初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

栄養満点

2007-03-19 | 未分類


先日パソコンボランティアの仲間に聞いたレシピを試して見た。

大量に買った「そば粉」にニラを入れてお好み焼き風(チジミ風)に焼くと美味しいよ、と、聞いた。

それで先日試したら以外に美味しく、熱い内に食べたらお酒のあてにもなる。

今日は冷蔵庫に残っていた干しえびを入れたら何と!香ばしくてすっごく美味しいではないか。

ちょっとこげてしまって見苦しいが味付けは塩だけ。

ソースを工夫するともっと美味しいかもしれない。

これにかぼちゃの煮物、「あらめ」の煮物、魚の干物、これだけあれば中高年には最高の栄養になるだろう。

サニーレタスのサラダもたっぷりと。

かぼちゃとあらめを明日のお弁当に取ってさあ食べよう。



益田

2007-03-18 | 未分類



昨日同様今朝も寒い朝になった。

昨日は結局山陰の益田市へのドライブは県北めぐりで終わったので、今朝は早々にしたくをして益田を目指して出発した。

往路は広島北→戸河内→美都町→益田市→津和野(復路)→柿木→六日市→広島
と、ぐるり一周してきた。

益田市は新しく出来た「グラントワ」を見て食事をした。

一口で言うと大きい。

でも、結構人が集っていてレストランも盛況のようだ。

実は益田市は私の最初の任務地だ。

採用は広島だったが任務地は中国地方全体にばら撒かれた。

当時、電話は大都市以外は自動改式していなくて私達は数年で自動改式される電話局に配置された。

益田の電話局は当時は磁石式交換台で呼んでくるとジリジリと音を立てて電話番号の札が落ち、下に配置してある穴にコードを挿して応答、相手の番号に繋ぐという原始的な機械だった。

市内案内台、市外案内台、待時台などがあり、相手は広島、萩、浜田、松江などが多く、時々「デザイナーの森英恵」さんから国際通話がかかってきていた。

彼女の実家にかかっていたのだと思う。

益田にいたのは10ヶ月だったが海が近く、会社の海の家があったので夏は殆ど海の家に入り浸り。

海の家は朝から獲れたての水イカの刺身が出て泳いでは水イカの刺身を食べ、職場と海の家を往復すると言う贅沢な時間を過ごした。

益田は遊ぶところが多く、最初にダンスを習った。

当時「星影のワルツ」が流行りこれでワルツのステップを踏んだ。

夜は先輩から呼び出されお酒の練習。

しかし、先輩の目が光ってるので危なくは無いが相当にお酒が進んだのは間違いない。

そうこうしている内に「改式闘争」なるものが始まり組合と会社とのサンドイッチで泣く羽目に。

大学部を目指し勉強していた私は勉強を取り上げられ兄への電話も監視つき。

やむなく一人で考えるしかなく、広島から来た労組の幹部に直談判を迫った。

結局労働組合の采配で我々4人は無事広島へ帰る事が出来た。

今日、グラントアに行き、回りを眺めたが当時の面影は無くがっかりした。

たった10ヶ月なのにこれからの私に大きな影響を与えた益田での経験は何にも変えがたい貴重な経験だ。

少し不良っぽいこともしたニヤリの事は今回は辞めておこう。



豪華な病院

2007-03-17 | 未分類



月に一度の病院めぐり。

クスリを頂くだけなのだが2件行くとお昼を過ぎる。

私がクスリを貰っている神経内科、待合室がとても豪華だ。

まず、受付をしたら、6台のマッサージ器が空くのを待ってマッサージを最低でも3回以上する。

マッサージ椅子には音楽も聴けるような機器もついていて音楽を聴いている人もいる。

椅子を倒すと目の前には大きなテレビ画面が壁にかかっていて癒しの画像が写っている。

世界の自然や鳥、花などゆったりとした画面にいつしか眠ってしまう。

目が覚めると、目の前は総ガラスばりで日本庭園があり鯉がゆったりと泳いでいる。

それに飽きて本棚に行くと芸術から漫画本まで二つの壁面にびっしりと本が並んでいる。

「サライ」「婦人公論」「クロワッサン」これはここで読むことにしているので買わない。

勿論お茶も用意してある。

診療に呼ばれたらドアの前に立つと自動的に開く。

患者も回転椅子だ。

先生は優しくてパソコンを打つ音が聞こえるほど静かに話される。

今日はクスリが減らされた。

土曜日は患者が多いのでもう一人先生が見える。

至れり尽くせりの病院だがこれでももうかるのかなあ?

