昨日12月2日(日)は、さいたま市民会館うらわ で行われた 浦和キリスト集会主催のクリスマス講演会に行きました。
ネットご近所からの参加は、 私と母と、“るーいーかあさん”さんでした。
テープレコーダーやカメラはダメなんじゃないかと勝手に思い込んで持って行かなかったため、メモ書きを元にしたものなので、どこまで皆様にお伝え出来るかわかりませんので、先に謝っておきます。すみません。
また、詳細に全部書くとかなり長くなるので、端折ります。
すみません。
会場は51名用集会室2つ分で、ほとんどが教会の方でした。
未来さんの講演の前に、未来さんがコメントで、
「東大医学部教授を退官された後、墨田区の病院長に就任され、専門は精神科です。内村鑑三の息子内村祐丈先生ともご一緒に勤務された、私にとっては雲の上の人ですが、とても気さくでそして優しい先生です」と紹介された関根義夫先生と、
お父さんの成沢道夫さんの話がありました。
お2人とも、話が上手いです。
未来さんのお父さんはコメント欄で “ゴールデン街” 様として存じ上げているだけに、
こんなに上手に話をなさる方なのネ、と驚きもありました。 (すみませんアヤマッテバッカリ)
キリスト集会でのお話ですので、キリスト教の信者さんに向けてのお話であるのは当然ですが、その真摯な話し方、笑いの取り方、クリスチャンでない私も惹き込まれるように聞きました。
内容は、未来さんが先天的な病気のため何度も手術を受け、一時は未来さんの幼い命を諦めたことなど、成沢家の辿った道でした。
そして未来さんのお母さんはキリスト教信者であったけれど、道夫さんは かたくなな仏教徒であったこと。
未来さんが高校2年生のときに、「大学に行って牧師になりたい」 と言ったときに激しく怒り、そのとき未来さんに旧約聖書のヨブ記第3章11節を言われ、ショックを受けて その瞬間キリスト教に信仰を持つようになったというお話でした。
ヨブ記のその部分もお話になりましたが、3章11節とだけメモしたため、ここで良かったのか記憶が定かでないのですが、ここで良いのでしょうか。
なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。
腹から出たとき息が絶えなかったのか。
(学生時代に父からもらった旧約・新約いっしょになった聖書を押入れから引っ張りだしてきたのですが、日本聖書協会・1955年改訳版なので、少々古いかもしれません。)
また、職業を何度か変え、一時はかなり儲かる仕事もしていたのに、合法とはいえ人様を騙している気分に耐えられずにまた転職した話。
これも成沢家全体の印象である、真面目で真剣な生き方を象徴するお話だと思いました。
(メモ中に描いた似顔絵)→
さて、5分間の休憩の後は、未来さんの講演 『患難は忍耐を生み出す』 でした。
人前で話をするのは、お父さんほどは慣れていない様子で原稿を読みながらではありましたが、誠実さの溢れる話ぶりでした。
演題は新約聖書・ローマ人への手紙 5章1~5節からの引用です。
~ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神と平和を持っています。
また、キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた精霊よって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
未来さんが選んだ神学は、勉強する範囲が広くてかなり厄介な学問だそうですが、それを選んだ理由は先天性の病気があったからこそと言います。
「どうして俺だけがこんな障害を持って生れたのか」という思いはあったけれど、
そのために文学にも出会うことが出来たと言います。
他に、沖縄への思いや、御両親と弟さんたちのこと、
「父と母のアガペ(無償の愛)により自分がある」 などと話されました。
「患難は希望に変わります。 必ず変わります」
という言葉に勇気付けられる思いがしました。
未来さん、今は雑誌の短歌評など、月に2本の仕事をなさっているそうです。
さて、講演のあと、サイン会もありました。
間近で見る未来さん、瞳の美しいハンサムさん (オバサンはこれだから ( -_-)フッ)
お父さんもお母さんも、思った通り素敵な方でした。 弟さんたちも可愛くて利発そうでした。
写真の掲載も許可してくださったので、携帯カメラではありますが、パチリ。
私、まだまだ仏教徒ではありますが、良い時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。
