという原始的な機械だった。

市内案内台、市外案内台、待時台などがあり、相手は広島、萩、浜田、松江などが多く、時々「デザイナーの森英恵」さんから国際通話がかかってきていた。

彼女の実家にかかっていたのだと思う。

益田にいたのは10ヶ月だったが海が近く、会社の海の家があったので夏は殆ど海の家に入り浸り。

海の家は朝から獲れたての水イカの刺身が出て泳いでは水イカの刺身を食べ、職場と海の家を往復すると言う贅沢な時間を過ごした。

益田は遊ぶところが多く、最初にダンスを習った。

当時「星影のワルツ」が流行りこれでワルツのステップを踏んだ。

夜は先輩から呼び出されお酒の練習。

しかし、先輩の目が光ってるので危なくは無いが相当にお酒が進んだのは間違いない。

そうこうしている内に「改式闘争」なるものが始まり組合と会社とのサンドイッチで泣く羽目に。

大学部を目指し勉強していた私は勉強を取り上げられ兄への電話も監視つき。

やむなく一人で考えるしかなく、広島から来た労組の幹部に直談判を迫った。

結局労働組合の采配で我々4人は無事広島へ帰る事が出来た。

今日、グラントアに行き、回りを眺めたが当時の面影は無くがっかりした。

たった10ヶ月なのにこれからの私に大きな影響を与えた益田での経験は何にも変えがたい貴重な経験だ。

少し不良っぽいこともしたニヤリの事は今回は辞めておこう。