通院を密かに楽しみにしている。



リハの打ち切り

2007-03-16 | 未分類



午後からスポーツクリニックへリハビリに行った。

前回、医療保険法の改正でリハビリ日数に制限が加わり、その改正時期にさしかかっているという説明を受けた。

私の通う病院は一生懸命努力して私は随分長く通わせて貰った。

ネットでは即座に通院打ち切りの人も多く、ひどい事するなあと思っていたがいよいよ自分の番になった。

脳血管疾患180日、膝関節症150日と、昨年張り出しがあったけれど殆どの人が継続して来ている。

所が今回は殆どの人が対象になると言う。

一部は介護保険でまかなうと言う話もあった。

選択肢は?通院を辞める  ?介護保険で通院する。ただし、2時間の拘束がある。担当PTも変わる。 ?実費を出して通院する。

私は色々悩んだけど?の実費で通院することにした。

実費を出してもメリットのあるリハビリだと思うし、確実に身体が楽になるので少々遠くてもこれは仕方ないかなと思った。

それにしても、この所の弱者に対する施策は「弱いものいじめ」ばかりだ。

特に障害者支援法は「障害者は死ね」と、言ってるような内容だ。

高齢者は介護保険料、国民健康保険料をアップアップ言いながら払っている。

夕方の広島市長候補の討論会を見るのも力が入る。

みんないい事ばかり並べてるが果たして自分の味方は誰なのかよーく吟味して選びたいものだ。





キセル

2007-03-15 | 未分類




今日は午後から雨。

予報どうり出かける時に降り始めた。

昨年買ったレインコート、初めて着てみた。

「パパス」が売り出した可愛いレインコートで大きめ。

今日は颯爽と?雨の中を駅まで行った。

帰りは「アンデルセン」はやめて「そごう」に行った。

1階~地下へと二人であちこち買い物をしていたら夕方になり新交通は人が多い。

「県庁前」からだと座れそうにない。

2番線に「本通り」行きが入ってきたので「これに乗ろう」と、乗り込んだ。

本当はこういう事はしてはいけない。

そして、二人でしゃべるしゃべる・・・。

本通りで皆降りて、運転手さんが降りる時に話しかけた。

「本通りですよ」「うん、まだ降りない」

「本通りだから降りるんじゃないんですか」「うん、いいんよ、いいんよ」

「何処から乗りました?」「県庁前、人が多くて座れないから乗ってきたの」

「それ、キセルですよ」「え!キセル?そうかぁ~」

二人で大笑いして「キセルしたのかあ、そういえばキセルだ」と、言ってる内に運転手さんは見えなくなっていました。

キセルって犯罪ですよね。

知っててするのはたちが悪い。

本当に困ったおばさんです。

笑って受け流して、今思うとあの運転手さん「何が、いいんよ、いいんよだよ!」って怒っているに違いありません。

さこちゃんは「キセルしました。いくら払えば良いでしょうと、言って見る」と、言ってましたが、私はすっかり忘れて降りてしまいました。

いつか、PTさんに「最近の若者は席を譲ってくれん」と、ぼやいた時に「譲ってもらうなんて甘えるな。自分の足で立てるくらいのリハビリはしたよ。」と、言われたことを思い出した。

反省。



リハビリ

2007-03-14 | 未分類

今朝NHKテレビで「脳卒中のリハビリ」について最新のリハビリ方などを放映していた。

私は発病から8年経過してるけどまだ回復は出来ると信じている。

ただ、今は急激な変化は無理なので「諦めずに続ける」ようにしている。

8年経過すると麻痺している所より健常部分に支障をきたし、膝の痛み、肩の痛み、腰の痛みなどが出てきて、今は、整形外科で「正しい姿勢で歩く」事を中心にした指導をして貰っている。