ネットご近所からの参加は、 私と母と、“るーいーかあさん”さんでした。
テープレコーダーやカメラはダメなんじゃないかと勝手に思い込んで持って行かなかったため、メモ書きを元にしたものなので、どこまで皆様にお伝え出来るかわかりませんので、先に謝っておきます。すみません。
また、詳細に全部書くとかなり長くなるので、端折ります。
すみません。
会場は51名用集会室2つ分で、ほとんどが教会の方でした。
未来さんの講演の前に、未来さんがコメントで、
「東大医学部教授を退官された後、墨田区の病院長に就任され、専門は精神科です。内村鑑三の息子内村祐丈先生ともご一緒に勤務された、私にとっては雲の上の人ですが、とても気さくでそして優しい先生です」と紹介された関根義夫先生と、
お父さんの成沢道夫さんの話がありました。
お2人とも、話が上手いです。
未来さんのお父さんはコメント欄で “ゴールデン街” 様として存じ上げているだけに、
こんなに上手に話をなさる方なのネ、と驚きもありました。 (すみませんアヤマッテバッカリ)
キリスト集会でのお話ですので、キリスト教の信者さんに向けてのお話であるのは当然ですが、その真摯な話し方、笑いの取り方、クリスチャンでない私も惹き込まれるように聞きました。
内容は、未来さんが先天的な病気のため何度も手術を受け、一時は未来さんの幼い命を諦めたことなど、成沢家の辿った道でした。
そして未来さんのお母さんはキリスト教信者であったけれど、道夫さんは かたくなな仏教徒であったこと。
未来さんが高校2年生のときに、「大学に行って牧師になりたい」 と言ったときに激しく怒り、そのとき未来さんに旧約聖書のヨブ記第3章11節を言われ、ショックを受けて その瞬間キリスト教に信仰を持つようになったというお話でした。
ヨブ記のその部分もお話になりましたが、3章11節とだけメモしたため、ここで良かったのか記憶が定かでないのですが、ここで良いのでしょうか。
なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。
腹から出たとき息が絶えなかったのか。
(学生時代に父からもらった旧約・新約いっしょになった聖書を押入れから引っ張りだしてきたのですが、日本聖書協会・1955年改訳版なので、少々古いかもしれません。)
また、職業を何度か変え、一時はかなり儲かる仕事もしていたのに、合法とはいえ人様を騙している気分に耐えられずにまた転職した話。
これも成沢家全体の印象である、真面目で真剣な生き方を象徴するお話だと思いました。
(メモ中に描いた似顔絵)→
さて、5分間の休憩の後は、未来さんの講演 『患難は忍耐を生み出す』 でした。
人前で話をするのは、お父さんほどは慣れていない様子で原稿を読みながらではありましたが、誠実さの溢れる話ぶりでした。
演題は新約聖書・ローマ人への手紙 5章1~5節からの引用です。
~ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神と平和を持っています。
また、キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた精霊よって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
未来さんが選んだ神学は、勉強する範囲が広くてかなり厄介な学問だそうですが、それを選んだ理由は先天性の病気があったからこそと言います。
「どうして俺だけがこんな障害を持って生れたのか」という思いはあったけれど、
そのために文学にも出会うことが出来たと言います。
他に、沖縄への思いや、御両親と弟さんたちのこと、
「父と母のアガペ(無償の愛)により自分がある」 などと話されました。
「患難は希望に変わります。 必ず変わります」
という言葉に勇気付けられる思いがしました。
未来さん、今は雑誌の短歌評など、月に2本の仕事をなさっているそうです。
さて、講演のあと、サイン会もありました。
間近で見る未来さん、瞳の美しいハンサムさん (オバサンはこれだから ( -_-)フッ)
お父さんもお母さんも、思った通り素敵な方でした。 弟さんたちも可愛くて利発そうでした。
写真の掲載も許可してくださったので、携帯カメラではありますが、パチリ。
私、まだまだ仏教徒ではありますが、良い時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。