正しい姿勢でいる事で腰の痛みが軽減した。

肩を丸めたり、腰を丸めたりするとてきめん、腰や肩が痛む。

腰に痛みが来たら腰の部分をPTさんが押さえ私は身体を右や左に回転する。

これだけで腰周りがすっきりして楽になるが1週間するとどうも姿勢が悪くなるみたいで痛みが出たりする。

膝の痛みはなかなか良くならないが上手に付き合えるようになった。

毎日、入浴時のスクワットは少し効果があり、PTさんから「少し筋肉が付き始めている」と、言われた。

美術館など長時間立ち続ける時はサポーターをすると痛みが無いばかりかとても楽。

肩の痛みは使いすぎなので痛みが来ないようにと気をつけている。

今日の放映では時間が経過した人、お年を召された人にも効果のあるリハビリを紹介していた。

リハビリで脳を刺激することで脳の中に新しい組織が形成されそれによって回復すると言う事が研究の結果判明し、新たなリハビリも始まっていると言う。
私は発病から熱心な医師やPTさん、OTさんに出会い沢山の指導を受けた。

私も退院時は余り動かなかった手が退院後に3ヶ月、1年、3年と言う単位で動くようになり、今日のテレビで言われていた事は良くわかる。

最初は洗濯物を畳むことから初め、つかむ力、伸ばす力が付いた。

次にしたのは洗濯物を干すこと。

これは、私の身長に合わせた物干しを買ってきてくれたからで、手を上げて干す動作で手が上がるようになった。

その後、くぎのついたまな板で調理をしていたが、これも、落としても落としても手に持って調理するといつの間にか手で持てるようになった。

こうして、一つづつクリアーしていった。

障害を持ちつつ生きていくことはつらい事だがどうせ生きるなら少しでも回復をして生きたい。

こう思う人には今日の放映は福音だったと思う。

退院時にPTさんが言われた「これからは、楽しいリハビリをしなさい。つらいリハビリはするな」

これを念頭にこれからも楽しくリハビリをしていこう。

映画、旅行、ドライブ、料理、ガーデニング・・・楽しいね。




ポプコーン

2007-03-14 | 未分類


北日本は大雪だそうだ。

広島はちょっと暖かくなってきたがまだ風が冷たい。

最近映画館で映画の楽しみと、ポプコーンを食べながら見る楽しみを知った私、家庭用のポプコーンを買ってきた。

夕方、小腹が空いたので早速作ってみた。

昔は子供達と一緒に作って食べていたので「簡単!」と、早速火にかけた。

暫くすると変なにおいがする。

何だか焦げ臭くて向こう端を見ると火がボウボウ。

ガスを止めて、まず火を消した。

ふぅ~火事するところだった。

と、落ち着くまもなくパチンパチンと、はじけ始めた。

あ~、コリャどうすりゃいいのよ・・・と、言うまもなく向こう端が破れてコーンがはじき出されている。

ガス台の周りに飛び散ったポプコーンが華々しく舞っている。

拾っては食べ、拾っては食べ、大変なポプコーン作りでありました。

原因は紙の蓋を取らずに火にかけた事。

その紙の蓋に注意書きがあったのに老眼鏡をかけるのが面倒なために読まなかった事。

今考えると紙のふたじゃ燃えるのは当たり前。
やっぱり、映画館のポップコーンが美味しくて楽だ。


夜、気になっていた真ん中ちゃんにテレビ電話したら「治った」と、言うではないか。

「何で?手を見せて」と言うと手を振り回している。

電話を覗き込んで「どうしたの~」と、言うと「骨折じゃなくて筋を痛めただけ」だとの事。

胸をなでおろした。

昨夜は眠れなかったのに・・・・。

やれやれ、今夜はぐっすり眠れそう。

心配かけてごめんなさい。



封筒作り

2007-03-13 | 未分類


今日は一日封筒作りをした。

この春から小学校へ行く「かんちゃん」と、幼稚園に行く「きよちゃん」二人のお
祝いの袋を手作りしようと思い立った。

お祝い用の袋をバラして長さを計り、 オートシェイプで形を作っていくと簡単に出来上がった。

最後に大好きなキャラクターを聞いてネットから画像を取ってきて貼り付けると可愛い封筒が出来た。

名前を入れると手作り感があってなかなかいいじゃないかと娘の所へ電話をして好きなキャラクタの確認をした。
      
しかし、いつもははきはきの真ん中ちゃんがどうも様子がおかしい。

上の子が「実はねえ、昨日滑り台から落ちて腕を折ったんよ」と言う。

電話に出た娘の声が暗いと思った。

しかし、頭でなくてよかった。

昨年は指を2度折った。

運動能力抜群でも落ちたか・・・と、私もがっくり来た。

かわいそうにションボリとしている。

こりゃあ、春休みは帰省どころじゃない。

お見舞いに行かなくちゃ。

お転婆さんもさすがに腕が折れたら大人しい。

この可愛い封筒気に入ってくれるかなあ。

夕方からホームページに作り直してUPした。

ちょっとした袋も手作りしておくと便利だ。

大急ぎで作ったので綺麗ではないが作ってみませんか?

分からない所はメールで聞いてくださいね。

真ん中ちゃん、今夜は痛いだろうねえ。


封筒の作り方はこちら


写経

2007-03-11 | 未分類



今日は朝から目がかゆくてくしゃみばかり。

ひどい花粉症が、病気をして外出が少なくなった分軽くなり、空気清浄機をつけるとくしゃみも少なくなっていたのですが・・・。

夫に誘われて区民センタ-の文化祭展に行って来た。

午前10時30分~5時間、ジャズコンサートがあった。

出演団体は5グループで1時間ずつ昼休憩なしにぶっ続け。

知人のジャズピアニストが出演するので楽しみだったがすべてジャズオーケストラで、どのグループも凄く上手で場慣れしていて楽しめた。

中にはマンボ、ラテンなど知ってる曲も沢山あってジャズ好きの人は合いの手?を入れたりリズムを取ったりなかなかしゃれたコンサートだった。

待ち時間にコーヒーを、お昼も喫茶で食事をして今日は一日音楽三昧。

癒された。

帰ってから神妙に写経に取り組んだ。

思ったより力が入り、時間がかかった。

まだまだ「空」の境地には程遠いけど時々は書いていこうと思っている。



親友の死

2007-03-10 | 未分類


夕方外出から帰ると留守番電話が入っていた。

津和野の友人から「帰宅したらすぐ電話をください」と言うメッセージが入っていて、すぐに電話を掛けなおした。

やっぱり・・・高校時代の親友の急死の知らせだった。

死因は「脳卒中らしい」と言う話に唖然として言葉が無かった。

友人は何度も私の体調を気遣い、知らせて良かったかどうかを繰り返していた。

「大丈夫よ、体調は万全で気持ちも落ち着いているから」と、お礼を言って電話を切った。

60歳を前に働き盛りの彼女に会えなかったのが悔やまれる。

昨年、ふらりと津和野に行った時電話すると彼女は留守だった。

親の代からのスーパーを切り盛りしていつも忙しく立ち話をする程度で、近年はお互いに「会いたい」と言いながらここまで来た。

昨年、何年ぶりかで電話がかかってきて話をした。

「60歳になったら定年の人もいるからゆっくり会おうね」と、言ったので「身体が不自由になった人が広島で二人だから広島で会おうね」と、約束した。

今年の夏か来年の夏、仲良しグループの再会同窓会を心待ちにしていたのに。

悔しい。

もう一人の友人に電話すると彼女も声を詰まらせた。

彼女は昨年会ったという。

私は彼女が年取った顔を見ていない。

若くて真っ白な顔のままの彼女。

私の家に泊まって、心行くまでお互いの人生を語り合う用意をしていたのに余りに早い旅立ちに涙が止まらない。

今夜は彼女との思い出をかみ締めながら冥福を祈ろう。